■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
<番外篇>オバマ新大統領はリンカーンの再来か/「古き良き米国」の復活を目指す

(2009年1月29日)

1月20日に就任したオバマ米新大統領は、リンカーン第16代米大統領が就任式で使った聖書を就任宣誓に用いるなど、敬愛しているリンカーンに自らをなぞらえる。たしかに、傑出していたリンカーンの「理念」と「言葉の力」を米国民に対し、再現しようとしているかのようだ。

「理念」の大統領

オバマ氏の理念の中心にあるのは「一つの米国(We are one)」である。これこそが、南部11州が独立を求めて連邦から離脱し「米国の分裂」の危機に直面した当時、リンカーンが訴えて止まなかった主張だ。
「分かれたる家スピーチ」として知られる演説(1858年)で、リンカーンは次のように語った ― 「『分かれたる家は立ち行かない』(マルコによる福音書第3章25)。この国が半ば奴隷、半ば自由のまま永続することはない、と私は信じている」
リンカーンは反乱した南部連合を破り、米国を「国家の分断」から救った。黒人奴隷を解放し(1863年に奴隷解放宣言)、建国の理念を謳い上げ、民主主義を米国に打ち立てた。
オバマ氏は、この「偉大な先達」に自らを重ね合わせようとしているのである。何より正義と自由、人間の平等を求める「理念」の大統領であろうとしているのだ。

「時は来た」

オバマ氏は、自らの考えを就任演説で次のように語った。
「時は来た。われわれが不朽の精神を再確認し、より良い歴史を選び、何世代にもわたって受け継がれた貴重な才能、高貴な考えを次の世代に引き継ぐ時が来た。それはすべての人は平等で、自由で、幸福を追求する機会が与えられているという、神から与えられた約束だ」

これは「人民の人民による人民のための政治」で有名なゲディズバーグ演説(1863年)の現代版リフレインに聞こえる。リンカーンは当時、次のように演説している。
「87年前、われわれの父祖たち(注=トーマス・ジェファソンら)は、この大陸に新しい国家を打ち立てた。その国は自由の理念により身ごもり、すべての人間は平等につくられたという理念に捧げられた」

流血の中から、リンカーンは新しい民主主義国家を呼び起こしたのである。 「理念」と並んで、その「表現力」においても、リンカーンは際立っていた。 彼は、戦闘部隊との交信と指令のため、当時の最先端技術である「モールス電信」を最大限、活用している。 言葉の明瞭さと簡潔さが電報には要求される。リンカーンの表現力は電報によってますます磨きが掛けられる。美しい響きを持つ類似の表現を対比させるのが、とりわけ好んだ手法だった、といわれる。

オバマ氏の大統領選挙では、電信の代役を、前回の米大統領選(2004年)に比べ2倍以上に普及したインターネットが務めた。ネット上で友人をつくるためのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)や動画サイト「ユーチューブ」を駆使して、文字と映像と音声で「草の根」市民を熱烈な支持者に変えた。 簡潔で明瞭でリズミカルな言葉で訴える「理念」は、米国の全世代、全人種に向けられた。

では、米国はいま、どのように分断され、危機的な状況にある、と考えるのか。オバマ氏は就任演説で言う ―
「われわれの経済はひどく弱体化した。一部の者による貪欲さと無責任さの結果だ。だが、それは困難な選択をして新しい世代のために備えることに、全体として失敗した結果でもある」

ここでは遠回しに言っているが、オバマ大統領にとって、米国を経済危機に陥れた“元凶”は、貪欲なウォールストリートの超富裕層なのである。

中産階級と勤労者を重視

オバマ氏の「理念」の核となる「米国の統合・再生」を果たすには、ウォールストリートではなく「古き良きアメリカ」を復活させなければならない ― となる。
この「理念」が鮮明に表れたのが、選挙運動中の次の演説だ。

「私の会った米国民は公正さ、機会、他者への責任を大切に考える。やる気があればいい仕事がそこにあり、厳しい仕事もそれなりの生活で報われ、そしてメーンストリートが崩壊する一方でウォールストリートが繁栄することはできない、という基本的な真実をわきまえている、そういうアメリカを信じる」
「グローバル化された、ここ20年の間に(アメリカの価値は)劇的に変わってしまった。未来を創り出すことは容易でない。それは新しい思考法と新しい協力の精神を必要としている。われわれはもっと働き、もっと学び、子供たちに手にしているリモコンやビデオゲームを本と宿題に代えるよう、教える必要があろう」

ここには、かつてのように中産階級と勤労者を重視する理念がある。
オバマにとっての南北戦争とは、ウォールストリートで成功したひと握りの超富裕層の手から「米国の富」を中産階級の手に奪い返す戦い、と言えるかもしれない。ブッシュ政権時の8年間に、米国の中産階級は縮小して社会の二極化が圧倒的な勢いで進んでしまったのだ。

「奉仕の精神」を強調

「黄金の資本主義時代」と称えられた21世紀初頭のアメリカ金融資本主義 ―。超富裕層に富が集中して「分断された米国」に対し、オバマ新政権の熱い戦いが始まった。
空前の繁栄に沸いた金融資本主義が崩壊し、実体経済をも津波のように襲った経済危機は、一向に収まる気配がない。
この危機を乗り切るには、建国の先人が示した「奉仕の精神」こそが必要だと、新大統領は訴える。
ここでも、リンカーンが掲げた“アメリカの原点”が指し示される。就任演説で、オバマ氏は言う ―。

「先人たちを誇りに思うのは、自由の守護者だからばかりではなく、彼らが奉仕の精神を体現しているからだ。自分たち自身よりも偉大なものに進んで意味を見出そうとしたからだ。そして、いまこの瞬間に ― 一つの歴史的な時代を示す瞬間に、われわれが皆共有しなければならないのが、この奉仕の精神だ」

リンカーンは、戦争の危機の最中(さなか)のゲディズバーグ演説で、「捧げる(dedicate)」という言葉を多用した。
建国の理念に自らを捧げる、未完の事業(米国の統合と民主主義国家樹立)に、ここで生きている者たちが身を捧げる ― という意味で使ったのである。
オバマ氏もまた、イラクやアフガニスタンでの戦争状況と二極化から生じた米国社会の「経済的分断」の危機を前に、リンカーンにならって「奉仕の精神」による団結と協力を呼びかける。
初の黒人大統領が率いる米国の新しい挑戦が始まった。