■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
連載(全3回)メタバースの至福と脅威」(下)

(2022年5月26日)

(中)から続く

期待と思惑が過熱するメタバースは、果たして人間にとっていい事ずくめなのか―。KDDI、渋谷未来デザインなど75社の参画メンバーで構成する「バーチャルシティーコンソーシアム」は4月、メタバース運営のガイドラインを発表した。メタバースの共通理解を、「アバターを介してアクセスするオンライン上の3次元仮想空間及びその仮想空間を用いたインターネットサービス」と記した。
メタバースの要件のうち着目すべきは、次の点だ。「超多人数が同時接続し、アバターを用いて、仮想環境内で活動できる」、「別の仮想環境と相互運用でき、仮想環境内で自律的経済圏が存在すること」。つまり、参加の多人数性と新経済圏の創出を想定する。
経済産業省はメタバースを「社会や産業のあり方を大きく変えるパラダイムシフト」と位置付けた。今や世界の多くの企業が「100兆円を超える新市場の到来」を見込み、取り組みに血道を上げる。

情報支配の影の手

だが、「好事魔多し」である。メタバースの強烈な光には濃い影が生じ、その影は規制のあり方によって大きさを変える(図1)。まずはメタバースの負のインパクトとして、「広告による操作」を取り上げよう。
ソーシャルメディア向けなどのデジタル広告は増加し続ける。デジタル広告費用はテレビ、新聞、雑誌、ラジオなどすべての媒体を抜いてトップを走る。電通グループによると、2021年の世界の広告費は総額で6825億米ドル(約88兆7000億円)が見込まれ、うちデジタル広告費は前年比約3割増え全体の半分を超す。 うちグーグル、メタ(旧フェイスブック)、アマゾン3社で、世界のデジタル広告費の7割超を握る。グーグルとメタは、全収入の大部分を広告で稼ぐ。
メタバース広告になると何が違うか。第1に、人の集まる規模が違う。任天堂が20年3月に発売、世界的にヒットした人気ゲーム「あつまれ どうぶつの森」。子どもたちは1人でプレイを楽しみ、他者(他のユーザー)を必要としない。
が、メタバースの特徴の一つは他者との出会いと交流だ。多数の人がアバターを使って仮想世界に現れ、赤の他人ではなくなる。話し合ったり、ゲームを楽しんだり、ビジネスも行う。
当然、広告は従来のネット広告に比べ大きくスケールアップする。メタバースが新たなメディアになり、巨大な広告チャンネルになる。次に、広告の質がグレードアップする。広告が訪問ルートや行きたい先の空間にリンクしているため、迫真性が強まり、広告効果が一段と高まる。

あなたがメタバース内で別荘の購入を思い立ったとしよう。広告で選んだ不動産会社を訪れ、商談に入る。そこで別荘でのくつろぎ体験を得ようと、室内外の眺めや作り、ソファの座り心地、家具のあつらえなどをチェックして回るだろう。その一連の過程で、ターゲット広告の誘導力が働く。始めから終わりまで一貫性のある「物語り型」の広告ほどモノを言う。
結局、ユーザーはターゲット広告にますます判断を左右されるようになる。
そうなると、メタバースでは個人情報が知らぬ間に抜き取られて悪用され、プライバシーを侵害される懸念が一層深まる。ターゲット広告を操るとなると、主役は世界の広告を牛耳るGAFAMやテンセントなどIT大手が演じることになろう。メタバースの普及でデジタル情報の支配力は、競争力の強いIT大手の手中に落ちやすい。 欧州連合(EU)が今春、個人情報保護について厳しい基準を設ける大掛かりなデータ関連法を成立させたのも、GAFAMなどに「デジタル主権」を奪われるのを恐れたため、とされる。本来なら若者らが自由に羽ばたけるメタバース世界に、企業や国家の情報支配の影の手が伸びる。

悪意を持ったアバター

メタバース没入がもたらすもう一つの危険は、悪意を持ったコンテンツやアバターが現れ、いじめや脅し、セクハラなどを仕掛けてくることだ。暴行や詐欺、脱税などの不法行為や、没入しすぎて起こす事故や病の多発も起こりうる。
今のところメタバース世界には、仮想現実(VR)を見るゴーグル型のVRヘッドセットを頭に装着して入る。若い日本人女性が初めてこれを装着して仮想空間を訪れたところ、外国人のアバターが突然現れ、襲われるかと思って慌ててHMDを取り外したというケースが報じられた。
メタバースで友だちと出会い、信頼のネットワークを築きたいところだが、実際には善意を装う詐欺師の出現もあるだろう。「メタバースはゲームから始まる」と言われるが、早くも先例となる事故も続出している。

米ウォールストリート・ジャーナル誌によれば、米メリーランド州ボルチモア在住の少年(14)は、クリスマスにVRヘッドセットをもらい、早速装着してみた。が、その数時間後、ゲームのプレー中にバランスを崩して倒れ、膝頭を骨折した。仮想世界で高層ビルの上に突き出した板の端に立って前に飛び出したところ、現実の薄型テレビに頭から突っ込んだ40代男性。 ローマのコロッセオ(円形闘技場)で虎と戦った20代男性が、現実世界では空気を相手に殴り続け、右肩を伸ばしすぎて脱臼したケースも。こうした事故の防止に向けメタは最近、同社のVRヘッドセットのシステムを改良し、人間や物体が近づくと警告を発するようにした。だが、メタバースが普及すれば、事故の増加は避けられそうにない。
メタバースに最も必要なのは、セクハラといじめへの対処、と主張する専門家もいる。メタバースの先駆け、「セカンドライフ」の元セキュリティ幹部によると、感じやすい育ち盛りの子どもがメタバース内で長時間過ごすようになると、攻撃者は子どもに接触しやすくなる。 メタバースの世界を信じる子どもの心を操り、セクハラや脅しを仕掛けたり、誤った考えを植え付ける危険性を増すという。

脳の錯覚で溺れる仮想世界

とはいえ、メタバース最大級の危険は、バーチャルをリアルと取り違えてしまう「没入のしすぎ」にあるだろう。VRに耽溺するあまり、一種の麻薬中毒に陥ってしまう危険だ。
メタバース開発を手掛けるスタートアップ「クラスター」を2015年に起業した加藤直人CEOは、ユーザーの没入ぶりに驚きを隠さない。「(アップロードされた創造物の中には)カフェを作って飲み会を開催したり、競馬場を作ってゲームに興じたり。1日10時間以上滞在し、ここ(メタバース内)にまるで住み込んでいるような人々もいる」と週刊東洋経済に語った。
「1日10時間以上の滞在」とは、尋常でない。現実の日常生活との完全な入れ替えだ。仮想空間で過ごす時間のほうが、実生活で活動する時間より遥かに長い。メタバース生活が「主」で、実生活は「従」と、ひっくり返るわけだ。実生活に時間を割かないから、その分仕事の苦労とか実りや収穫の実体験が得られにくくなる。限りなく貧しい実生活に陥る恐れが強まる。
メタバースの長期滞在者は、さかさまな生活をしていることになる。さかさまになる理由は、溺れてしまうほど魅惑的な仮想世界だからである。

が、それにしても、なぜバーチャルをリアルと取り違えてしまうのか。答えは、脳の錯覚によってである。メタバース内で体験すること全てをリアルと錯覚し、そこをあまりに「素晴らしい新世界」と感じてしまうのだ。
リアルの厳しい世界はつい置き去りにされ、忘れられてゆく。いやむしろ、きれいさっぱり忘れてしまいたい旧世界となる。結果、現実世界との接触は薄れていき、生活の連続性が失われ崩れゆく危険性が増す。
「1日10時間以上の滞在」のようなケースでは、幻(まぼろし)が現(うつつ)となり、現実世界が空っぽになりかねない。リアルな生活に寄せる関心と割く時間を失い、孤立化して、これまで築いてきた多くの生活の支えも失ってしまいかねない。この実生活の崩壊をもたらす「現実との接触喪失」が、メタバースの最も濃い影の部分に相当する。

メタバースの罠

ここでメタバースへの「耽溺(Addiction)」の問題を深掘りしてみよう。耽溺は一種の酩酊状態を生み、酩酊は時に錯覚や幻覚をもたらす。没入を繰り返し、耽溺することで、脳は錯覚した世界に親しみ、安住するようになる。耽溺の理由は、脳がメタバース世界をリアルと錯覚するためだが、メタバースはそもそも脳に錯覚を起こすように作られている。 メタCEOのマーク・ザッカーバーグが言う「臨場感」こそが、メタバースの売りなのだ。
人の脳を刺激して錯覚を起こし、別のゲームや見どころある世界をリアルに案内し、新しい生活様式を提案する。脳は素晴らしい新世界と思い込んで耽溺する。自分の分身(アバター)が、脳に送り込まれる無数の信号が伝える情報を目で見、これに耳からの信号も加わって物事を判断したり、とっさの危険を避けて行動する。 自分が見聞きするのが、脳の錯覚の産物などとは、思いもよらない。

だが、実体はメタバース自体が脳の錯覚が生んだVRなのである。没入が習慣化して耽溺状態になれば、錯覚した世界をリアルと取り違えてしまうのである。それは麻薬の作用に似ている。
快楽をもたらす錯覚は、幻覚に酔っている状態にも見える。幻覚は、健常者と精神疾患のいずれにも認められる。が、幻覚が度を越せば、健常者のカテゴリーから外れるだろう。メタバース世界には、錯覚、幻覚の対象にはまり込み、抜け出せないリスクが潜む。
これを「メタバースの罠」と呼んでいいだろう。メタバースの罠は、耽溺者から実生活を剥ぎ取り、「現実との接触」を失わせる。
最近、若者がパラドックス的に使うフレーズに「リア充」がある。「仮想現実こそリアルに充実できる」という意味で言う。「リア充」のあまり、メタバースに入り浸り、自分の時間を専らVRに割くとすれば、ついには実社会に「帰らざる人」になりかねない。
メタバース時代到来を目前に、メタバースの光の部分の成長促進と、影の部分の防止策双方を今から十分に練っておかねばならない。





(図1) メタバースの光と影
筆者作成