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<番外篇>被災地域の復興現場から稀薄化するものと新たな期待/真価問われる東日本大震災の教訓を生かした防災対策
(2019年4月25日)( 月刊誌『NEW LEADER』(はあと出版)5月号所収)
未曽有の惨禍をもたらした東日本大震災から8年。今なお被災者の5万人以上が避難生活を強いられ、震災は終わっていない。 その傷跡は、同時発生した東京電力福島第一原発事故が直撃した周辺地域にとりわけ深い。近年、自然災害が勢いづく中、この大震災と再建の教訓を記憶に刻んで生かし、次に備えなければならない。
震災で繋がれた人の優しさも 復興住宅での自殺は仮設の2倍も
原発立地自治体で全町避難が続いた福島県大熊町。4月、町面積の4割を占める地区の避難指示が解除され、14日に移転した町役場の新庁舎が開庁した。 帰還住民の一部と原発廃炉作業員ら新住民が移り住む。町再生の一歩を印したが、なお1万人以上の住民が避難を続ける。町の旧中心部は依然、帰還困難区域に指定され、人が住めない。
大熊町役場から10キロほど南の楢葉(ならは)町中心部。1年前に比べ見違えるほどの復興ぶりだ。昨年6月にオープンした「ここなら笑店街」は、春の日差しを浴びて買い物や食事を楽しむ人が訪れる(写真1)。 スーパーから買い物袋を下げて現れた主婦は、約25キロ北の浪江町の災害公営住宅(復興住宅)に住む。「(スーパーのない)浪江では買えないから、ここまで来る」と明かした。
(写真1) 楢葉町 昨年6月にオープンした「ここなら笑店街」のスーパー
楢葉町役場によると、3月中旬までに原発事故で一斉避難を余儀なくされた住民約7000人の半数を超える3650人が帰還した。うち約300人は新しい転入者。 2年前に開校した小・中学校に計約100人。認定こども園の園児は1年前の55人を大幅に上回る80人に上る。園児の増加は、仮設住宅を出て自宅を建てたい子持ち定住希望者に、一世帯当たり100万円を支給する町独自の支援策が後押しした。
3月、常磐自動車道にETC専用の「ならはスマートインターチェンジ」が開通した。4月には、「サッカーの聖地」と謳われたJヴィレッジがグランドオープン。来年3月26日には東京五輪の聖火リレーをここからスタートさせる。
被災した市町村の公共インフラの復興は、どこもおおむね順調に進む。楢葉町の場合、復興の三本柱「仕事・教育・住宅」も、改善の途上にある。
昨年7月にオープンした「交流館」。掲示している“町民の声”の中で、ある30代の主婦が、仮設住宅時代に夫と結婚し、幸せな家庭を築いたと語る。そして仮設住宅生活を回想する。「4年間感じ続けた人の温かさ、やさしさというかけがえのない宝物は、震災によって繋がれました」
今、復興住宅で問題になっている自殺の増加。仮設住宅のおよそ2倍に上ることが分かった。人とのつながりの希薄化が一因、と指摘される。語り合いの大切さが浮き彫りとなる。
“浪江復活”は新産業で 飯舘村には原発事故の残滓
原発周辺の町で最大だった浪江町。被災前、約2万1000人いた住民のうち帰還者は910人にとどまる(2月末時点)。町役場によると、道路、上下水道、除染といったハード面の復興計画は順調だが、生活ソフト面のスーパー、薬局、病院がまだ一つもない。 わずかに3店のコンビニや小さなショッピングモール、商店、飲食店が点在する程度。
1年前、役場の復興担当が「仕事、教育、医療の3分野に不安がある」と言っていたことを思い出した。しかし、スローペースだが、町は着実に再生に向かっている。 再生には若い世代の帰還が欠かせないが、その指標となる小学生はこの4月に14人、中学生2人の計16人。前年より6人増えた。
生徒を教育する「なみえ創成小・中学校」は昨年4月に開校(写真2)。馬場隆一・小学校校長は「少人数教育の良さを生かしている」と話す。 成果として、生徒の発信力が育った。教育法はたとえば、音楽や体育は小・中学生が一緒にやる。全員参加の交流で世代間の相互理解と連帯感が育まれているという。
(写真2) 浪江町 「なみえ創成小・中学校」。小、中学生16人が学ぶ (写真3)飯舘村 無数に並べられた「フレコンバッグ」。約3年も仮置きされている
浪江町が描く再生シナリオの主役は、新エネルギー産業だ。同町沿岸部の産業団地で進める「水素プロジェクト」。国立研究開発法人、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が主導し、東芝エネルギーシステムズ、岩谷産業、東北電力などの協力を得る。 世界最大級の出力10000キロワットの水素製造装置を備えた水素エネルギーシステムの構築を目指す。装置は、太陽光発電で水を電気分解し、二酸化炭素(CO2)を排出せずに水素を作る。発電から製造までCO2排出はゼロ。
製造した水素を使って、1日当たり約150世帯分の電力を、燃料電池車なら約560台分の燃料を供給できる。水素の用途は、電力会社や燃料電池車、バス向けの水素供給ステーションなど。20年の東京五輪での登場を目指す。プロジェクトは、順調に進む。
もう一つの町の期待が、今年夏に予定される大手スーパー、イオンの開業だ。スーパーの登場で、楢葉まで車で買い物に遠出する必要はなくなる。町の主婦の一人に「何か、いい話は?」と聞くと、即座に「イオンのオープン!」との答えが返った。
浪江町北西から内陸へ入ると飯舘(いいたて)村に。避難指示が2年前に大半の地域で解除された。全面積の7割強を山林が占める。
車を走らせ、新設された立派な村役場から近くにある唯一の飲食店のうどん屋に向かう途中だった。異様な風景に出くわして息をのんだ。広大な野原一帯に、汚染土を入れた黒いフレコンバッグ(フレキシブル・コンテナバッグ)がシートに包まれ、無数に並べられている(写真3)。 大熊町に設けられた中間貯蔵施設に運ばれるまで、こうして県内各地に仮置きされているが、これほど巨大な集積現場は見たことがない。のちに環境省のデータを調べたところ、仮置き場所、個数ともに最大なのが、この飯舘村だ。 村は外からの移住者受け入れに熱心だが、訪問者の多くはこの光景を見れば尻込みしてしまうだろう。
村役場の説明も奇妙だった。被災前、6300人いた住民は今年1月末で5685人と公文書にある。ところが、住民票は持つが、実際の居住者は約1000人と係員が明かした。ほとんどの人は福島市など村外の、車で1時間圏内から通っているという。
ハコもの先行の形だったが、復興がようやく息吹いてきた。昨年春に地元での授業を再開した飯舘中学校が3月、8年ぶりに村での卒業式を開いた。式には卒業生22人が出席し、1人ずつ将来の抱負を述べた。
住民の心を乱す 堤防強化か高台移転か
浪江町の北に広がる南相馬市。2016年7月に原発事故による小高(おだか)地区の避難指示が解除されて以降、復興がピッチを上げる。居住人口は約6万1000人と被災前の85%に戻した。 公共インフラはほぼ順調に整備され、懸案の防潮堤も今年度末までに完成を予定する。復興を持続させるには、若者人口の増加と子育てがポイントだ。
市が2014年に実施した保育の無料化で、乳幼児人口は震災前の約6割に回復。一方、小・中学生は原発から20キロ圏内の小高地区の落ち込みが依然続く中、今年1月末時点で77%に回復した。 市の掲げる未来の復興イメージは、「ロボットの町」。福島イノベーション・コースト構想に基づき、県が主導する「福島ロボットテストフィールド」事業に加わる。 物流やインフラ点検、大規模災害に対応するドローンやロボットの開発を目指す研究拠点と試験場を4年間で整備する計画だ。ドローンの滑走路建設は、隣の浪江町が担う。
市は小高地区の住民を元気づけるため今年1月、「小高交流センター」をオープンし、市民の語り合いの場を提供する。南相馬の復興はここにきて活況を呈する。
大震災の津波で不通になっていた岩手県海沿いのJR山田線宮古―釜石間(55.4キロ)が3月、経営移管された第三セクターの三陸鉄道の手で開通し、8年ぶりに運行を再開した。 これにより、福島、宮城、岩手の被災三県で鉄道が不通のままなのは、原発事故の被害を大きく受けた福島県内のJR常磐線浪江―富岡間のみとなる。これも20年3月末までに開通の見込みだ。
東日本大震災からの復興は、公共インフラに関しては総仕上げの段階に入り、今後は仕事の創出と生活ソフトの充実、生産人口回復がカギとなる。
被災市町村の中でも、原発事故の影響の大きさで傷の程度と復興の仕方が変わる。原発事故の影響が小さく、津波の被害が甚大だった宮城、岩手両県の場合、津波からの安全確保が最重要なテーマとなる。
津波からの安心・安全づくりは、「防災まちづくり」にかかわる。防潮堤をもっと高くするか、高台をつくって家を移転させるか―。住民の心は乱れるが、なんとか合意にこぎつけ町を再建しなければならない。
「津波の常襲地帯」ともいわれる三陸沿岸。古くから漁港として栄えた岩手県宮古市田老地区は、悩ましい防災まちづくりに答えを出した。
田老は「万里の長城」と呼ばれる長大な防潮堤で知られた。明治と昭和の2度にわたる三陸沖大津波で壊滅的な被害を受け、町全体を囲む総延長2.4キロ余、高さ10メートルの防潮堤を45年かけて三つも築いた。
しかし3.11大津波は、堤防の全てを乗り越え、市街地を押し流した。
田老は防災まちづくりに向け結局、「市街地のかさ上げと防潮堤の一部強化」を決めた。高台団地を浸水地域に造成し、家を失った住民を移転させる。 さらに三つある防潮堤のうち海沿いのを従来の高さ10メートルから14.7メートルにかさ上げした(陸側の二つは10メートルに据え置き)。 田老の役場の話では、現在、建設した高台住宅の9割は入居者で埋まった半面、かさ上げした平垣部の住宅建設は想定より遅れる。
大津波が再び襲来したら、どう逃げるか。地元では、家族を迎えに行ったりせずに、個々にその場から逃げる「てんでんこ」の大切さが語り継がれる。
南海トラフと首都直下地震 教訓はどう生かされるのか
日本世論調査会が2月に実施した全国世論調査によると、居住地域で地震や豪雨といった自然災害に遭う恐れを感じている人が、77%に上る。2年前の調査結果より15ポイントも上昇した。
危機意識が深まった背景には、昨年夏の西日本豪雨や北海道地震などの発生と共に、災害予測に関する最新調査報告が相次いで発表されてきたためだ。
災害予測の中で、とくに“要警戒”が、南海トラフ地震と首都直下地震である。マグニチュード(M)8〜9級の巨大地震となれば、おびただしい数の犠牲者が出る可能性が高まる。 東日本大震災では、平安時代に起こったM8級の貞観(じょうがん)津波の前例が顧みられずに、被害を巨大化した。
南海トラフ巨大地震が起こる可能性は「30年内に70〜80%」(中央防災会議)とみられている。過去にM8級地震が繰り返し発生したためだ。最後に発生した昭和南海地震(M8.0)は1946年。 その前の安政地震から92年後に発生し、それまでの100〜200年程度の周期より間隔が短くなった。
過去のケースでは、何度も震源域の東西で間隔をおいて地震が連続発生している。初回から7日以内に発生する頻度は10数回に1回程度に上る。 とくに被害を大きくしそうなのが、「半割れケース」だ。震源域の岩盤の半分が割れて地震を起こす。 中央防災会議は昨年12月の報告で、M8.0以上の半割れ型地震が南海トラフの東側で発生した場合、西側も連動して甚大な被害をもたらす恐れがある、と警告した(図1)。 対策をとらなければ、想定される被害は死者約32万3000人にも上るという。
政府は3月、南海トラフ地震が発生する可能性が高いと判断された際に自治体や企業が取るべき防災対応の指針を公表した。巨大地震の予兆の可能性を観測すると、気象庁が「臨時情報」を出す。 危険な半割れケースでは、地震がまだ発生していない半分側の地域にも1週間の避難勧告を発令する、などを求めた。
防災対応を進める和歌山県は、とりわけ津波の危険を重視する。紀伊半島南端の串本町ではM9.1の巨大地震に襲われた場合、「最大津波高17メートル、津波波高1メートル到達時間3分」と試算。防災インフラの整備に加え、来たら「逃げ切る」を強調する。
東京都民、首都圏住民を直撃するM7クラスの首都直下地震。その発生確率は、「30年間に70%」と中央防災会議は推定する。M7級の地震発生で被害想定は死者が建物倒壊などで最大約1万1000人、市街地火災で約2万3000人出ると推定。 停電や交通マヒ、生産停止などで経済的被害は約95兆円にも上るとみる。
中央防災会議によると、津波については東京湾内で津波高は1メートル以下と心配ないが、問題は首都中枢機能と超過密都市を襲う地震被害の深刻さだ。 1923年の大正関東地震(関東大震災)では、M8.2級が襲ったが、M8クラスの地震発生は200年〜400年の間隔とみられ、当面このようなタイプの巨大地震が発生する可能性は低いとする。 代わって押し出されてきた可能性は、M7クラス地震の複数回発生だ。新たに明らかになった課題を念頭に、政府全体の業務継続体制の構築や情報収集・集約、発信体制の強化に加え、建物の耐震化や火災対策などを訴える。
東日本大震災の教訓を生かした防災対策は、これからが真価を問われる。福島県が3月に公表した津波の浸水想定区域図は、最悪の事態を前提とし、浸水域は震災時より三割も拡大した。 「想定外の事態」を二度と起こさないための最新のリスク情報だ。独自の想定でハザードマップを作成していた自治体は見直しを求められる。
今後の課題は、最悪リスク情報の周知徹底に加え、市民の防災意識の向上だ。昨年7月の西日本豪雨で河川が決壊した岡山県倉敷市真備町では、決壊時に想定される浸水域を示した市の洪水ハザードは、実際の浸水域とほぼ重なった。 だが、51人の死亡者を出した。のちに市民への聞き取り調査で「マップを見たことがある」との回答は約3割に留まり、市民の大半はマップを知らなかった。
行政は防災対策のレベルを引き上げ、住民は自然の暴走に一層慎重に備える必要がある。
(図1)南海トラフ沿いで発生しうる巨大地震のケース 出所: 内閣府「南海トラフ沿いの異常な現象への防災対策検討ワーキンググループ」