■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
<番外篇>「トヨタ危機」の真実/コミュニケーション不足と電子部品の「複雑化」

(2010年3月25日)

トヨタ自動車の大規模リコール(回収・無償修理)問題には、二つの大きなポイントがある。社内や顧客とのコミュニケーション不足と、自動車製品の電子化に伴う過剰な「複雑化」だ。豊田章男社長が米議会の公聴会での証言を乗り切ったことで事態はひとまず大きな山を越えたものの、欠陥問題の原因究明は容易でなく、厳しい状況は長期化しそうだ。
生産現場での負荷が一定限度を超えると、製品に問題が一挙に噴き出す―。トヨタの今回のリコール問題は、まさしくこの法則性を体現することとなった。

速すぎた業容拡大テンポ

豊田社長は2月24日の米下院の公聴会で次のように述べ、同社の急成長に安全対策や品質管理が追いつかなかったとの認識を示した。
「トヨタは過去数年間、急激にその業容を拡大してきたが、正直に言って成長スピードは速すぎたと感じている。トヨタは伝統的に次の優先順位に従って経営を運営してきた。一に安全、二に品質、三に量だ。この優先順位が混乱し、以前にやったように、立ち止まって、考え、改善を行うことができなくなっていた」

速すぎた業績拡大のテンポに、トヨタ伝来の「カイゼン」が追いつかなかった、というのである。クルマづくりを急いだあまり、安全と品質の管理がおろそかになった、その結果、リコールに結び付くアクセルペダルが戻らないような考えられない事故が発生した、とみなしたのである。
これが豊田社長の大規模リコールの背景に関する基本認識である。たしかに同社の業容急拡大に技術改善がついていけず、品質の欠陥を招いたわけだが、今回のリコール問題を大きくしたのは、トヨタの対応のもたつきであった。
トヨタはなぜ、こうも対応に遅れをとったのか。

豊田氏の証言の前日、米議会の公聴会で証言した、トヨタの米販売子会社のジム・レンツ社長の問題認識が的を射ているように思われる。レンツ社長は、問題の最大原因について次のように語った。
「ここ数カ月、われわれは顧客の高い期待に応えてこなかった。・・・安全を脅かす深刻な問題を掌握するのに時間がかかりすぎた。社内や規制当局、顧客とのコミュニケーション不足により問題がこじれた」
コミュニケーション不足から対応が遅れ、問題をこうまで大きくしてしまった、という認識である。

事実、大規模リコールに発展した「予期せぬ急加速」問題へのトヨタの対応は、異常なくらいにもたついた。アクセルペダルがフロアマットに引っ掛かる恐れから、米国でレクサス「ES350」など二車種で計約5.5万台のリコールを発表したのが07年9月。昨年8月にはカリフォルニア州でレクサス暴走による4人の死亡事故も発生した。以後、全米で800万台を超えるまでにリコール規模が急拡大していく。
ところが、豊田社長は米議会の公聴会で「急加速の問題をいつ知ったか」との質問に、「昨年末頃」と答えている。明らかに遅すぎる問題の認識だ。

豊田氏が社長に就任したのは昨年6月。クレーム処理を佐々木真一副社長(品質保証担当)らに任せていたこともあって、任せきってコミュニケーションが稀薄になったか、不都合な情報が上がってこなかった可能性もある。
豊田社長はリコール問題の表舞台に現れなかったため、問題解決に消極的だとみられ、時がたつにつれ「欠陥車隠し」の疑いも浮上してきたのである。
レンツ氏の指摘するように、コミュニケーションに問題があったのだ。

険悪な空気を一変

リコール騒動から食品の偽装表示に至るまで、あらゆる製品問題の根っこに、コミュニケーション不足あるいは不通がある。
「話しても分かってくれない」「対応してもらえない」となると、当事者に不満のマグマがたまり、爆発の機会をうかがう。
トヨタの場合、豊田社長がキャピトルヒル(米連邦議会)に登場する2月24日には、過熱した報道合戦はピークに達していた。トヨタ最高責任者の対応次第で、議会のイライラが爆発してもおかしくなかった。
今年11月の中間選挙を控え、議員らはトヨタ追及で手柄を誇示したい思惑もあった。
豊田社長は、この正念場で議会とコミュニケーションが通って険悪な空気を巧みに変えたのである。

証言後、米国人の友人は「トヨタ社長の誠意を感じた」との評価を筆者にメールで知らせてきたが、インターネット調査でも判明したように米国民はおおむね好意的に受け止めた。この証言を境に、米マスメディアの激しいトヨタバッシングは下火になる。米紙ニューヨークタイムズの一面の主役は、折からの猛吹雪にとって代わられた。
議会証言の成否を分ける要素は、三つあった。一つは、「失敗を率直に認めて出直す」印象を与えること。二つめは、謝罪と取り組み姿勢で誠意と「人間味」を示す。そして三つめは、原因と対策について明確な言葉で語り、トヨタへの安心感を与えることである。
この三要素を満たした証言を急ごしらえして、悪化の一途だった事態はようやく改善した。このことは逆に、初動のコミュニケーションの大失敗を浮かび上がらせる。初動時に、社長自らが公式の場に現れ、対策を表明していれば、これほどまでに問題は深刻化しなかったはずである。

社長の「情報疎外」

レンツ氏がトラブルを大きくした原因に「コミュニケーション不足」を指摘したのには、十分な根拠があった。前述したように、豊田社長は「急加速問題」を知った時期を「昨年末頃」と答えているが、この時期には重要な意味がある。なぜなら、昨年の12月15、16日にかけ来日した米運輸省高速道路安全局(NHTSA)の担当官が国交省とトヨタなど自動車3社を安全問題の調査で訪れているからだ。
これについてレイモンド・ラフード米運輸長官は、米上院での3回目の公聴会で、次のように発言した。「当局が調査で日本に行くのは初めてで、通常ではないことだ」。このころ、長官自ら豊田社長と電話で話し「この問題は深刻だ」と伝えている。
豊田社長が急加速問題を知ったのは、米運輸長官から指摘を受けた時期と重なる。ということは、同社長はこの問題をその時まで知らされていなかったという、驚くべき「情報疎外」の状況だったことを意味する。

ニューヨークタイムズによれば、アクセルペダルが戻らない事故はすでに08年末に英国とアイルランドで発生していた。これを受け、トヨタは欧州の販売車に対しては昨年8月から今年1月までに生産工程で技術改良し、部品交換したが、米国車には何ら手を打たず、今年1月下旬になってリコールを連発している。
米国のトヨタ幹部は米国で急加速問題を知ったのはカリフォルニア州での死亡事故後の昨年10月と言明しているが、「ここが重要な問題となっている」と同紙は指摘した。欧州では約1年前に急加速事故が発生したことを把握していたのに、米国では事故が起こるまで放置していた疑いがある、というわけだ。欠陥車隠しの疑惑である。
これに対し北米トヨタの稲葉良み社長は2月24日の米下院の公聴会で「欠陥車隠しではない」と否定した上で「本社データベースには入っていたが、欧州で知ったことを米国のために役立てる情報共有を正しく行っていなかった」と認めた。そして欧州で起こっている事態を北米トヨタが知ったのは今年1月になってからだ、と明言したのだ。
こうしてみると、トヨタ社内にコミュニケーションが働かず、社長には必要な情報が届かず、欧州と米国部門間に情報共有が全くなかったことが分かる。人体にたとえれば、末端の痛みを頭脳が知覚せず、両手で必要な動作なのに片方しか動かないような案配だ。会社のコミュニケーションに重大な不具合があったのだ。これがクルマの不具合の「真因」であった。トヨタは深刻な「大企業病」を患っていたのである。

好事魔多し

トヨタモデルの成功を支えてきたのは、「カイゼン」を生み出した経営哲学といわれる。その基底には、社是として位置づけられてきた「豊田綱領」がある。創業者の豊田佐吉が死去したのち娘婿の豊田利三郎と長男の豊田喜一郎(2代目社長)が佐吉の遺訓を、豊田自動織機製作所内に自動車事業をスタートさせた1935年にまとめた。
五つの教えから成る同綱領の一つに「上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし」とある。現代風に言えば「社内の全員が上下分け隔てなく一致団結して業務にまじめに専念し、産業を発展させて国に報いるために成果を挙げるべし」という教えだ。
このトヨタ哲学とトヨタ式カイゼンで、2007年にはついに米GMを抜いて世界生産台数のトップに立った。リーマン・ショック前の08年3月期には、連結決算で売上高26.2兆円超、経常利益2.4兆円超を達成する。文字通り、日本企業として空前の好業績を上げたばかりか、世界企業の中でも屈指の超優良企業にのし上がったのだ。トヨタモデルは日本製造業の最高の成功モデルであった。

しかし「好事魔多し」である。絶頂期の最中に、社内に慢心がはびこったのだ。先にみたように、異例の急成長で大企業病の病巣は社内に急速に広がっていたのである。
綱領に謳った「上下一致」どころか、緊急時に社内一丸となって即応できずに、バラバラ対応となってもたついた。「顧客目線」も失い、プリウスのブレーキの苦情に対し「フィーリングの問題」(佐々木副社長)と、顧客を怒らせる説明をするほど、顧客の不安に鈍感になっていたのだ。
むろんリコール実施を遅らせたのは、コミュニケーションのまずさだけでなく、リコールを実施するかどうかの意思決定を豊田市の本社ですべて行ってきたからでもある。豊田社長は公聴会で「顧客に近い現地でリコールを判断できる仕組み」に変えることを約束した。このように、追いつめられた土壇場で、トヨタはようやく安全対策を繰り出したのである。

電子システムはブラックボックス

リコール対応は最高級車で高イメージ・高収益の北米製レクサスに続き、豊田市の堤工場のみがつくる国産ハイブリッド車のエース、プリウスに拡大した。誇りの「トヨタブランド」を直撃したのである。
トヨタ側は、公聴会などで一貫して急発進の原因がアクセルペダルやフロアマットの不具合によるもので、エンジンの電子制御システムの欠陥のせいではない、と主張してきた。
しかし、前出のNHTSAに寄せられたクレーム2000件以上のうち、アクセルペダルを踏んでいないのに急加速したり、ブレーキが踏まれた状態で暴走した例も報告されている。米国の専門家には、電磁波が電子制御システムに影響を与える可能性を指摘する向きもある。
自動車各社は走行機能と環境対応機能を高めるため、90年代末以降急速に電子制御システムを導入してきた。結果、車載半導体の使用個数は多い車でここ10年間にほぼ10倍の約100個に急増したともいわれる。自動車はいまや複雑怪奇化した「電子技術の塊」になったのである。
しかし、この電子化は危険な側面を持っていた。基幹ユニットが自動車会社では分からない「ブラックボックス」になるからだ。
トヨタは3月8日、電子制御システムの安全を証明するため、アクセルペダルの踏み具合に応じてエンジンの弁(スロットル)の開閉を制御する同システムの公開実験を行い、「問題はない」と結論した。
しかし、電子制御システムの誤作動がどんな状況下でも絶対に生じないといえるか。誤作動が一定の条件下で起こす可能性を実証するのは至難だ。消費者の不安が収まる兆しはみえない。