■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「白昼の死角」 |
第237章 ハリス氏の指名受諾演説/言葉の力が鳴り響いた
(2024年9月10日)
カマラ・ハリス米副大統領が8月22日に行った民主党大統領候補の指名受諾演説は、大統領選挙の形勢をどんでん返しにした。その演説は「言葉の力」を存分に発揮し、聞く者の心情を揺さぶり高揚させた。これを機に「もしトラ」から「確トラ」になりつつあった米大統領選の様相が、劇的に一転した。
劇場型手法
何が圧倒的な熱狂を呼んだのか。4日間にわたった米民主党大会は政治家の演説と共に人気歌手や俳優も登場するエンターテインメント仕立てとし、全米にテレビ、インターネットで報じられた。政治家の演説は、大統領選から撤退したジョー・バイデン大統領を皮切りに元大統領のビル・クリントンとヒラリー夫人、バラク・オバマとミッシェル夫人、と続けて盛り上げ、ピークの最終日にハリス登壇となった。
この劇場型手法が大成功したのだ。筆者はニューヨークの友人から当日、「バイデンの演説は見違えるほど素晴らしかった」と知らされ、早速その内容を確認した。一つのフレーズが目に留まった。「われわれは今なおアメリカの魂そのもののための戦いに入っている(We are still in the fight for the very soul of America)」
移民国家の米国では、人に分かりやすい、人を動かす言葉がとりわけ重要となる。政治スピーチが、移民国家を統合する最重要の統治ツールとなった。歴史的に政治家に名演説が多いのも、うなずける。
文体の革命
南北戦争時の1863年、北軍の勝利を決定付けたゲティズバーグの戦い。リンカーンはこの地でわずか3分間の演説を行ったが、そこに後に世界で知られる民主主義のキーワードを盛った。「人民の、人民による、人民のための政治は地上から滅びない。(Government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth)」
ゲティズバーグ演説は「文体の革命だった」とも言われる。昔のゆったりした説教調をやめ、知恵をたっぷり盛っての最小限の言葉で多くを語った。
ハリス演説は、リンカーン以来の名スピーチの伝統を継ぐ感動的な出来栄えと思えた。物語性に富み、キーワードがちりばめられ、文体は短く、分かりやすい。均衡の取れた構成内容で、トランプ前大統領の主張と対比させ、自らの正当性を巧みに訴えた。
まず、自分とは何者かの自己紹介から始めた。ここで検察官になった理由を明かす。高校時代、義父に性的暴行を加えられている、と親友から告白され、正義心に火が付いたのだ。聴衆が、演説に耳を澄ます姿が目に浮かぶ。次いで、検察官のキャリアを通じ、唯一の依頼人は(分け隔てのない)「人々」だったと語り、全ての米国民のための大統領になる、と約束した。
キーワード
やがて第1のキーワードが現れる。トランプ統治の時代には後戻りしない(We are not going back)、である。「トランプが大統領になれば、連邦最高裁によって大統領に認められた免責特権を行使して、何をしでかすか考えてほしい。しかし、私たちは後戻りしない」と誓った。
経済政策についてはカギとなる「中間層の強化」をキーワードに打ち出した。トランプなら自分と億万長者の仲間のため、中間層出身のハリスなら中間層のための経済政策―と目的の違いを浮き立たせた。この政策に沿い中間層に対しトランプの増税とは逆の減税法案を通す、と明言した。
加えて「機会の経済(Opportunity Economy)」という新コンセプトを登場させる。誰もが競争するチャンス、成功するチャンスを持てる社会をつくる、と言う。そして労働者、小規模事業者、起業家に資金確保への道を開き、住宅、食料など生活必需品のコストを下げるとも語った。
選挙では基本的自由(Fundamental Freedom)がそもそも問われるとした。
中絶の自由に背を向けるトランプに対し、女性の産む産まないの自由を再び保障する法案に署名する、と宣言した。銃の暴力から安全に生きる自由に加え、きれいな空気を吸い、きれいな水を飲み、気候変動の危機から免れる環境に住む自由。これら基本的自由の成否を問題にした。
ハリス演説は、最後にアメリカの理想を正面から取り上げた。「アメリカが何者で何を支持しているかを互いに、そして世界に示そう。自由、機会、思いやり、尊厳、公平性、限りない可能性を支持している」と。
歴史に残る名演説となったことは間違いない。この直後、接戦州での支持率はハリス優勢に傾いた。言葉の力が鳴り響いた。