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<番外篇>「売れる・行ける」原理主義のカタストロフ/新潮「誤報」事件、雑誌ジャーナリズムに危機
(2009年5月28日)
「実名告白手記 私は朝日新聞『阪神支局』を襲撃した!」と銘打った週刊新潮の「誤報」事件は、雑誌ジャーナリズムへの信頼感を失墜させたばかりでない。新聞を含む活字ジャーナリズム全体の危機を映し出した。この危機は、売上減と広告減による「経営危機」、さらに書き手・編集者の劣化による「主体の危機」から成る。唯一、生き残りが確実にみえるテレビメディアも、映像手法ゆえにジャーナリズムを一層、感覚化・低俗化させる方向に働くだろう。
読者を「騙した」新潮
まずは、危機の性質を週刊新潮が今年2月5日号から4週連続で掲載したニセ実行犯の手記「誤報」事件からみてみよう。
鳴物入りで始まった連載は、大スクープどころか新潮側が「誤報」と認める事態に暗転した。同誌は4月23日号で、ニセ実行犯に「騙された」と事件を総括したのである。
自称「実行犯」は、オレオレ詐欺にも関与している。この詐欺のベテランに、まんまと騙された、というのである。
筆者は、新聞広告に釣られて連載1回目を購入し、結局、うさんくさいと感じながらも最後の4回分まで購入し続けた。
週刊新潮が「誤報」と認めた直後、筆者は床屋談義で世情に明るい理容師と話したが、彼は事件の推理を次のように語った。
「事件はもう20年以上も昔の話だから、真相は誰にも分からない。ならば、センセーショナルで売れるものなら、と(新潮は)突っ込んで行ったのではないか」
その通りとすれば、新潮は「騙された」のではなく、騙されるかもしれないと思いながら記事にして、結果として読者を「騙した」ことになる。
筆者の取材でも、新潮側は男の告白に確信は持てなかったが、この理容師の推理通り「真相はヤブの中」とばかりに、告白手記の掲載に踏み出したふしがある。
その根拠の一つは、週刊新潮編集長(取締役)の早川清氏の釈明だ。4月23日号で次のように述べているのだ。
「・・・その証言について取材し、『真実相当性がある』と判断し、手記を掲載した」と。
つまり、これは「真実と思えるものがあるから」掲載した、と読み替えることができよう。だとすれば、裏を取ったわけではないが、真実っぽい感触から“見切り発車”した疑いが濃い。
そこに見え隠れするのは、「売れる・行ける」原理主義である。
最初から仕組んだ「冒険」か
「売れる・行ける」原理主義と、真実を追究するジャーナリズムの職業意識とは、無縁である。むろん「真実の報道」が、政財界や国際関係を揺るがす大スクープとなり、結果的に発売部数を増やし、報道元の営業に貢献することはある。
しかし、それは真実追究の熱情に突き動かされ、苦労した末に裏を取ってモノにした成果であって、「売れる・行ける」原理主義に発したものではない。
「売れる・行ける」原理主義が暴走を始めると、往々にして報道される側の人権蹂躙とか信用損傷、営業妨害、果ては歴史の歪曲さえも考慮外となる。
1995年の文藝春秋の雑誌「マルコポーロ」事件が、この先例だ。当時、同誌編集長だった花田紀凱氏(現在、月刊WiLL編集長)は「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」と題した論文を掲載してホロコーストを否定した。直後に、米ユダヤ人団体などの抗議を受けて、廃刊に追い込まれている。
最近では、「大相撲八百長記事」裁判で週刊現代の発売元・講談社が敗訴したケースがある。裏付け調査を欠き、記事に真実性なし、と認定されたのだ。
今回の新潮事件も、この延長線上にあった。「売れる・行ける」原理主義の冒険的なカタストロフといえるだろう。
週刊新潮スタッフから直接、事情を聞いてみた。編集事情に詳しいはずのこのスタッフは、筆者に内情を次のように明かした―。
「今回のは事前に社長に掲載の話が行っていたはず。最初から四回の連載が決まっていた。通常より5万部多く刷って発売した」
「疑惑」があれば証拠なしでも突っ込む
「売れる・行ける」で企画を立て、証拠固めもせずに突っ走ったのか?これを裏付けるかのように、早川編集長は同23日号で「週刊誌の使命」についてこう語っている。
「(手記の)ミスリードによって結果的に誤報となったことは、お詫びするしかないが、報道機関が誤報から100%免れることは不可能と言える」。まずは自己弁護だ。続いて本音を漏らしている。「ましてや、週刊誌の使命は、真偽がはっきりしない段階にある『事象』や『疑惑』にまで踏み込んで報道することにある」
ここには真偽がはっきりしなくても「疑惑」があれば突っ込むのが流儀―という編集姿勢が垣間みえる。
ニセ実行犯によると、新潮以前にも、朝日新聞や週刊文春、隔週誌SAPIOにも話を持ち掛けたという。
新潮だけが「騙された」形だが、本当は「疑わしい」のを百も承知で「売れる・行ける」で暴走した疑いが浮上してきたのだ。「虚報」になる危険を知りながら突っ走った疑いである。
しかし、新潮は「被害者」であることを強調するばかりだ。ニセ手記を1回320円でつかまされた読者、事件の被害者である遺族や朝日新聞社、信頼感を損なわれた雑誌メディアに対し「加害者」としての意識はまるでない。
したがって、同誌は説明責任を今もって果たしていない。社長も編集長も記者会見を一度も開いて説明していない。4月23日号の紙面で、読者に「騙された」と“誤報”を詫びただけだ。 誤りの検証と再発防止の対策さえ本稿執筆時点まで発表していない。早川氏は4月30日発売号から編集長を交代したが、今回の「誤報」とは無関係という。わずかに、社長以下早川編集長を含む全役員の減給処分を発表して、お茶を濁そうとしている。ここに、報道モラルの退廃をみる。
前出の同社スタッフが、こう指摘した。「社長がむろん最終責任者ではあるが、(週刊誌の)編集権は独立している。社内に記事の良し悪しをチェックする機関はない」
つまり、編集長に編集のすべてが任されているのである。これが週刊誌の偽らざる現実であろう。編集長に編集権が一任されているから、紙面の出来、不出来は編集長次第なのだ。
ここで、出版不況下で売上増へのプレッシャーが高まる中、「売れる・行ける」原理主義にこり固まった編集長の、自滅するに至る大暴走も、理解可能となる。
加速する読者の“雑誌離れ”
週刊新潮事件が、雑誌ジャーナリズムに及ぼした破壊的な影響は深刻この上ない。
まず、ニセ物をつかまされた読者が、不信感からますます“雑誌離れ”を起こすのは目に見えている。
書籍・雑誌の売上高推移をみると、1997年以降、毎年、ほぼ一貫して落ち込んでいる(図1)。とりわけ雑誌の凋落が著しい。休刊誌は2007年には、一挙に200点の大台を超えた(図2)。
2008年には、ついに「現代」(講談社)、「PLAYBOY日本版」(集英社)、「読売ウィークリー」(読売新聞社)、「論座」(朝日新聞社)が休刊を余儀なくされた。さらに今年に入って「諸君!」(文藝春秋)が40年の歴史を閉じた。
いずれも大手出版社を代表する雑誌である。しかも編集方向が右もあれば左もある。雑誌という雑誌が、読まれなくなってきたのだ。雑誌ジャーナリズムのかつてない全面的な危機といってよい。ここに「ジャーナリズム失格」となる、今回の新潮事件の新たな衝撃波が加わったのである。
雑誌ジャーナリズムの衰退は、さらに恐ろしい波紋を広げる。
既存の書き手の生計と表現手段を直撃するばかりでない。発掘した真実や評論、解説、ノンフィクションを発表する雑誌が年々、減少していく。このことがジャーナルにもたらす最悪の作用は、これから台頭しようとする若い才能の「発表の場」を極端に狭めてしまうことだ。
これによって、この国から多様な考えや見方の発信や新事実発表の機会が奪われ、ライター志望の若い芽が育たずに、ジャーナリズム全般が活気を失って干からびてしまう危険が生じる。
雑誌を「新しい革袋」とし、文芸復興を図る必要
この予期される不吉なシナリオを理解するには、媒体を失う書き手の側に立ってみる必要がある。
たとえば、新事実を掘り出す特ダネ記事や解説、ノンフィクションは、日頃からの問題意識と地道な取材活動が下地になる。したがって、問題提起するまでに情報を集め、取材し、分析し、まとめる時間とカネが相当にかかる。
「新発見」をようやく手にして、これを問題提起しようとすれば、名の売れたライターでも通常、まず書こうとするテーマにふさわしい雑誌に渡りをつけておく必要がある。書き下ろしの単行体という手もないわけではないが、これだと適当な出版者を一から探さなければならず、発表の実現への道のりは一段と険しくなる。
志は高いが、名もなき新人の場合、雑誌は多ければ多いほど、発表の機会も増えるからありがたいのである。ライターの卵たちは、作家やジャーナリストとして自己を確立するためには、胸に暖めたテーマを数カ月、いや数年かけて取材して意中の雑誌に発表する。次いで、その成果を単行本にまとめるのが「常道」なのである。
雑誌は優れた単行本の生みの親でもあるわけだ。こうした表現文芸のインキュベーター(孵化器)となる雑誌をこのまま枯らしてはならない。サブプライムローン問題と同一の根をもつ「売れる・行ける」原理主義を断って、雑誌を文芸の「新しい革袋」として再生させなければならないのだ。
しかし、新潮事件は図らずも週刊誌ジャーナリズムの危機を超え、新聞ジャーナリズム、さらにテレビジャーナリズムの危機をも、あぶり出した。この事件が照らし出した「危機」のお陰で、これに隣接する分野の新聞・テレビジャーナリズムの危機も浮かび上がってきたのである。
ひと言でいえば、新聞の危機は雑誌と同じ「共通項」を持つ。
それは「報道する主体」と「経営」の危機である。新聞もまた、読者を減らし、インターネットに広告を奪われるなどで広告収入を激減させ、長期不況にあえいでいる。全国紙一、二位の読売、朝日ともに営業赤字に陥ったと聞く。
ここでの「主体の危機」は、報道各社が「記者クラブ」に寄り掛かり、体制の公式発表に沿った「提灯記事」作りから来る、とよく言われる。しかし、記者クラブ自体は遙か昔の戦前(その前身は1890=明治23年の第一回帝国議会開催時とされる)から存在していたのだ。
最近の“読者離れ”は、各社の記者クラブへの依存が一段と深まった結果、報道の平板化・画一化が進んだためであろう。おもしろくなくなったのだ。 主因は、取材力の劣化にある。雑誌は、この新聞の欠陥をむしろ補完する役割を果たすはずである。 テレビメディアは別の面から、ジャーナリズムに危険な働きを及ぼす。それは視聴者の目を画面に引きつけるために事象を「単純化」し、映像・音声・文字・音楽を効果的に駆使して感覚に訴えるからだ。見る者を「考えない受け身の感情人間」にしてしまうのである。
こうして人びとはテレビから情報を「考える」ことなく、「受容する」マシンとなる。
雑誌ジャーナリズムは、本来、テレビの「単純化報道」のアンチテーゼのはずだ。その衰退は、情報源としてテレビへのシフトを一層促すとみられるため、ジャーナリズムの質をむしろ低俗化させ、結局は「危機」をもう一段、深めてしまうことだろう。
今こそ雑誌を「新しい革袋」とし、文芸復興を図らなければならない。
(出所:出版科学研究所ホームページ)