■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
☆番外篇 『成長するアジアに日本はどうかかわるべきか』

(2004年11月8日)

 21世紀世界経済の駆動中枢となるアジアの中で、日本は「点火プラグ」の役割を果たす―。2004年に自由貿易協定(FTA)に向けた内外状況の進展は、これまで悲観気味だった人びとにさえ、ある種の幸福な予感を抱かせる。その予感とは阻害要因を排除し「躍動するアジアと連携して発展する21世紀日本」である。中心にあるイメージは、中国、韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)と手を結んで、ゆくゆくは大規模な自由貿易地域をつくり、欧州連合(EU)のごとき超国家の「東アジア連合」を日本のイニシアティブで誕生させることである。

「東アジア連合」へのシナリオ

 2004年は「東アジア連合」に至る仮想のシナリオが、俄に現実味を帯びてきた年である。すなわち、5月に韓国の済州島で開かれたASEANプラス3の第7回財務相会議で、谷垣禎一財務相はタイが提案したアジア債券市場構想に沿う形で、アジア債券に関する情報を発信するウェブサイト(ABW)開設を発表した。同時に、域内の債券市場育成のため、日本ASEAN金融技術協力基金(JAFTA)による資本フロー・モニタリング体制などの技術支援を発表している。
 これは中国、韓国に比べ域内経済協力に消極的とみられていた日本政府が、金融協力に向け、ようやく踏み出した具体的行動の象徴といえよう。翌6月には、日韓両政府が韓国の中小企業が必要とする資金を米ドルを介さずに円建てで調達できる円建て債発行の仕組みを決めた。将来の域内国通貨もしくは共通通貨バスケット建て起債に道を拓くものだ。「アジア債券市場の本格始動」とも報じられた対応の第2弾である。
 これは、もう一つの金融協力の成果である通貨スワップ取り決めと対を成して、アジア金融市場の安定的な発展に寄与するものだ。アジア通貨危機の再発を防ぐため、タイが1999年に提案した「東アジアにおける自助・支援メカニズムの強化」を踏まえ、2国間通貨スワップ取り決めのネットワーク構築を柱とする「チェンマイ・イニシアティブ」が、2000年に合意されている。これに基づき、日本は2003年11月までに韓国、タイ、フィリピン、マレーシア、中国、インドネシア、シンガポールとの間で2国間通貨スワップ取り決めを締結した。これら中国、韓国、ASEAN5カ国との間で締結された協定で、スワップ枠の総額は365億ドルに上る(財務省調べ、03年12月末現在)。
 この資金量の枠内で、いざという場合に短期資金の融通を行えるわけだ。たとえばシンガポールの場合、日本との間でシンガポール・ドルを米ドル(上限10億ドル)に交換することが可能になる。
 アジア債券市場構想の狙いは、域内の政府や企業、地方自治体が米ドルに頼らずに日本円などアジアの通貨建てで債券を発行し、安定資金を長期的に調達できるようにするところにある。懸案だった米ドル依存からの脱皮が、現実化するのだ。
 米ドル依存のせいで、1997年にヘッジファンドの巨額のドル資金操作でアジア通貨危機を招いたことは記憶に新しい。その教訓が、いま生かされて、具体的な実を結びつつあるのだ。

 もう一つの重要な進展は、南米4カ国(加盟国ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ)がつくる「メルコスル」(南米南部共同市場)のEUとのFTA締結に向けた動きだ。ことし6月、ブラジルのサンパウロで開かれた国連貿易開発会議(UNCTAD)総会の折に、メルコスル代表はEUの通商代表とFTA締結の交渉を行った。注目すべきは、交渉を成功させるため、EUが従来は認めなかった砂糖の輸入を、砂糖から抽出するエタノールの輸入枠設定という形で受け入れたことである(注1)
 日本のFTAを含むアジア諸国との経済連携協定(EPA)に抵抗する国内要因の一つは農業問題だが、程度の差はあれ同様に農業問題に頭を痛めるEUは、メルコスルとの自由貿易拡大のため、砂糖の実質輸入を初めて認める挙に出たのだ。メキシコとカナダとの間で北米自由貿易協定(NAFTA)を結ぶ米国と同様、EUはグローバルな世界貿易の推進と国際的ルール作りは世界貿易機関(WTO)に委ね、自らは自由貿易地域を拡大する意志を鮮明にしたのである。それも、大西洋の遙か向こうの南米に、である。
 このことは、経済のグローバル化の中で21世紀日本の取るべき進路を暗示する。日系企業の進出が目ざましい東アジアの地域経済統合化に向け、主導する形での積極関与である。 日本政府ようやく始動  日本貿易振興機構(JETRO)によれば、ことし5月1日現在、世界のFTA総数は実に107件にも上る。NAFTA締結を契機に、90年代半ばから急増した。世界の大勢が関税撤廃を柱とする自由貿易地域拡大を目指し、FTAのネットを地球上に張り巡らしていることがわかる。

 FTA第1号の欧州経済共同体(EEC)に始まり、地域経済統合を発展させたEUを例にとると、単一通貨ユーロに象徴される通貨統合を超え、EUの憲法、防衛軍、いわゆる大統領制などに向け統合を政治・軍事面に広げようとしている。その半面、EUに未加盟のスイスとかアフリカのアルジェリア、エジプト、さらに中東のシリアなどとFTAを結んでいる。
 これに対し、日本政府はシンガポールとバイラテラルなFTA(日本・シンガポール新時代経済連携協定)を2002年11月に締結しただけ。大きく出遅れた感があったが、日本企業が政府調達から排除されたメキシコと、ことし3月にFTAで実質合意し、9月にも締結する。さらに、年内にもタイ、マレーシア、フィリピンと、来年中には韓国と基本合意に漕ぎ着けたい構えだ。急にピッチを上げてきた背景には、東アジア経済圏の成立に向けASEANや日本、韓国に盛んに働きかけている中国、さらに中国に次いで積極的な反応をみせる韓国の存在感がある。
 だが、いきさつはともあれ、アジア通貨危機のトラウマ体験から7年後に、世界最大の債権国で、経済力がカムバックしてきた「経済大国・ニッポン」が、東アジア経済圏の成立に向け、遅ればせながら前向きな姿勢を打ち出してきたのである。
 この積極化した動きを、さらに加速する必要がある。

アジアが死活的に重要な理由

 では、なぜ地域経済統合体の「東アジア連合」が、日本にとって死活的に重要な意味を持つのか。
 その重要性は、「経済・安全保障・民族的アイデンティティ」の3つの要素から説明できる、と思われる。その3要素とも、将来の日本の発展に欠かせないものだ。
 経済面からいえば、グローバル化して市場が拡大する世界経済の中で、中国を含む東アジアこそが、最もダイナミックに躍動する成長センターになってきた現実がある。このセンターのダイナモに日本が最先端の生産・加工技術、蓄積したノウハウの知的財産、豊富な資金と金融技術、ボランティアの人材を供給して一層パワーアップを図り、自らもセンターと共生しつつ力強く成長していくのである。
 日本のASEANと中国との貿易は、地域の経済成長を映して急上昇している。日本の2002年の貿易総額7537億ドルのうち、ASEANとの貿易が14.2%、中国とが13.5%の計27.7%を占め、米国との23.7%を上回る(注2)。貿易ベースでは既に東アジアのウエートは米国を上回っている。
 仮に、日本がASEANといま事前協議しているFTAの締結を実現したとしよう。協定の基本となる関税引き下げのメリットは大きい。例えば日本がインドネシアに輸出しようとすると、全産品にかかる平均関税率は37.5%(2000年)だが、FTAが締結されれば自由化の途上にあるASEAN域内の関税率が適用されるから、平均2.89%(2002年)と、10分の1以下に下がる。タイへの輸出も同様に、25.8%から2.89%に、ほぼ9分の1になる(注3)
 日本政府はASEANとの間でFTAを軸に「投資の自由化」などを加えた包括的経済連携協定を結びたい意向だから、これが実現すれば相当な経済効果が期待できる。

 安全保障面でも、東アジア諸国との経済連携が重要なファクターとなる。近隣地域と利害を共有する相互依存性が深まるからだ。
 この「相互依存性」こそが、国の安全保障の基本となるものである。相互依存しつつ発展する関係が、持続可能な安全保障をもたらす。だが、冷戦構造下で選択された米国一辺倒では「アジアとの共生・発展」は望めず、それゆえに安全保障もおぼつかない。
 ブッシュ米政権は8月末の共和党大会で「米軍は国連の指揮下に入らない」と宣言し、単独行動主義をますます鮮明にしている。米大統領選でブッシュ大統領が再選されれば、日本は否応なくこれまでの外交と安全保障政策の大幅見直しを余儀なくされる。安全保障の核となる経済の相互依存性と外交の軸を、対米中心から東アジアに移していく必要に迫られる。北朝鮮問題にしても、いまや中国と韓国との協議抜きには解決困難なのである。こうして安全保障面からも、東アジア諸国との経済連携が一段と重要性を帯びる。
 もう一つの地域統合の重要な意味は、民族的アイデンティティに関するものだ。日本が「アジアの一員」である以上、この地域との持続可能な相互依存関係を深めることこそが、民族的アイデンティティの自覚につながる。経済連携は、相互協力を通じてアジアの諸民族・国民との精神的連帯感を育む。それは偏狭で排他的な愛国心ではない。「開かれた」民族的アイデンティティであり、「アジアの一員」、ひいては「人類の一員」という普遍的人類意識・地球人意識へとつながるものであろう。

阻害要因を排除する

 こうした輝く展望の可能性にもかかわらず、依然、岩のような阻害要因が横たわる。それは経済的要因としては、FTA締結に必要な市場開放を拒む農業であり、政治的要因としては、日本と近隣アジアとの先の戦争を巡る歴史認識の相違がある。これに歴史教科書問題、小泉首相の靖国神社参拝が、近隣国の感情を逆なでし、遠ざける。
 農業のFTAへの抵抗は、とりも直さず構造改革への抵抗といえよう。シンガポールが初のFTAパートナーに選ばれたのも、同国に農業がないからであった。事実、協定でうたわれた、関税引き下げの対象品目にも、農産物は一切入っていない。
 政府筋によれば、農水省は、メキシコとのFTA交渉でも豚肉の1kg当たり400円分の輸入に対し4.3%、約16円の関税がかかるが、そのわずかな関税の引き下げさえ拒んだために、交渉は難航した(結局、メキシコ側が譲歩して決着する)。タイとの交渉も、コメ、砂糖、鳥肉、熱帯果実など主に農業分野でつまずいている。
 交渉がこうした抵抗を受け渋滞する理由は、交渉を内閣主導ではなく、「縦割り行政の関係省庁」に事実上委ねているためだ。政府筋によれば、FTA交渉には外務、財務、経済産業、農水の4省をコアに、関係省がそれぞれの代表を参加させていてまとまらず、農水省の抵抗などで内部調整に手間取って交渉はスムーズに運ばない。
 フィリピンとの交渉では、フィリピンの看護師と介護士の受け入れ問題が焦点になっている。こうした受け入れは少子高齢化社会に役立つはずだが、所管官庁の厚生労働省が、看護師が日本で働くには日本の国家試験が必要、などとハードルを高くして抵抗しているのだ。法務省も、「外国人受け入れ」には不法入国者が増えるとの懸念から、難色を示す。
 しかし、国民の意識は役所とは逆だ。あるアンケート調査によれば、外国人の看護師・介護士の受け入れの是非に対し、約8割もが「賛成」と答えている(注4)
 FTAを実現するには、農産物にせよ「外国人受け入れ」にせよ、閉ざされた市場の構造改革が必要となる。

 もう一つの阻害要因は、戦争の加害責任を巡る歴史認識のギャップである。
 8月のサッカーのアジア杯で噴出した中国人観衆の反日感情は、歴史の産物である、と考えなければならない。
 1972年9月の日中国交正常化が、ここに至る一つの流れをつくった。田中角栄・周恩来両首相が調印した日中共同声明は、日本が台湾の国民政府ではなく、中国大陸の中華人民共和国政府を唯一の合法政府として承認する一方、中国側は戦争被害の対日賠償請求を放棄した。中国人にとって、いまわしい戦争の被害は、この段階で賠償されずに封印されたのである。
 このあと共産党独裁政権下で、日本に対する中国人の反日感情は「中日友好」のスローガンで封じ込められる。
 この抑えつけられた感情的反発が、経済のグローバル化と改革開放政策で国力を増し、90年代後半からの愛国主義教育で強まった民族感情のうねりから、アジア杯日中対決の興奮の中で噴き出した、とみるべきだろう。
 日本側にも要因があった。なかでも小泉首相の4年連続の靖国神社参拝が、中国人の対日感情を悪化させた。日中国交回復30周年にあたる2002年に、あるべき両国首脳の相互訪問はなかったが、その後も途絶えたままだ。繊細に対応すべきアジア杯直後も、小泉首相は「来年も靖国神社参拝を行う」と明言したことで、事態改善どころか日中政府関係は一層冷え込む恐れが強まった。これは民間レベルの盛んな交流拡大の流れにも逆行し、「外交上の思慮を著しく欠く」というほかない。
 根本的な解決のためには、過去の歴史を直視して問い直すことから始めなければならないだろう。歴史を検証し、過去の歴史を封印から解いて真実を究明する必要がある。そして独仏が行った、戦争の罪を認めこれを赦して「和解」に至るプロセスこそが、真の関係改善と相互信頼に向けての、困難だが、正当な筋道と思われる。

どうかかわるべきか

 政府がASEAN加盟国などとの間で進める経済連携協定(EPA)は、FTA本来の目的であるモノの自由化(関税撤廃が柱)のほかに、投資の自由化、人の移動の自由化、中小企業向け金融支援などの各種協力を含む。
 1970年代にインドネシアなどで起こった日本からの集中豪雨型輸出を引き金とした「経済侵略」非難の反省に立ち、相手国の産業インフラ形成を視野に入れた包括的協定の色合いを強めたものだ。
 このこと自体は結構な構想にみえるが、問題はEPA締結には国内の市場開放に向けた構造改革が欠かせないが、現状の官僚主導の交渉体制では農業問題などで行き詰まり、合意が困難なことだ。FTA、EPAは相手国・地域ばかりでなく日本国内の市場開放も必然的に伴う。
 ここは政治の出番である。政府を動かして長期的歴史ヴィジョンを持った超党派外交で臨み、首相官邸を核に全権を委任した担当相を設け、現地に派遣するなどして、交渉に取り組むべきだろう。
 地域経済統合を目指すからには、農業市場や労働市場を開放しなければならないとの認識を、まず「政治」がしっかりと持って掛からなければならない。そうでないと、既得権の壁に阻まれて、交渉は最初から暗礁に乗り上げる。たとい交渉が成立したとしても、長引いた末に成果は乏しい薄味の内容になるだろう。そこで交渉は、官僚主導から一元化された政治主導に変わらなければならないのだ。

 次に、FTA、EPA交渉に向け、情報公開が大切だ。協定成立のためには国内の構造改革が求められるから、交渉の意義と過程を国民に十分に説明する必要が生じる。情報公開で判断材料が広く与えられれば、国内の反対勢力も反対一辺倒から、少なくとも受け入れ可能な代替案を出してくる可能性が高まる。
 しかし、情報公開で交渉の意義がしっかり受け止められるにつれ、目に見える反応は、おそらく民間のボランティア活動に現れよう。
 政府が開かれた、正しい方向(協定)に踏み出し、アジアと日本の将来に貢献する、と確信すれば、民間が黙っているはずはない。政府の指針に納得がいけば、民間は動き出すのだ。NPO(民間非営利組織)、NGO(民間非政府組織)、ボランティア個人が、東アジアの地域経済統合に向けて協力活動を自らの意志で開始するだろう。
 民間レベルの交渉に向けたフォーラムやシンポジウムの開催、交渉のお膳立て、交渉成立後に活発化するであろう「人の交流」とさまざまな「協力」が期待できる。
 このように、相手国・地域に歓迎される民間の自発的な動きが、協定を機に広がることは必至だ。日本製品だけでなく、輝く「日本人の顔」と日常活動が、アジアの市街や農村のあちこちで見かけるようになる。
 こうした草の根レベルでの交流こそが、日本人の「アジアの友」としてのアイデンティティと、とりわけ若者の連帯感を強める。相手に喜ばれ、自らも充足することによって、歓喜と相互信頼の感情も、ひとしお喚起されるだろう。日本の国内でも、海外で培われた「開放心性」が、活動家たちの体験談などによって伝播していくだろう。1980年代から日本でその必要性が喧伝された「国際化」が、今度こそ形ばかりでなく、血肉化されるようになる。

 もう一つ、東アジアの地域経済統合を考えた場合、先述したように、中国、韓国との間を中心に歴史認識のギャップが、重大な阻害要因になる。政治は抜本的な解決を目指して、和解プロセスの探求を真剣に急がなければならない。
 独仏が行ったプロセスが、重要なモデルになることは言うまでもない。ドイツの徹底した歴史の見直しと反省は示唆に富む(注5)。いずれにせよ、和解プロセスには「歴史の真実の究明」に基づく「歴史認識の共有」がなくてはならない。
 筆者はそうなるために、次のように考える。
 中国の若手歴史研究者が示唆したごとく(注6)、中国との関係では先の戦争の加害と被害の歴史と共に、日中間の長期にわたった交流・協力の歴史を日中の共同研究で検証し、歴史の真実を全面的に明らかにすることだ。そして、この歴史研究は、西暦6世紀の飛鳥時代にまで遡るべきだろう。
 当時、中国大陸で強力な集権国家となった隋が日本の朝廷の関心事となり、7世紀初めには小野妹子らが遣隋使として派遣される。数次にわたる遣隋使には、留学僧や留学生が随行した。そして中国に留まって中国文化の摂取に努めた彼らが、帰国後に大化改新にみられる改革事業の推進力になった、とされる。この頃、日本の古代国家が形を整え、仏教寺院の建立にみられるように、日本文化の原型が形成されている。歴史の見直しは、中国に習い日本の基本を築いた、この「聖徳太子の時代」にまで遡る必要がある理由だ。
 このようにして、古代日本から戦後の今日に至る歴史を日本と中国側とが共同研究し、その成果を発表して政治に生かす工夫が重要である。
 朝鮮半島との関係でも、現・明仁天皇ご自身が言及したように、日本の皇室のルーツとの関連が指摘されるほど、双方は緊密な歴史を持つ。韓国とも同様に、共同研究による両国間の長い歴史の真実究明が必要と思われる。
 このような和解プロセスを踏みつつ、アジアの発展の軌道に日本の進路をしっかりと重ね、共生していくべきではないだろうか。



注1)堀坂浩太郎『南米自由貿易のカギを握るメルコスルとブラジルの通商政策』週刊エコノミスト2004年7月27日号所収。
注2)出所/IMF ‘Direction of Trade Statistics 2003’。
注3)出所/インドネシア、タイの現行平均関税率については財務省、ASEANについては外務省。なお、ASEANの平均関税率はASEAN原加盟国6カ国(ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ)の数字。
注4)日経ビジネス誌のインターネットによるアンケート調査結果は次の通り(2004年8月2日号掲載)。有効回答数422のうち「賛成」が79.9%、「反対」が20.1%。賛成理由として74.5%の人が「高齢化の進展で看護婦・介護士が不足している」と答えている。
注5)2004年8月25日付東京新聞によれば、ナミビアで1904年から07年にかけ、同国を保護領としていたドイツ帝国の兵士らが65,000人を超す住民を虐殺した事件で、ドイツ政府は8月14日、100年ぶりに公式に謝罪を表明し、和解に向け踏み出した。
注6)2003年1月、早稲田大学で開かれた日中若手歴史研究会議における中国側出席者の発言。