NAGURICOM [殴り込む]/東山明
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山明の『気圧の魔』研究会報告
第2章 会員、ただ今2人
 圧アレルギー患者は結構多いと、先に書いたけれど、どうやら作家の五木寛之氏もその一人らしい。
かつて日経新聞に連載していたエッセー『みみずくの散歩』にこういう文章があった。

 九月二十三日、晴れ。
 晴れてはいるが、快晴という空模様ではない。どこかに低気圧が近づきつつあるような予感がある。
私は低気圧が天敵である。九百ミリバール台になると、青菜に塩、といった感じになってしまう。体がだるい。首筋が熱っぽい。口中にねばつく感じがあり、やがて偏頭痛がはじまる。気圧が下がり切ってしまえば、もう大丈夫。高気圧から低気圧へ転じる、その境目のあたりでダウンするのだ。
その日も見た目には気持ちのいい秋晴れだったが、なにか釈然としない気配があった。(1992年10月17日付け)。

 あ、ここに我が同僚がいた!! この文章を読んだ時の「我が意を得たり」という感激はいかばかりだったろう。。私はこれを切り抜き、今でも大事に保管しているのである。「気圧が下がり切ってしまえば、もう大丈夫。高気圧から低気圧へ転じる、その境目のあたりでダウンするのだ」というところがポイントである。私の場合、雨の降り出す直前が一番きつい。また「その日も見た目には気持ちのいい秋晴れだったが、なにか釈然としない気配があった」という表現も微妙である。朝起きて、今日はいい天気なのだが、どうもおかしいということはよくある。それを私は今近づきつつある高気圧のその後にすでに強い低気圧があって、その影響が早くも現れているのだと考えている。

 本は低気圧の通過するメインストリートである。西から東へ、年がら年中やってくるのだ。だから、雨が降るのをかなりな確率で予想できる。いつぞや、風邪で医者に行った時、看護婦とこの気圧アレルギーの話をしていて、「だから雨が降るのはすぐ分かる」と言うと、看護婦が「今日帰る時、傘もってった方がいいですか」と聞いた。自信を持って「持って帰った方がいい」というと、数時間後にきちんと雨が降り出し、私は面目を施すと同時に、すっかりうんざりしてしまった。

 のように気候が人体に与える影響は、私の低気圧アレルギーほどひどくないにしても、大なり小なり、誰にも共通するもので、雨の日を喜ぶ人はあまりいない。夏目漱石の「彼岸過ぎ迄」には「雨の日には人に会わない」話が出ているし、私の近所にも同じような症状を訴える人がいる。この人は私が風邪を引いたりしていると、やはり風邪を引く。漢方薬を愛用しており、ついでに私にも薬をもらってきてもらう仲なのである。気象と身体との関係を科学的な立場から明らかにしようとする「生気象学」なる学問もあるが、これについては後述する。

 て、我が友人のカメラマンO氏にこういうことを話したのは、もう十五年ほど前のことである。彼は最初「そんなことがあるものか」と、ほとんど取り合わなかったが、私が「今日は辛い」「どうも今晩は雨が降りそうだ」などと言っているうちに、「そういえば俺も同じふうだ」と言い出し、いったん「気圧の魔」の存在に気がついたら、どんどん症状が進むようで、いっしょにに仕事に行くときなど、「今日はひどい」とお互いの症状を報告しあって、慰めあう間柄となった。私が「気圧の魔研究会」を組織して会長になると言ったら、即座に「事務局長は俺だ」と言ったのである。そんなわけで今の会員は会長、事務局長の2人だけである。


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