■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
<番外篇>初の黒人米大統領誕生の衝撃

(2008年12月3日)

アメリカは進化していた―。建国史上、初の黒人大統領が誕生する。バラク・オバマ(47)の来年1月20日の大統領就任は、新しい時代の始まりを告げるものだ。人種の壁を乗り越えて米大統領選を勝ち取った要因に、オバマの絶大なコミュニケーションパワーと、米国民が「チェンジ(変化)」を求めて止まない時代背景があった。オバマの「勝利のカギ」を読み解き、経済危機対応を占ってみよう。

オバマの言葉の力

米大統領選の民主党指名争いで、オバマ上院議員(当時)が本命のヒラリー・クリントン上院議員を破ったとき、筆者は黒人大統領の誕生をほぼ確信した。オバマ自身の若くして類いまれな言葉の錬金術師能力とスピーチの内容、外見の好印象のせいばかりでない。米国民が閉塞状況を打開する「チェンジ」を真剣に求めている、と痛感したからだ。そのためには黒人オバマを選択する、というメッセージを発信したからだ。米国民の政治意識の進化が背景にある、とみた。

まず、勝因の第一に挙げられるオバマの言葉の力を検証してみよう。その中核に、元大統領のJFKにもロナルド・レーガンにも見劣りしないスピーチ力がある。レーガンは「グレート・コミュニケーター(偉大な通信者)」と呼ばれたが、オバマもまた同様に、市民との交信に長けていた。  オバマが全米に注目されたきっかけは、2004年の民主党全国大会にさかのぼる。その基調演説で、アメリカの持つ独自性「大胆不敵な希望」によって、この分裂した国に一体感を持ち込むのだ、と説いたのだ。彼は熱っぽく次のように呼び掛けた。
「黒人のアメリカも、白人のアメリカも、ラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもない。アメリカ合衆国があるだけだ」  

彼はアメリカの「統合」を訴えたのだ。その点で、南北戦争当時の米大統領エーブラハム・リンカーンを思わせる。リンカーンは「分かれた家は立ち行かない」というイエスの言葉を引いて、国の分裂を何としても阻止しようと考えたのだ。  
彼はゲティスバーグでの勝利のあと、当地で行われたスピーチで、新しい民主主義国家の建設を訴えた―
「・・・神のもとで、この国に自由の新たな誕生をもたらそう―人民の、人民による、人民のための政治は、地上から決して滅びない」

「歴史の鼓動」を聞く

オバマの視線もまた、人種とか党派を超えて、米国の統合に向かうのだ。それが、イラク開戦決議に反対した孤高の実績と相まって、既成の政治に白けた若者たちを引きつけた。オバマが「change!」と呼び掛けると、聴衆は「Yes, we can!(そうだとも、われわれにはできる)」と応じたのだ。  
筆者は、「バラク・オバマ」を発信者とするEメールを当選決定当日の11月5日(日本時間)に受け取った。数カ月前、オバマ氏のサイトに支持者として「登録」して以来、ひんぱんにメールが届いていた。5日付には、こう書かれてあった。
「私はいまから大勢の市民が集まる(シカゴの)グラントパークに勝利宣言に行きます。しかし、最初にあなたに伝えておきたい。われわれは歴史をつくった、と」。そして最後に「このすべてがあなたのお陰で起こったのです。ありがとう。バラク」と結ばれてあった。

おそらく、同じメールを米国内外の数千万人以上が受け取ったことだろう。このコミュニケーションパワーが「オバマ勝利」の重要なカギなのだ、と思った。  

オバマは勝利宣言で、次のように切り出した―。  
「この向こうに、アメリカがすべてのことが可能となる場であることをなお疑う者がいるなら、建国者たちの夢がわれわれの時代に生きていることをなおいぶかる者がいるなら、そしてわれわれの民主主義の力になお異議を申し立てる者がいるなら、今夜があなた方の答えだ」

大統領就任演説でオバマは、どんなスピーチをするのだろうか。ニュー・フロンティアを唱えて若者の心をさらったJFKの就任演説(1961年)の感動を超えることができるか―。
ここには日本の政治にみられる沈滞感は全くない。生き生きとした「歴史の鼓動」が感じられるのだ。米国の問題に関心を引き寄せ、「明日の希望」を国民の大多数に与えた点で、オバマは疑いなく偉大な政治家だ。  
しかし、もう一つの勝因を忘れてはならない。

米国民の意識の進化

それは、米国民の政治意識の進化である。黒人大統領の誕生は、米国民の意識の進化の産物なのだ。
民主党の大統領候補の指名争いで、米国民の多くは、黒人か女性(ヒラリー)のどちらかを選択しようとした。そして、米国民はとうとう肌の色を超えて、黒人の大統領を大差で選んだのだ。  
その背景に、米国民の政治意識―この国を統治する支配階級はWASP(アングロサクソン系でプロテスタント信徒の白人)といった古い伝統的意識の揺らぎと、黒人への「開かれた意識」が社会に広がってきた現実がある。米国民の有色人種への差別感情は、着実に変化してきたのである。
考えてもみよう。公民権運動とのちにベトナム反戦運動を推進したマーチン・ルーサー・キング牧師(1964年にノーベル平和賞受賞)は、63年8月のワシントン大行進の際、有名な「I have a dream(私には夢がある)」演説を行っている。その内容は「私には夢がある。不正義と抑圧の暑さでうだる砂漠の州、ミシシッピーでさえ、ある日、自由と正義のオアシスに変わることを」

当時、米南部ではリンカーンの奴隷解放宣言から100年もたつのに、黒人はホテルやモーテルの多くから「白人専用」を理由に閉め出され、教育や雇用も制限されていたのだ。 しかし、キング牧師の暗殺を乗り越えて公民権運動は実を結び、黒人の米社会進出が相次ぐ。
彗星のごとく第一線に立ち現れたスターもいた。プロボクサー、カシアス・クレイ(のちにムハマド・アリに改名)だ。ベトナム戦争の徴兵を拒否して世界ヘビー級タイトルを剥奪されたのち、74年に再び王者に復帰している。90年代後半になると、リッチな白人専用とみられていたゴルフ界にタイガー・ウッズが颯爽とデビューする。
21世紀に入ると、ホワイトハウス入りが実現する。ブッシュ現大統領によってコリン・パウエルが2001年に国務長官に抜擢され、05年にはパウエルの後任に米史上初の黒人女性国務長官となるコンドリーザ・ライスが就任する。
「オバマ大統領」を米国民が受け入れる下地が、先達によって次第に整えられていたのである。
米国民の政治意識は、キング牧師の運動以降、大きく波打って変わってきたのだ。

格差の広がりが第三の勝因

しかし、第三の勝因も軽視してはならない。米国民が求める「チェンジ」はそもそも、米国の近年の深刻な所得格差拡大から生じたものだ。米国民が「チェンジ」を求める背景に、当初はブッシュ政権が「9・11」をきっかけに始めたイラク戦争の泥沼化があった。ところが、ジョン・マケイン共和党大統領候補との選挙戦さなかの9月15日、米投資銀行大手のリーマン・ブラザーズが突然、経営破綻する。  
この「9・15」で、黄金に輝いていたウォール街の金融風景が一変する。「100年に1度の津波」(グリーンスパン前FRB=米連邦準備制度理事会議長)が押し寄せ、瞬く間に米国発金融危機と株式暴落が世界を襲った。
サブプライムローン(信用力の低い人向け米住宅融資)危機が、導火線となった。繁栄を誇った米国の金融資本主義が、信用膨張を続けた挙げ句に破裂して、一挙に崩れたのだ。その影響は急速に実体経済にも及んできた。

しかし、この金融破局の遙か以前から、米国民の間には市場原理主義がもたらした所得格差の拡大に不公平感や不満がつのっていたのだ。栄華を極めた米投資銀行トップのゴールドマン・サックスのCEO(最高経営責任者)は、07年にざっと7000万ドル余り(約70億円)もの報酬を手にしていた。破綻したリーマン・ブラザーズのリチャード・ファルドCEOでさえ、ストックオプション分など3400万ドル超(約34億円超)もの報酬を得ていた。
これに対し、米国の中間層は縮小して所得は上下に二極化し、ひと握りのスーパーリッチ層が米国の富の大部分を占有するようになっていた。米経済はもろく、不安定になっていたのだ。

今年のノーベル経済学賞の受賞が決まったポール・クルーグマン氏が、近著『格差はつくられた』(三上義一訳)でこう指摘している。
「(昨年6月の米ギャラップ世論調査で)『アメリカの経済状況をどのように評価しますか』という質問に対して、『非常に良い』、ないし『良い』と答えたのはわずか3分の1程度だった。90年代後半、そう答えた回答者数は2倍もあった」
2000年に入ると、米国の代表的な大企業のCEOの報酬は平均900万ドル(約9億円)に急上昇する。フルタイム労働者の平均給与に比べ、70年代に40倍だった格差は、367倍にも跳ね上がった。
格差の広がりが、米国民に「チェンジ」への欲求をかき立てたのだ。
米国でこの30年間に、たしかに平均所得は大いに上昇しているが、それは少数の人々が飛び抜けて裕福になったからだ。クルーグマンはそう指摘して、次の比喩を持ち出した。
「もしマイクロソフト社のビル・ゲイツがバーに入ってきたら、バーの顧客の平均収入は急上昇するが、バーにいた人々は以前よりも金持ちになったわけではない」

本当の試練

以上のように、米国の格差拡大に加え、9・15が引き金となった金融危機が、オバマ大統領の誕生を後押しした。実体経済の悪化は、米国民の「チェンジ」への希求をさらに強めている。  
しかし、彼が約束した「チェンジ」が試されるのは、大統領になってからである。そして、その試練は日を追って一層厳しいものになってきた。  いまでは、米国経済の急速な失速で、事態はより混沌として困難になってきたからだ。  
10月の失業率は6.5%に悪化、失業者は1000万人を超え、25年ぶりの高水準となった。半年以上失業している長期失業者の増加ぶりが目立つ。  
金融界ではリストラで既に7万人が職を失った、と伝えられた。
雇用力のある米自動車ビッグスリーの業績悪化も止まらない。破綻すれば超大量の失業増を招く。オバマ次期大統領は、自動車産業の支援を明言している。新政権は、少なくとも大赤字を出し続け、資金流出が止まらない超巨大企業のGM、フォードは、公的資金を投入してでも救援せざるを得ないだろう。
だが最悪のシナリオは、経済のスパイラルの悪化だ。新政権が「富の再分配」を掲げる経済再建策を打ち出す間もなく、次々に起こる問題の緊急対応に追われる恐れがある。

オバマ次期大統領は当選後、経済立て直しのため「必要な措置をすべて取る」と表明した。深刻さを増す経済に対し、国民に約束した「チェンジ」を実現できるか―大統領就任と同時に、本当の試練が幕を開ける。