■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
連載「生きがい年金」への道(3)/未納問題を小さく映す「官製鏡」

(2012年11月7日)

国民年金の未納問題は、本当は公表されている「実態」よりもずっと深刻である。なぜなら、厚労省は未納者の数を少なめに見せかけているからだ。問題の矮小化である。年金制度を国民に映して見せる官製鏡は、ひどく歪んでいる。

大本営発表の手口

「役所の発表を鵜呑みにしてはならぬ」というのは、ジャーナリズムの至言である。本連載(2)に、筆者は国民年金保険料の未納率は納付免除者や納付猶予者を合わせると被保険者(第一号)の実質、7割に達すると書いた。
これに対し某雑誌編集者から「事実は違うのではないか」との指摘を受けた。彼の言い分は、厚労省が今年7月5日に発表した公式のプレスリリース「平成二三年度の国民年金保険料の納付状況と今後の取組等について」に基づくものだ。
プレスリリース「資料1」3ページの図には第一号被保険者1904万人(今年3月末現在)の内訳が示され「未納者320万人、全額免除者等568万人、保険料納付者1015万人」と書かれてあったからだ。
この数字だと、未納者と全額免除者等を合計しても888万人だから、第一号被保険者の46.6%にしかならない。7割とは大違いだ。

ところが、この厚労省の「大本営発表」は真実を隠していた。下欄に脚注があり、そこには「未納者とは、24カ月(平成22年4月〜24年3月)の保険料が未納となっている者」と書かれてある。
念のため担当官に問い合わせると、思った通り、それは「24カ月、つまり2年間連続して未納していた者」の意味だという。つまり、2年間まるまる納付していない者を指すから、仮にそのうち1カ月でも納めていればこれに該当しない。「たとえば1年分しか払わず、残り1年未納していた者は納付者として扱われるのか」との問いに、担当官は「一部でも払っていれば、納付期限までに払うとの期待から納付者に分類される」と認めた。 もっと言えば、24カ月中1、2カ月しか納付しない者でも保険料納付者としてカウントしているわけだ。こうまでして未納の実態を小さく見せかけているのだ。

問題を小さく見せかける ― この「矮小化」は、官僚の常套手段と言ってよい。問題を矮小化するために、情報を「小出し」する方法もひんぱんに使われる。一種の情報操作であり、実態隠しである。
大掛かりな小出し型実態隠しは、福島第一原発事故で繰り返された。政府・東京電力は、全電源喪失事故の当初から原子炉内で「炉心溶融(メルトダウン)」が起こるのを想定していたのに、これを「燃料損傷」と言葉を代えた。まるでメルトダウンには至らないかのように偽装したのだ。東電が炉心溶融を認めたのは2カ月後だった。この大本営発表を大手マスコミは、そのまま受け入れ、報道している。
厚労省は前出のプレスリリースでもう一つ、耳慣れない専門用語を使って国民を煙に巻いた。これは前出の実態隠しと並ぶ霞が関の手法「難解化」の一種だ。わざと難解な言葉や説明の仕方で、国民が真実に近付くのを妨害したのである。
その専門用語は説明抜きで「資料3」に出てくる。「コーホート」という、耳慣れない言葉だ。ほとんどすべての読者にとって、「コーホート別に納付率をみると、・・・」のくだりに差しかかると、「はて何のことか?」と当惑することだろう。この箇所は用語解説の「注」もないから、読者にはブラックホールとなる。 因みにコーホートとは、共通した因子を持ち、観察対象となる集団のことをいう。

お家芸の複雑化工作

「難解化」は「複雑化」手法の一種だ。簡単には分からない制度とか手法はすべて官僚の「複雑化」工作を経ている。
これには反論があるだろう。ある官僚が、霞が関作文の複雑化・分かりにくさの理由について 「分かりやすい表現にすると厳密さが失われ、誤解されたり曲解される部分が出てくる」と語っていた。 ある意味、それは当たっているだろう。分かりやすい表現にするには、どうしても単純化する必要がある。結果、意味が限られ狭められる可能性があり、言葉の厳密さを失い不正確な表現になるかもしれない。
しかし、それも前出の専門用語の非常識が示すように、程度問題である。いや、官僚の制度作りを見ると、故意に分かりにくく複雑な仕組みにしたと思えるようなケースがあまりにも多いのだ。

これが官僚の真骨頂なのだろう。米メディアは90年代半ばに多発した日本の銀行の不良債権隠しを「cover up(隠蔽)」と評した。95年の大和銀行ニューヨーク支店の損失隠し事件では、大蔵省(現財務省)が隠蔽工作をしたと断定、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは「日本のへまな大蔵省」と題する論評で「大和銀行事件の本当の悪党は大蔵省だ」と報じた。
とりわけ鋭かったのは、米紙USAトゥデーの分析だ。当時、次々に起こった金融機関の破綻、住専の不良債権問題に際し、監督官庁・大蔵省が繰り返したウソとごまかしを「obfuscation(問題のぼやかし・複雑化)」工作と名付けたのである。これを“迷宮化工作”と意訳すると、一番ピッタリくるかもしれない。

96年2月に作成の住専処理スキームは、その複雑化工作の見本であった。スキームを複雑にして問題を分かりにくくし、責任をうやむやにするように仕上げたのだ。
年金未納問題も、この官僚のお家芸とも言える「複雑化工作」が施されている。情報を正直にありのまま伝える「透明性」に向け「見える化」こそ図るべきだが、そうはしていない。むしろ問題を小さく見せ、難解な用語や分かりにくい説明で「見えない化」に仕立てたのだ。
国民のとみに高まっている行政不信には、こうした情報隠し・情報操作に向けられている面も少なくない。同時に、この不信感は大本営発表を鵜呑みにして報道する大手メディアにも向けられているのである。

ここで「未納問題の矮小化」について掘り下げてみよう。先述した未納者を「2年間連続して保険料を納付しない者」としなければならない理由が、厚労省にはあったのだ。未納の実態は役所にとって不都合な真実である。お役人にとって現行の公的年金制度がますます揺らぐようでは困るのだ。真実を隠してでも国民の不信・不安を抑えたい、鎮めたい、のである。
当局者がこのような気持ちを抱くこと自体は、十分に想像できる。しかし、問題は未納を小さく見せかけ、国民を欺く意図的な工作である。前出の脚注に未納者数の計算根拠が書かれてある、と当局者は言い訳するが、そこには単に「24カ月の保険料が未納となっている者」としか書かれていない。
誤解を招くあいまいな表現である。きちんと理解してもらうには、「24カ月連続で保険料が未納・・・」と明記しなければならない。さらになぜ24カ月中1カ月とか2カ月しか納付しない者を保険料納付者としてカウントするのか、その理由も説明すべきだろう。
脚注の欠陥を突いた筆者の指摘に、担当官は「24カ月分の保険料、と書き直した方がよいかも・・・」などとつぶやいていたが、役所の対応を注視する必要がある。

所得格差再び拡大

ところが、未納の背景に横たわる所得格差問題は、東日本大震災・原発事故の影響で解消に向かうどころか、むしろさらに悪化する方向にあるのだ。一昨年は減った所得の最底辺層が再び広がっている。
国税庁が9月に発表した「民間給与実態統計調査」によると、民間企業のサラリーマンに昨年1年間に支給された平均給与(賞与を含む)は409万円で前年を0.7%、3万円下回ったことが分かった。前年は三年ぶりの増加だったが、わずか一年で再悪化した。
2011年分の調査結果によると、民間企業で働く給与所得者(パートなど非正規雇用者や役員を含む)5427万人のうち、1年を通じて勤務した給与所得者は4566万人。給与の分布を見ると、全体で最も多い層は「300万円超400万円以下」で、838万人と18.4%を占める。だが、これより低い「300万円以下」が1865万人、全体の4割と、多数派を占める。
注目すべきは、前年の2010年にはリーマン・ショックから立ち直って平均給与は1.5%増と3年ぶりに伸ばしたあと、大震災の影響から反落したのと同時に、給与格差がまたしても開いたことだ。

平均給与は過去10年間に454万円から409万円へ12%減ったことになる(図表1)。給与の下落トレンドは、平均467万円を付けた97年をピークに続いている。長期デフレ不況を象徴する現象だ。しかも給与格差はむしろ悪化した。 最底辺層(年間給与100万円以下)は前年より32万人増え、393万人に膨らんだ一方、高所得層の「1000万円超」が全体の3.9%の178万人と若干増え、前年より貧富の差が広がった(図表2)。社会の安定に欠かせない中間所得層はますます減っている。給与ダウンと格差拡大の所得現象が、再び目立ってきたのだ。
未納問題は、このように公表された外見よりもその病巣はずっと深く、広がっているのである。国民年金はもはやそれ自体では持続可能性を失い、事実上、崩壊しているのだ。

その場しのぎ策の宿命

こうした状況を前に政府が講じたのは、その場しのぎの弥縫策だ。今国会で成立した社会保障・税一体改革関連法で取り上げられた、パートなど短時間労働者への厚生年金・健康保険の適用拡大は、その好例の一つと言える。
民主党政権は、増え続ける非正規雇用者が厚生年金などに入りやすくするために、厚生年金や企業の健康保険の適用を広げようと考えた。その意図は、一見して悪くなさそうだが、よく見ると現実離れして実用性に欠ける。2016年10月からの施行予定だが、おそらく実施困難になるだろう。
その理由は、保険料の負担を折半で求められる企業と、受益する側であるはずの短時間労働者の双方に反発が強いからだ。

企業の反対は理解できるが、なぜ労働者側がこれに尻込みするのか―。
法案は、もともとは厚生年金と健康保険の加入者を約45万人の非正社員にも拡大し、正社員並みの社会保険の扱いを受けられるようにする狙いがあった。野田政権の非正規雇用者・若者支援の柱とされた。とりわけ女性の就業意欲を促し、労働人口減少社会に備える意味合いがあった。
これは3年前に自公政権が国会に提出し、審議未了から廃案になった法案を民主党政権は焼き直し、さらに原案を自民党が修正を要求して手直しされ、日の目を見たのである。
その結果、適用拡大の条件は厳しくなり、新たな加入対象は約25万人に縮小する見通しとなった。
現在、「週30時間以上」の所定労働時間を条件に厚生年金・健康保険が適用されている。同法によると、次のすべての条件を満たす場合、短時間労働者に厚生年金・健康保険が適用される。
  1. 週20時間以上の労働
  2. 月額賃金8.8万円以上(年収106万円以上)
  3. 勤労期間1年以上
  4. 学生は除く
  5. 従業員501人以上の企業
この適用範囲については「2019年9月30日までに検討を加え、その結果に基づき必要な措置を講じる」とした。
民主党原案の収入要件月収7.8万円から8.8万円への引き上げ、従業員301人以上から501人以上への拡大、実施時期の先送り、といった自民党の要求が通ったために、法案は現実的な内容に近づいた。しかしそれでもなお、企業の雇用ポリシーと非正規雇用者の働き方の実情から見てうまくいきそうにない。
まず肝心の短時間労働者が、これを喜んでいない。社会保険の適用拡大について短時間労働者への各種調査では大半が「反対」か「おおむね反対」だ。なぜか。
月額賃金10万円でパートとして働く、ある会社員の妻が言う。
「(社会保険の適用が拡大されると)これまでは夫の健康保険の被扶養者だったが、そこから外れてしまい、年間で約9万7000円、月間約8000円の社会保険料を負担しなければならなくなる。将来、年金額は厚生年金になった分増えるが、現在の手取り収入は減ってしまう」
つまり、現在の負担が将来の受益を上回る、というのである。そうなると、もし、加入しなければならなくなった場合は、労働時間を減らすとか働き方を変えなければならない。労働と生活のあり方を変えるという冒険を余儀なくされることになる。

ここに、現行制度内の社会保険改革の難しさが浮かび上がる。職業別に社会保険が創設されてきた経緯から、職を変えることで受益と負担の関係がややこしくなり、生活が脅かされる可能性が出てくるのだ。
しかも厚生年金の場合、保険料負担は本人と企業が折半するから企業も黙っていない。外食産業では、従業員の九割がパート・アルバイトで占められる職場も多い。
厚生労働省『労働経済白書』によれば、非正社員を雇う理由として企業の8割強が「労務コスト削減」を挙げている。長期デフレ不況下のパート労働者への厚生年金適用拡大は、新たな重荷を負わせることになるのだ。
企業側から見ると、年金保険料の負担は法人税以上に重い。ある中小企業経営者が説明した。
「法人税は赤字か繰越欠損の場合は納めなくて済む。ところが年金保険料の方は、正社員を雇っている限り業績に関係なく払い続けなければならない。負担は恒常的で、ずっしりと重い。正規雇用には慎重にならざるを得ない」
つまり、競争にさらされる企業、とくに外食のようにパート雇用の比率が高い産業では、社会保険の適用拡大は死活問題となるのだ。

厚生年金適用に「損」のケース

パートタイマーの多くが、厚生年金適用拡大に二の足を踏むのは、クビ切りや労働時間のカットによる収入減の不安からだけではない。前出のケースのように、現在の労働時間のまま厚生年金に加入したとしても、得をするとは限らないからだ。
このことは厚労省の試算も裏付けている。同省は、(1) 独身女性(21歳) (2)自営業者の妻(41歳) (3)会社員の妻(41歳)が、それぞれ月収8万円のパート勤務をしていて、(1)が今後10年、(2)と(3)が今後20年、勤務を続けると仮定。厚生年金加入によって年金保険料負担と年金受給額がどう変わるかを試算した。
すると、「保険料負担は減り、受給額は増える」というラッキーな結果が確実なのは(1)の独身女性と(2)の自営業者の妻。(3)の会社員の妻は、現在は国民年金第三号被保険者(厚生年金第二号被保険者の配偶者)として保険料を免除されているが、自らが厚生年金に加入すれば保険料を払わなければならなくなる。年金受給額が将来引き下げられる懸念もあり、受給が負担を上回って得になるかどうかは不透明だ。

筆者の知人で、パートをしている会社員の妻は、こう語った。
「厚労省の試算で有利になると言われても、私は厚生年金加入を希望しない。将来、いくら受給できるか分からないのに、月々の手取りを減らすわけにはいかない」
堅実な生活態度ではないか。イソップ寓話にあるように「将来の不確実な年金収入の希望よりも、現在の確実な収入を重視する(Do not throw away present surety for future hopes)」というわけである。
厚労省の試算で「確実に有利」とされた独身女性や自営業者の妻にしても、実際は不利になる可能性がある。現在、国民年金保険料を払っている人であれば、厚生年金加入で保険料負担が減るが、国民年金保険料を払っていなければ、新たな負担が生じることになるからだ。しかも試算通りに将来の年金が支給されるかについては不透明で不安がある。

ここで一つの疑問が生じる。企業も反対、短時間労働者の多くも反対。では、厚労省はなぜ、厚生年金適用拡大にこれほど執着するのか。
理由は簡単だ。
現行の年金制度の枠内で未納問題を改善し、正社員と非正社員の年金格差を是正し、制度自体を強化するには「厚生年金の拡大が手っ取り早い」と見るからだ。
保険料を取りはぐれないようにするには、厚生年金のベースを拡大するに限る、という考えが根底にある。保険料を社員の給与から自動的に天引きする厚生年金ならば、取りはぐれはない。国民年金保険料の確保はままならない。ならば取りはぐれない厚生年金に加入させればいい―厚生年金拡大至上主義である。

これは国民年金の空洞化を厚生年金で穴埋めしようという考えだ。その実態は「厚生年金による国民年金への財政支援」にほかならない。
だが、この考え方には限界がある。ムリに厚生年金を拡大しようとすれば、前述したように、加入が不利に働くケースが続出するからだ。保険料納付を折半する企業の協力も得られない。弥縫策の限界が表れたのだ。もはや目くらましの政策では効果は目に見えている。国民の年金不信・不安は解消できず、年金離れは止められない。
職業別に分立し、複雑な様相を呈する公的年金制度。これを一元化し、共通制度にした上で、一から制度設計を考える抜本改革を考え出し、「生きがい年金」を創る。ここにしか、問題解決の道はない。




(図1)平均給与及び前年伸び率の推移  
出所)国税庁ホームページ「民間給与実態調査」

(図表2)給与階級別給与所得者数・構成比
出所)国税庁ホームページ「民間給与実態調査」