■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「さらばニッポン官僚社会」 |
年金は「わしらのカネ」意識/無責任国家の正体(5)
(2011年12月21日)
老後に備えた国民の年金積立金が、無断で勝手に流用されてはたまったものではない。年金を施設事業などに安易に流用した、官僚の意識に問題があるのではないか。「国民の資産」で、国民に直接給付される年金の特性にあまりに鈍感だからだ。
なぜ、鈍感なのか。国民のカネのはずだが、官僚は「わしらのカネ」と思い違いをしている、と考えられる。「わしらのカネ」だから、わしらの裁量で適宜、使わせてもらおう ― というわけである。この思い違いには、それなりの根拠がある。官僚にとって「使い勝手のいいカネ」が手元にあるからだ。
そのカネとは「特別会計(特会)と財政投融資(財投)資金」だ。
特別会計とは、外交、教育、防衛など一般会計で経理される国の基本的な経費と分けて、特別の必要から各省庁が区分経理している会計。財政投融資とは、税金とは別に政府の下に預託されたりして集められた各種の資金を使って、財務省が政策的必要から特殊法人などに行う投融資のことだ。
年金保険料の膨大なムダ遣いは、この両制度 ― 特会と財投を通じて連綿と続いた。
厚生年金と国民年金の保険財源は、厚生労働省所管の「年金特別会計」で経理されている。年金特会は、戦時下の1944年に労働者の厚生年金保険事業や健康保険事業を経理するために設置された厚生保険特会が前身だ。 61年に自営業者などの国民年金事業を経理するために国民年金特会が設置され、86年に各制度共通の基礎年金制度が導入される。2007年に、厚生保険特会と国民年金特会が統合され、年金特会が設置 ― という経緯がある。
つまり、年金は67年前の誕生以来、ずっと省庁が管理する特別会計で経理されてきたのである。ということは、厚労省が年金保険料の徴収・給付、積立金の管理と運用、一般会計からの国費受け入れなどを行い、経理してきた責任官庁 ― ということだ。
国民の財産をムダ遣いし続けてきた
この管理体制から官僚の間に、年金を「自分たちが扱っているカネ」という意識が当然、生まれる。だが、この意識が高じると、おかしくなる。
厚労省OBがこう語る―。
「自分たちが扱う年金を、自分たちのカネのように勘違いして流用してしまったのではないか」
年金特別会計は、超巨額の積立金を持ち、毎年、これを財源に予算を確保して使う、となれば、「わしらのカネ」意識が省庁に蔓延しても不思議でない。
しかし、官僚の「国民のカネ」意識は、年金積立金の財務省への預託によってさらに希薄になる。どういうことか。
2001年に自主運用が始まるまで、年金積立金は郵便貯金と共に大蔵省(現財務省)資金運用部に全額預託する義務が課されていた。 グリーンピア事業を例にとると、厚労省は年金事業計画を達成するため、毎年度、全額預託した大蔵省の財投資金から資金を借りて財源にしていた。 つまり、厚労省が国民から徴収した年金保険料をいったん預託することで、財投資金に化ける。このあと、財投資金から借金して手元に戻し、事業資金に使う、という回りくどい方法をとっていたのである。
そうなると、年金資金は最後は「国からの借金」に変わるから、マネーロンダリングのように「国民のカネ」という観念は当事者の官僚からすっかりぬぐい去られてしまうのだ。
このようにして、「わしらのカネ」意識が醸成されていった、と考えられるのである。