■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「さらばニッポン官僚社会」 |
第10章 2001年官庁再編でニッポンはこう変わる
中央省庁再編法により2001年1月6日から現行の一府二十一省庁が一府十二省庁に改組されるのに伴い、国民と「官」の関係も大きく変わる。官庁の役割と権力構造が一変するためだ。国民はとりわけ二つの新局面に注意して、再編された「官」を監視しなければならない。一つは、新たに権限が集中する「新・官の中枢」というべき内閣府、総務省および公共事業予算の八割を握ることになる国土交通省の動向。二つめは、「10年間で国家公務員数25%削減」の政府公約のまやかし、である。「削減」は既存人員の減少を指し、「増員」はそれとは別枠だとする「官」の主張によれば、削減数は「純減数」を意味しない。削減を公約しても別途、必要に応じて増員できるという理屈だ。この種の「官」のまやかしを見過ごしてはならない。
「官」の頂上は内閣官房に
まず、大蔵省に代わって「官の頂点」にのし上がる内閣官房について述べよう。
現在、省庁再編に伴うキャリア官僚の異動の希望先で最も多いのが内閣府だ。そのはず、省庁再編の目玉の一つである「内閣」の機能強化で、実権を一段と強化する内閣総理大臣を直接補佐し、総合戦略機能を担う「内閣官房」を助けて横断的な企画・調整機能を担当するからである。
いわば、「官の脳幹」ともいうべき内閣官房を下から支える役所である。中央省庁等改革基本法によれば、「内閣官房」は内閣の補助機関および総理大臣の職務を直接に補佐する機能を担い、
・ 閣議に係る事務などの処理
・ 国政に関する基本方針の企画立案
・ 国政上の重要事項についての総合調整
・ 情報の収集および分析
・ 危機管理および広報機能
が任務となる。そのうち、とくに重要なのが「国政に関する基本方針の企画立案」だ。国づくりの権限が法的に与えられるわけである。
ところが、エリート官僚の最精鋭というべき内閣官房は総理大臣に直接選任されなければメンバーに加われないため、簡単に希望してなれるものではない。そこで官僚たちの希望は、もっと現実的に、内閣官房を下支えして国政上の重要事項に関する企画立案と総合調整を担う「内閣府」に殺到するのである。
内閣府が事実上の国づくり
「2001年省庁再編」の原案となった行政改革会議(会長・橋本龍太郎首相、当時)の最終報告によれば、内閣、とりわけ内閣の長である総理大臣の国政運営上の指導性を強化するため、補佐・支援体制として内閣官房、内閣府と総務省が置かれた。当然、これらの役割と権限も突出することになる。
内閣府の新機能のうち、最重要なのが経済財政政策と総合科学技術政策に関する企画立案・総合調整だ。これは、例えばこれまで大蔵省が握っていた予算編成や財政運営の基本方針の企画立案・調整を担うから、大蔵省主計局と理財局の機能の「根幹部分」を取り扱うことになる。
法の解釈に従えば、予算編成で主計局(財務省)が行う仕事は内閣府が企画立案した基本方針に基づき、これを具体化する作業でしかなくなる。いわば、「国づくりのための予算」を企画立案する、やりがいのあるデザインは内閣府に任され、代わって決められた骨格を肉付けするという細かい実務作業となる。
このように内閣府が「国づくり」で最重要の役割を担うようになるため、法律は内閣府の内部部局に「必要に応じ、広く行政組織の内外から人材を登用するものとする」と定め、先に述べたように官僚の異動先として、異常に人気を集めることになるのである。
もう一つ、国の方向舵に当たる経済財政政策と総合科学技術政策を文字通り強力化するため、具体的な総合戦略を立てて政策に一貫性を持たせる狙いから、合議制の機関である「経済財政諮問会議」と「総合科学技術会議」を内閣府に設置する。これにより、経済財政諮問会議の場合、総理大臣や担当大臣、学識経験者を含む構成員は、事務局に当たる内閣府の手を借りて予算編成の基本方針、財政運営の基本、マクロ経済政策の基本方針など、経済財政政策の重要事項を審議し具体化するのである。
同様に、科学技術の推進政策の基本、予算、人材等の資源配分の基本方針、国家プロジェクトの評価といった科学技術政策の重要事項の審議は総理大臣や担当大臣、学識経験者を含む「総合科学技術会議」のメンバーが担う。国の最重要な合議制機関の両輪ともいうべきこれら二つの会議のほかに、防災に関する計画・実施機関の「中央防災会議」と、政府の施策への男女共同参画を推進する「男女共同参画会議」も内閣府に設置され、いずれの会議も内閣府の内部部局が事務局を受け持つ。
このように、21世紀の「この国のかたち」の中で、内閣府の存在感は圧倒的になる。
大蔵省は、なし崩し解体
内閣府と対照的に権限が縮小するのが、かつて財政と金融の管理・監査権を握り、世界のどの先進国よりも権限を手中にしていた大蔵省だ。21世紀からはその名も「財務省」に変わり、以前と同じ姿で残存するのは主税局、国際金融局の二局だけとなる。
というのも、既に国内金融の大部分の行政機能は金融監督庁(2000年7月から金融庁に改組)に移管されているが、手持ちの「金融破綻制度と危機管理に関する企画立案」も金融システム改革が進むまでの「当分の間」と定められているためである。いずれ、国内金融に関する全機能が金融庁などに移される。
理財局も、財務省の任務とされる財政投融資制度改革を進めるに伴い、逆説的に存在理由を失い、縮小に向かう。財投の原資の大半を占める郵便貯金と公的年金積立金が、2001年度から大蔵省資金運用部への預託を廃止されて自主運用となるため、財投の使い手である特殊法人や地方自治体は、財投の原資を財投機関債などを発行して市場から調達しなければならなくなる。結果、従来の財投システムは解体せざるを得ず、つれて理財局の機能も、ごく限られた政策金融の公的金融システムとか国有財産の管理といった分野に圧縮されていく方向だ。
大蔵省の中枢である主計局は、先に見たように肝心の予算編成機能から「基本方針策定」という根幹業務を経済財政諮問会議に渡すため、勢いを失う。とどのつまり、大蔵省は市場の圧力もあってなし崩しに解体され、辛うじて主税局と外局の国税庁、国際金融局が無傷で生き残るに過ぎない。いや、来たるべき行政改革の第二ラウンドでは、徴税当局の国税庁を米国のように財務省から切り離すことになる可能性も小さくない(97年の行革会議では、橋本龍太郎首相自ら国税庁の分離を提案している)。
総務省に実権が集中
新省庁のうち最も恐るべき実権を握るのは、郵政省、自治省、総務庁が統合されて新設される「総務省」だ。総務省の恐怖については第7章で取り上げたため、今回は新しい要素を述べるにとどめるが、注目点は同省が昨年夏に成立した通信傍受(盗聴)法と改正住民基本台帳法の所管官庁になることである。
両法の問題は、国民一人一人のプライバシー(個人情報)が知らぬ間に侵害されたり、政府によって全国一元的に管理・悪用される恐れがあることだ。通信傍受については既に危険が表れている。米NSA(国家安全保障局)が英国など英語文化圏四カ国と秘密協定を結び「エシュロン」というコードネームのスパイ・ネットワークを世界中に構築して電話、電子メール、ファクスなどを盗聴していることが欧州議会で問題化した。日本でも昨年11月、江沢民・中国国家主席が早稲田大学で行った講演で、早大側が聴講を申し込んだ1400人の「参加者台帳」を作成し、これを参加者には知らせないまま要請に応じて警察当局に提出して波紋を投げた。
一方、住民基本台帳法問題は、全国民を対象に「コード」をつけ、さらにこのコードのついた全国共通のIDカードを所持させて行政サービスを受ける際に使わせることで、プライバシーが悪用されたり行動監視や思想統制にも発展しかねない、というものだ。NGO(非政府組織)のプライバシー・インターナショナル・ジャパン(PIJ)によれば、住民基本台帳法に基づき各人のコードに十ケタの番号がランダムにつけられ、「氏名・住所・生年月日・性別」の基本四情報がインプットされて、居住する市区町村や該当する都道府県センターおよび中央(全国)センターに保管される。国や地方の各行政機関は、これらセンターに照会することで各人の最新のコード情報が得られる仕組みだ。他方、各市区町村は集積回路(IC)を使って約八千文字が書き込める全国共通のIDカードを発行し、各人は自らのコード情報が入ったこのカードを行政機関に提示してサービスを受けることになる。各行政機関は先の基本四情報以外の個人データも入力できるから、本人の知らないうちにプライバシーに関する情報がインプットされ、人権を侵害される可能性も出てくる。
こうした新しい法律をもとに国民を監視するセンターとして「総務省」が立ち現れてくるのである。
公共事業予算の8割を握る国土交通省
公共事業官庁と化す国土交通省も、これまで以上に利権政治の増殖基地になる恐れがある。国の一般公共事業予算の八割にも当たる年間七兆円規模を使えることになるため、全国のゼネコンをはじめ建設・土木関連業者が吸い寄せられるからだ。消息筋によれば、九九年度第二次補正予算や2000年度予算で公共事業の大盤振る舞いを受ける見返りに、ゼネコン各社は昨年夏、自民党の政治資金団体「国民政治協会」に総額3億7000万円も献金したという。
行革会議で、建設省から河川局を分離して農水省にくつける案が検討されたことがある。これに危機感を抱いた建設省は、自民党の族議員を巻き込んで河川局分離の阻止運動を繰り広げる一方、批判をそらすために国の公共事業のスリム化を次のように提案し、2001年度からの採用が決まった。
それによれば、国が直接行う「直轄事業」を河川の場合、一級水系のような重要な河川に限定して、その他の河川は地方自治体に委ねよう、というものだ。この直轄事業の縮小に伴い、出先機関の八つの地方整備局に権限が大幅に委任されることになる(同様の主旨から、出来るだけ個別の補助をやめ、統合的な補助金を交付して地方自治体が裁量的に執行できるようにした)。
「本省のスリム化」の見地からみると一見よさそうな案だが、自由裁量の余地が大きくなった2万人の建設現場職員がかえって羽を伸ばして利権に走ることにならないか。建設省は公共事業の執行状況などを評価する省内責任者に「局長級」を充ててにらみを利かせる方針だが、身内のチェックではどうしても甘くなる。暴走しないよう郵貯や簡保事業と同様に第三者のチェック機関が必要だ。
「国家公務員25%削減」のまやかし
最後に、「国家公務員25%削減公約」の二つのまやかしについて述べよう。第一に、国立大学を含めた独立行政法人の職員数は計20万人近くに上るが、職員のほとんどの身分を国家公務員のまま残すのに政府は「政府外」という理由から、同職員数をまるごと公務員の削減数に含めているまやかし。
第二に、政府の解釈によれば「削減」は「純減」を意味しないまやかし。総務庁行政管理局の説明では、「削減数」は現行の人員を指すのであり、その年々に行う増員はこれとは別だから、「削減イコール純減」とはならないという。つまり、削減数以上に増員していけば、見かけは削減しながら「純増」さえ可能なのだ。小渕恵三首相は昨年6月9日の衆院・行政改革に関する特別委員会で「25%の定員削減」は必ず実施するとしながら、「25%純減」については「最大限の努力」を表明するにとどまった。
ちなみに、サッチャー政権下の英国は、89年までの10年間に国家公務員の「実数」を22%削減している。
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