■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「さらばニッポン官僚社会」 |
第27章 税の情報公開度は第三世界並み
先進工業国中、最悪となった日本の国と地方の財政状況をよそに、税金の使途に対する情報公開はまるで進んでいない。「官」の天下り先で国の「官業」の実施機関ともいえる特殊法人が、この4月から施行される情報公開法の対象から除外されるのも、官僚に牛耳られている政府・与党の情報公開に対する「やる気のなさ」を示している。
米国では納税者に「税の配分」通知
KSD事件や外務省幹部の機密費横領疑惑をみると、国民の税金が「とんでもない補助金」や「官僚のポケットビッグマネー」に化けたりしていることがわかる。税金の使途を透明化することが、税金に対する国民の理解を深め、使い方の改善を促すため、この国の財政を根本から立て直す出発点となるはずだ。
先の「情報公開法」にしても、韓国の場合は行政機関以外の議会や裁判所も対象とし、特殊法人も情報公開の対象に加えているなど、日本よりもずっと進んでいる。日本の情報公開度は、税に関しても“第三世界並み”といえよう。
一例として、住民税関連の情報公開ぶりを日米で比較してみる。
ここに長年、米シアトル市郊外に住み、不動産を持つ日本人から取り寄せた米徴税当局による不動産税の納税請求書がある。右側にあるのが「現在の支払うべき納税額通知」で、その請求内容が一つ一つ仕分けされている。内訳は、上から順に「土地の価値、土地利用、以上の課税額合計、課税率、一般税、他の課税、現行納税請求総額、控除額」などとある。
さらに左側には、徴収する税金の使途が示され、納税した分がどういう分野に振り分けられるか、一見してわかるようになっている。納税者は、自分が納める税金が「なるほどこういうところに使われるのか」と納得するか、少なくとも使われ方を知ることができる。
「現行の請求する税の配分」と題するこの一覧表には、上から順に「州税、地域の学校支援、郡(カウンティ)税、市税、未整備道路、港、消防、図書館、下水管・水道、その他、緊急医療サービス、現在の納税請求総額」などとなっている。
くだんの友人は、この二つの一覧表をじっくり見比べ、納得した上で税金を支払うことにしている。2000年度分は3000ドル余り請求されたが、その使途で多い順に「地域の学校支援」(980ドル余)、州税(800ドル余)、市税(410ドル余)、郡税(410ドル余)と続いた。よく利用する図書館には120ドル余が使われるはずだ。
このように、米国では「納税請求額の配分表」が納税者に送られてくるから、税の扱いに関して透明性がきわめて高い。
日本の税は「情報制限」
日本の場合はどうか。東久留米市当局の税に関する情報公開の例を挙げてみよう。「平成12年度市民税・都民税納税通知書」には、米国のような「あなたの納税金がどんな使われ方をするか」を知らせるようなものは何一つない。あるのは「所得金額の種類別と総額、所得控除額、課税標準額、うち市民税と都民税の内訳、控除額、控除後の納めるべき市民税と都民税の年税額」といった記述だけだ。このほかに「税率」の表が付いていて、市民税だと「課税標準額(年収から各種保険料を引いた額)」が仮に700万円を超える場合、「税率10%」を課す、とある。
ここには支払う納税者側に立って「納得してもらう」という姿勢は全くみられない。あるのは、「あなたの所得はこれだけですから、計算式に従ってこの分納めて下さい」というお上の言い分だけである。
東久留米市民が自分の納めた税金の使途を知ろうと思うなら、「広報ひがしくるめ」をみるほかない。99年度決算がどうだったか、2000年10月15日号をみると、一般会計と特別会計別にそれぞれの歳入、歳出項目が記されている。一般会計では、歳出約364億円の内訳として、一番多い民生費(高齢者や障害者向け施策、生活保護、保育園などの経費)が34%、次いで教育費18%、土木費14%、総務費10%、公債費9%、衛生費8%、その他7% などとなっている。
「総務費」というのは、市庁舎の管理運営費や徴税事務などの行政経費。これに市が借りたお金と金利返済分を合わせた「公債費」を加えると、市役所の管理運営と借金返済に市税のざっと二割を費やしていることがわかる。だが、こういう実態の輪郭でさえ、納税4カ月後に出される前年度決算実績が書かれた市の広報誌をみて、市民はようやく「前年はこういうことに使われていたんだ」と知るようになる按配なのだ。
東久留米市以外でも、税金の使途の「お知らせ」は市の広報誌を通じて行われるから、情報公開の仕方も程度も大同小異である。
例えば、千葉県船橋市の「決算の概要」をみると、東久留米市より踏み込んで「市民一人あたりの市税負担額」と並んで「市民一人あたりに使われたお金」が記載されている。しかし、出費項目の一つである「総務費」については「防災費等」と説明して片付けているなど、不備も目立つ。
つまり、東久留米市や船橋市ばかりでなく、日本の納税者はおしなべて納めた税の使途をごく大雑把にしか知らされていないのだ。日本の古くからの行政理念「由らしむべし、知らしむべからず」を地でいく情報制限ぶりなのである。徴税して、つまり国民側から税金を強制的に納めさせてなお、情報公開をろくにしないのだから、当局の態度は強圧的で民主主義からほど遠い、といわなければならない。
源泉徴収制が納税感覚を鈍らす
問題は、納税者側がこういうお上の「情報制限」を当然のように受け容れていることだ。なぜ、日本人は納税感覚が鈍く、税の使途に関心が薄いのか。
この大きな原因は、戦時の産物である給与の源泉徴収制度にある。現在、年収2000万円以下のサラリーマンに対しては、概算された所得税額を給与から天引き後も、年末に確定した税額との過不足分を勤務先が「年末調整」して精算する。給与の源泉徴収制度は米、英、ドイツなどでも採用されているが、「年末調整」を勤務先の会社が行う日本とは違って、精算は個人の「確定申告」によるのがふつうだ。
日本の場合、自動的に毎月給与から天引きされ、年末調整されるため、給与所得者は自分で申告しないから納税感覚が希薄になる。そこから、「自分たちの税金がどこに、何のために使われるのか」といった税の使途についての関心も深まらない。
この源泉徴収税は、ナチス・ドイツを見習って日中戦争が拡大した1940年に導入したものだ。企業が徴税当局に変わって徴税事務を行う。だが、これによって給与所得者に「お上のことは国と会社に任せ、われわれは働くだけ」という意識を植え付けたことは間違いない。税制改革論議で、戦争体制の遺物である源泉徴収制度の見直しは避けて通れない。
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