■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
短期集中連載(全4回)「特定秘密保護法に公益性はあるか」(1)

(2015年4月13日)

公益に資するべき法律が、国家秘密を拡大し、官僚の支配力を強める手段に使われる―。2014年末に施行された特定秘密保護法は、国民の知る権利を侵害する戦後最悪の部類の法律と言える。国家の秘密を官僚の裁量で増やし、民主国家の情報公開の流れに逆行する情報統制への道を開くからだ。この法律の限りない危険性を、福島第一原発事故、沖縄密約事件、「たちかぜ」自衛官自殺事件の3事例をベースに検証する。

秘密法の危険な特性

特定秘密保護法(正式名称「特定秘密の保護に関する法律」)が2014年12月10日に施行された。安倍政権はこの1年前に盛り上がった批判と反対を押し切り、法案を強行採決して2013年12月6日に成立させた。同法は運用の仕方で憲法で保障された「言論・表現の自由」を封じ、行政の不正を隠蔽する危険性を秘める。最も懸念される運用ケースを考察してみよう。
はじめに法律と公益性について取り上げる。法律は本来、憲法の下、国民の自由、利益、福祉に資するべきものである。すなわち国民の「公益」に適うべきものだ。
特定秘密保護法に関して言えば、そもそもこの法の仕組み自体が憲法に照らして妥当か否かが問われる。国の安全保障に関し特定の情報を秘匿する必要は認められるが、問題はその範囲、「特定秘密」の指定法、管理運用法の妥当性である。さらに運用の仕方を国民の側から検証・監視する監視機能の実効性が問われる。
国家の特定秘密を取り扱う法律が、国民の基本的権利である「知る権利」や「表現の自由」を侵さないかが、究極的に問われる。この法が知る権利や表現の自由を侵すことが明らかなら、公益性に反すると言わざるを得ない。

歴史上、国家権力が暴走して公益性に反する法律が現れることがある。戦前の治安維持法や国家総動員法はその典型例と言える。
その「反公益性」の特性は、国民の思想・言論・表現の自由をことごとく奪うところにある。これらの悪法の眼目は、国家の支配を強化するための情報統制にあり、国民から知る権利を奪い、盲目にさせてしまう結果を招く。
“反公益法”に共通する理念として、国家至上主義が挙げられる。これは「国民主権」の国民主義とは相容れない。この国家主義が自己拡張を目指して「ウルトラ国家主義」と化して暴走する時、戦争の危険が現実化する。
この視点から、特定秘密保護法は治安維持法の21世紀改訂版と見ることができよう。「特定秘密」の恣意的な指定による行政情報の隠蔽と情報統制、罰則の強化とあいまって公務員の内部告発や記者、市民らの取材活動の委縮・抑制を必然的にもたらすからである。
情報は「お上」が認める範囲でしか伝えられない。報道機関は政・官の発表情報をそのまま報道する発表ジャーナリズムに染まっていき、政権に不都合な調査報道は排斥されるか自己規制してしまう。そうなった時、政治と行政に関する国民の知る権利は抹消され、秘密を増やす政府を前に国民は真相を知ることができない。こうして政府権力の際限ない暴走への歯止めが外される。

ここで特定秘密保護法の骨格部分を吟味してみよう。それは防衛、外交、スパイ(特定有害)活動、テロ防止の4分野において国の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要な情報の漏洩防止を図ることが目的、とある。
次に、誰が「特定秘密」を指名し、管理するのか。
もっぱら行政機関の長である。すなわち省庁の大臣や警察などの長官である。行政から独立した第三者機関が関与することはない。府省庁の国家官僚が事実上、特定秘密の指定、管理と法の運用、秘密取扱い者の適性評価と選定といった全権限を握る。
安全保障上の理由から、何が「特定秘密」に指定されるのか。行政機関の長が「指定相当」とみなせば指定が決まる。官僚トップの一存で特定秘密情報とされ、国民の目から遮断される。「何が特定秘密か。それは秘密だ」となり、国民は秘密の内容を一切知らされない。こうして官僚が法律を恣意的に運用し、秘密を果てしなく増やす恐れが強まる。
特定秘密に指定する期間は、原則5年。ただし5年ごとに延長できる。上限で30年まで延長可能だ。これは米国の25年、英国の20年より、5年から10年長い。しかし、内閣の承認があれば30年を超えて最長60年まで指定できる。さらに人的情報源のような7項目の秘密については例外的に60年を超えても延長できる。
その例外規定には「政令で定める重要情報」も含まれる。政令は官僚が作り、国会の審議にかけなくてもいい。内閣の承認さえあれば通る。つまり、行政機関が重要情報だとして政令で定めさえすれば、これを閣議決定して秘密を永久に公開しないこともできる。国民はこの秘密の中身を未来永劫知ることがない。
増え続ける不都合な特定秘密をどんどん廃棄してしまう危険もある。不都合な真実を隠すための廃棄による情報隠蔽だ。法が定めた指定要件を欠いた場合の「解除」を飛び越して「面倒を起こさないよう」廃棄してしまう恐れだ。

法律に反して情報漏洩した場合の刑罰は、どうなっているか。
考え方は重罰主義による漏洩防止である。秘密を漏らした公務員や民間業者は最大10年の刑罰が科せられる。現在、一般公務員が守秘義務に違反した場合「1年以下の懲役」だから、これに比べ10倍に重い罰となる。自衛隊法の軍事秘密漏洩規定による「懲役5年以下の罰則」に比べても、その倍の重さだ。
見逃せないのは、特定秘密とされる情報を手に入れようとしたとみなされた者は、共謀、教唆(そそのかし)、煽動(あおり立て)などの罪で各「最大5年」の重罰を科される可能性である。
「特定秘密」の内容は指定した行政機関しか知らないから、知らずに特定秘密に近づいたジャーナリストや市民も危険にさらされる。公務員などの情報源と「共謀」して秘密情報を盗んだとか、「その情報を教えてくれ」とそそのかした(教唆)、あるいは「さあ、この情報を公開しろ」と迫ってあおり立てた(煽動)と公安当局がみなせば、逮捕の危険が迫る。
こんな状況下で、取材する方もされる側も身の危険を感じ、萎縮してしまう恐れが強まる。ジャーナリズムの側からすると、秘密を知ろうとあの手この手で迫ったり、言うべきだと煽ったりすると危ない。記事にする場合は、ニュースソースの公務員や業者が秘密漏洩の罪に問われる恐れが出てくる。
あれやこれやを考えると、記者もデスクも気が重くなる。調査報道に及び腰となり、権力の横暴に対して自己規制し、報道を控えたり、遠慮がちのトーンとなる可能性が高まる。
公務員は、行政の不正や失態、予算のムダ遣いを目の当たりにしても、内部告発(通報)をためらうケースが増えるのは必至だ。内部告発は必然的に抑制され、行政の自浄能力は低下していく。
結果、政府は自らを閉ざしていき、国民の知る権利は閉ざされていく。これまで国民が手に入れた情報公開制度は、国家の秘密主義の前に形がい化する恐れが濃厚となる。

特定秘密を取り扱う公務員らは、どんな基準で選ばれるのか。
役所の「適性基準」によってである。ところが、この評価基準に大きな問題がある。精神疾患の有無、通院歴、睡眠薬を含めどんな薬物を使っているか、とか、飲酒の節度(酒グセ)、財産や借金状況といった信用・経済調査がなされる。さらに自分の配偶者や父母、子、兄弟姉妹、同居人の国籍までも過去にさかのぼって調べられる。
いずれの調査もスパイ活動およびテロ防止対策が名目だ。配偶者の家族にまで国籍調査を広げているのが目を引く。この過激なまでの身辺調査は、所管の公安警察の特定秘密保護法への異常な肩入れぶりを物語る。同法はもともと内閣に置かれた情報機関「内閣情報調査室(内調)」が立案・作成したのである。
この適性評価も、特定秘密取り扱い者の公務員に相当なプレッシャーを掛けることは必至だ。プライバシーにこれほど立ち入られ、しかも公的記録に残されるとなると、逃げ出したくなる気持ちにもなろう。
適性評価は特定秘密を扱う民間業者の社員とか独立行政法人や公益法人のような外郭団体職員にも実施されるから、中には配置換えを希望したり、依願退職する人も出るかもしれない。そうなると困るから、上司が勝手にウソを書いて役所に提出する、ということもありうる。評価の実効性は疑わしいのだ。
秘密法は、秘密漏洩の厳しい罰則規定とあいまって、公務員とジャーナリスト双方を萎縮させ、自己抑制させることで、国民の知る権利を侵す。

監視機能も形だけ

この重大な欠陥を持つ法律に対する監視機能は、形ばかりで実質ないに等しい。
安倍政権は国会内外での猛烈な批判を受け、法律の運用を監視する機関を数多くこしらえた。だが、法的強制力で特定秘密の内容を行政機関から提示させ、誤った「特定秘密」指定を取り消すような強制力を持つ独立した第三者機関は1つもない。
秘密法の運用に関し、法律は次の監視機関を設けた。

・ 情報保全諮問会議(民間有識者で構成。内閣官房に設置)→法律の適正な運用のため統一的な運用基準をまとめる。
・ 情報監視審査会(国会議員で構成。国会に設置)→監視活動は行うが、会議は非公開。運用改善を勧告できるが、強制力はない。
・ 独立公文書管理監(部長級の検事が担当。内閣府に設置)→特定秘密の指定や管理が適切かどうかチェック。
・ 情報保全監察室(20人規模の官僚で構成。独立公文書管理監の下部組織)
・ 内閣保全監視委員会(法相をトップに各省庁次官級で構成。内閣官房に設置。事務局は内調(内閣情報調査室)→内調自らが企画立案した秘密法の監視役を務める最悪級ケース。

以上のように、監視機関の中枢部分を官僚が占める。役人が身内の役人の決める秘密を監査する形だから、「どだい効果は上がりっこない」との見方が広がる。

(2)へ続く