■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「白昼の死角」
第236章 日本経済曲がり角(下)/「金利ある世界」へ始動 サイは投げられた

(2024年8月26日)

8月の日本株の空前の乱高下は、金融の航路変更を炙り出した。1つ、はっきりした変化は7月末に日銀が「金利ある普通の世界」への復帰を明示した「利上げ」で、22年3月以来の円安進行を反転させたことだ。円安がもたらす輸入物価高は、GDPの5割強を占める個人消費を冷やし、経済の好循環を阻む。日銀は「政策金利の0.25%程度への引き上げ」により、米欧との金利差を縮小して円安圧力を一段と弱めた。植田日銀総裁は、さらに「経済、物価の見通しが今のまま実現するのであれば、今後も金利引き上げをしていく」と明快に意思を表明した。その根拠の1つとして「利上げはトータルで家計にもプラス」と断言した。

さらに注目すべきは、国債買い入れの段階的減額と、これまで金利の上限と言われてきた「0.5%」は「壁として意識してない」と利上げに幅を持たせたことだ。個人消費の動向に関しては「底堅い」との判断を示し、利上げ不安を払いのけた。
日銀は発表した声明文で「輸入物価は再び上昇に転じており、先行き、物価が上昇するリスクには注意」とし、植田総裁も「見通しから上振れするリスクはかなり大きい」と発言するなど、円安リスクの重視がうかがえた。
金融政策会合では、一部委員から実質金利が過去25年間で最も深いマイナス圏にある現状への指摘があり、「緩和の程度はそもそも異常」との危機感が滲んだ。植田裁断は、2013年春以来の黒田異次元緩和路線から大きく踏み出した歴史的な決断であった。

市場が劇変したわけ

8月5日の過去最大の株価暴落に続く翌6日の過去最大の株価高騰。この劇変の裏には、何があったのか―。
注目されるのは、次の3つの要因だ。
まず、日銀の予想外の思い切った利上げ決定と、その後の利上げへの意思表明だ。植田裁断は、利上げに伴い円安懸念を押し出したことで、円高反転に拍車が掛かった。投機筋が安い円を借りてドルなど高い通貨で運用する円キャリー取引を巻き戻して円を一時1ドル=141円台にまで押し上げ、マーケットを売り一色に染めた。
翌日の過去最大の株価高騰は、このパニック売りの反動であった。その翌7日に内田真一・日銀副総裁が「株価や為替相場が不安定な状況で利上げは行わない」と発言し、市場はようやく落ち着きを取り戻す。

第2の注目要因は、米国の好景気を牽引してきた生成AI・半導体テックのバブル破裂の表面化だ。隆盛を誇った米テックの「マグニフィセント・セブン(豪勢な7社)」の株価は急落し、8月6日時点でピーク時の7月上旬に比べ時価総額で362兆円減らしたと伝えられた。成長筆頭格のエヌビディアは約1カ月で81兆円相当減額した。
この先端バブルの消失と共に7月の米失業率4.3%への増加発表が、市場を動揺させた。米GDPの7割を占める個人消費が物価高と重なって冷やされ、景気悪化に向かうとの不安が広がる。この風向き悪化が、東京市場にたちまち波及したのだ。

3つ目の要因は、デジタル技術進化がもたらしたもので、株式市況を急変させるアルゴリズムを用いた高速取引(HFT)。このAI技術が1秒に数千回もの売買注文を可能にし、注文処理を大型化・高速化した。結果、株価の極端な上下の振れが短時間に起こりやすくなった。ヘッジファンド、投資銀行、投資信託会社、年金基金などがHFTを広く利用し、大注文を一挙にこなし、取引情報がスマホを通じて拡散するようになる。
東証が2010年に導入した高速取引システム「アローヘッド」のお陰で、注文処理スピードは従来の1.5倍に上ったとされる。証券会社が注文を受けてから受付通知を出すまで2〜3秒しかかからないという。
株価の空前の下げ上げも、このデジタルAI技術の産物と言える。取引は異常なまでに高速化し、スマホによる情報拡散のスピードと合わせ、市場全体を極端化・不安定化したのである。

好材料息吹く

サイは投げられた。日本はようやく「金利ある世界」に踏み出したのである。最近の経済状況をみると、経済成長・所得増の好循環の芽が幾つか出てきた。
なかでも好材料は、27カ月ぶりの実質賃金増だ。厚労省の8月発表によると、名目賃金から物価変動の影響を除いた6月の実質賃金は前年同月比1.1%増えた。賞与の伸びが大きい。6月の消費者物価は3.3%上がったが、名目賃金の伸びがこれを上回った。個人消費の向上を受け、4〜6月期のGDPも年率3.1 %増と好転した。
次に、若者の所得増や消費の仕方変化も見逃せない。人手不足・物価上昇を背景に、新卒の初任給が業種を問わず大幅に上昇した。24年度の大学卒は東証プライム上場企業で約9割が前年より引き上げられた。初任給水準は、ほぼ24万円に上る(労務行政研究所調べ)。最低賃金も24年に全国一律50円引き上げられ、平均時給 1054円となる。ドルベースで韓国より低いが、50円上げは過去最高額。東京都は都内の最低賃金を50円引き上げ1163円とし、10月から適用する。

所得の底上げに加え、若者の消費動向も変わってきた。食べること、顕示的消費、参加型イベント、有名人やキャラクター応援にお金をかけるケースが増えてきたのだ(ニッセイ基礎研究所調べ)。従来とは異なる分野で消費が盛り上がってきた。新NISAの活用や副業・兼業の拡大も、好循環に朗報だ。低かったパートタイマーの名目賃金も、上昇率で一般労働者を上回った。
第3に、外国人労働者が受け入れ制度の拡充に伴い顕著に増えてきたことだ。内閣府によると、23年には全雇用者の3.4%に当たる205万人の外国人が全国で働いている。円高化で円の通貨価値が上がれば、日本で働く外国人労働者が増え、人手不足下の労働人口増が期待できる。

利上げの家計、企業への影響は今後ジワリと現れよう。だが、どのように現れるか。輸入に依存する食料や電力・ガスなど生活直結分野で物価安定効果は期待できる。が、その影響は総じて良し悪しマチマチに現れそうだ。
みずほリサーチ&テクノロジーズによると、「全世代平均では年平均で最大7.7万円のプラス」。住宅ローンで利払い負債が増す一方、預金金利や有価証券など金融資産からの所得が増えるためだ。金融資産の増加は、2030年に10兆円を超えると試算。一方、借金を抱える者や支払い利息が増加する企業には負の影響が及ぶ。
三井住友信託銀行は、利上げの家計への影響はプラスだが、若手・子育て世代には、住宅ローンへの影響が大きいとみる。企業への影響について帝国データバンクは「企業の4割近くはマイナスの影響が大きい」とする。
「金利ある世界」が家計や事業に及ぼすマイナスの影響を極力削ぐのが、政治の新たな役割となる。