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連載「生きがい年金」への道(5)/04年改革が犯した致命的ミス
(2013年1月10日)
年を取っても生きがいを感じさせる“安心年金”にするには、どうしたらよいか―。本稿では前4回まで未納や労働力人口減の実態など制度の脆弱性を検証した。 今回は現行制度が軋み、大きく揺らぐきっかけを作った2004年の年金改革を取り上げてみよう。当時「100年安心プラン」と呼ばれた2004年改革には、重大な設計ミスがあったのだ。
もらいすぎた年金
その咎はつい最近にも現れた。野田佳彦首相が臨時国会で衆議院の解散を宣言した2012年11月16日、その直前に年金に関する2つの法律が成立した。1つが年金減額を盛り込んだ改正国民年金法である。
2013年10月から15年度末までに本来より2.5%高い現行の年金水準を三段階で減額して本来の水準に戻す、というものだ。いわゆる「もらいすぎ年金」を段階的に解消していく。
引き下げ額は、国民年金の満額(月約6万6千円)の人で2013年10月からの1年目は月666円、2年目は月675円、3年目は334円の計1675円。専業主婦のいる夫妻2人世帯で厚生年金23万940円の場合、1年目は月2349円、2年目は月2375円、3年目は1176円の計5900円となる。
年金の過払い給付は2000年度から11年度まで累計で7兆円。物価が下落したのに年金額を据え置いたため生じたものだ。もらいすぎを解消する12年度から15年度までにさらに2.6兆円の過払いが発生し、過払い額は累計で9.6兆円に上る。
年金額は物価の上下に応じて増減額される仕組みになっている。ところが政治家が与野党一致で選挙対策から高齢者優遇を続けたため、物価の下落にもかかわらず減額されずに放置された。厚生労働省が09年度に発表した公的年金の財政検証では、年金の過払いは11年度までに解消し、12年度から年金財政を改善する「マクロ経済スライド」を実施する予定だった。
マクロ経済スライドとは、04年改革で導入された、年金額を毎年0.9%減らしていく自動調整の仕組みである。2038年度まで続けて給付水準を抑制し、年金財政を改善する、というのが04年改革のシナリオであった。
ところが、このシナリオは「想定外」としていたデフレ不況によって、のっけから崩れる。自動調整装置(マクロ経済スライド)が働かなかったのである。デフレ以外の要因でも「想定外」が続き、2004年改革の政府シナリオが画に描いた餅に終わることは明らかだった。見通しが、すべてにおいて甘すぎたのだ。
04年改革の致命的ミス
ここで「100年安心」を謳った04年年金改革に遡ってみる。揺らぐ現行制度の枠組みは、そこから来ている。どこに問題があったのか―。
04年の制度改革は、制度の持続可能性を確保するという明確な理念を持っていた。その点では過去の中途半端に見える改革とは異なる。構想自体は、悪くない。長期的な視野に立ち、年金保険料の上限も決めた。だが、具体的な方法論に大きな問題があった。想定をことごとく誤ったのである。致命的ミスと言ってよい。以下にこれを検証していく。
04年改革以前の制度では、給付水準を法律で定める一方、将来の保険料水準については見通しを示すに留まっていた。給付と負担の見直しは、人口動向や社会経済情勢の変動を踏まえ、5年に1回の「財政再計算」で行ってきた。
「財政再計算」には、負担と給付の関係を見直し、将来の負担水準と給付水準を設定する役割があった。
少子高齢化が予想より速く進行していることから、04年の年金改革では新たな枠組みが構築される。その柱は5つあった。
1. の「上限を固定」というのは、厚生年金保険料率は2017年9月から18.3%(本人負担9.15%、事業主負担9.15%)、国民年金保険料月額は17年4月から1万6900円でそれぞれ固定、の意味である。厚生年金の保険料率はサラリーマンの月収・ボーナスを基準に決定される標準報酬月額に対してかかる。
- 上限を固定した上での保険料の引き上げ(図表1)
- 給付水準を自動調整して抑制する「マクロ経済スライド」の導入
- おおむね100年にわたる積立金の活用
- 基礎年金国庫負担(税負担)の3分の1から2分の1への引き上げ
- 5年ごとに従来の「財政再計算」に代わり、年金財政の健全性を検証する「財政検証」を行う→5年後までに「所得代替率」、つまり「現役世代の手取り収入に対する標準的な年金額の比率」が50%を下回る見込みとなった場合には、「要治療」とみなされ、改めて給付と負担のあり方について見直す
この枠組みによれば、「年金額は名目額では減少しない」とのシナリオに沿い、給付水準は自動的に調整されていき、おおよそ100年間続くはずだから、国民の多くは「今度の年金改革はまんざらでもない」と感じたことだろう。
前述したように所得代替率が50%を下回るようなら給付と負担のあり方を検証することになるが、09年財政検証時点では「次の財政検証の予定時期である2014年度における所得代替率は60.1%と50%を上回る見込み」とした。したがって「50%を下回る見込みの場合に所要の措置を講ずることとされている規定には該当していない」と断定している。 国民の間に、自公政権が宣伝した通りに、「100年安心年金」がようやく整った、との安堵が広がったのも不思議でない。
しかし、実際には年金財政は破綻に向かい、昨年秋には「支給開始年齢の引き上げ」が突然、検討のマナ板に乗せられたことが報じられ、世間を驚かせたことは記憶に新しい。
なぜ早くも見込み通りにならなかったのか。
経済の動向を見込むのに「一つの前提」しか念頭に置かず、他のケースを考慮に入れていなかったからだ。
09年財政検証結果レポートにはこう書かれてある。
「マクロ経済スライドはあくまでも賃金や物価が上昇するときに年金額を抑制するものである・・・」
賃金や物価の上昇を当たり前として想定しているのである。明らかに前提の立て方がおかしい。デフレ経済は1998年から始まっていたが、それは一時の例外的な異常現象とみなされたのだ。デフレの泥沼から脱け出す希望的予測を唯一の「前提」にしたのである。
希望的観測の餌食
だから、ごく当然のように実質賃金上昇率を長期的に年1.5%と見込み、「賃金が上がっていけば、通常は物価上昇率よりも賃金上昇率の方が大きいため、そのときどきの現役世代の所得に対する年金額の比率は(物価スライド式なので)低下していく」とした。もっぱら従来の経済成長モデルの延長線上に年金プランを構築したのである。 この「安定成長経済」を前提として組み立てていった結果、現実の「名目マイナス成長・デフレ経済」とは合わなくなる。「支給開始年齢の引き上げ」論議が噴出してくるのも、時間の問題だった。
09年の財政検証では、経済前提、出生率とも「高位」「中位」「低位」のうち「中位」を「基本ケース」として位置付けている(図表2)。それによると―
現実はその後の経過が示すように、物価・賃金とも下落する。つれて運用利回りも乱高下した。08年9月に起こったリーマン・ショックが引き金を引いたとはいえ、これは想定外の経済現象であった。
- 物価上昇率1.0%
- 賃金上昇率 名目2.5%、実質1.5
- (年金積立金の)運用利回り 名目4.1%、実質3.1%
だが、当局は「海外要因ゆえにやむを得なかった」と自己弁護することはできない。年金プランには、こういう経済波乱を「あり得る要因」として組み込んでおく必要があるからだ。
つまり、「最悪のシナリオ」を想定しておかなければならない、ということである。
「最悪のシナリオ」とは、最も悲観的な見方を指す。それは「最悪の想定」を基に組み立てられる。この場合は「名目マイナス経済成長・デフレ」であり、現下のデフレ不況がさらに長引く事態も想定したものだ。
「それは悲観的にすぎる。政策意思に合わない」などと排除してはならない。未来を希望的に考えたいところだが、経済前提の設定は別問題だ。政策目標絡みであってはならず、「最悪のシナリオ」も併せて考えておかなければならない。このシナリオから外れていけば、それに越したことはない、として想定しておく必要があるのだ。
厚労省は希望的予測に囚われ、その餌食となったと言うほかない。
シナリオ崩れの元凶
しかし仮に悲観的な「経済低位ケース」を基に年金プランを構築したとしても、結局は失敗に帰しただろう。
なぜなら「低位ケース」は、次のようになっているからだ。
ご覧の通り、「中位ケース」と物価上昇率は同じ、賃金上昇率、運用利回りも、さして変わらないのである。「高位ケース」を見ても、物価上昇率をここでも1.0%とするなど、大差ない。つまり、高位ケースから中位、低位に至るまで大同小異の数字なのだ。
- 物価上昇率 1.0%
- 賃金上昇率 名目2.1%、実質1.1%
- 運用利回り 名目3.9%、実質2.9%
結果、厚生年金の標準的な年金の給付水準(所得代替率)の見通しでも、目立った差が付かなかった。モデルとする「基本ケース(出生中位、経済中位)」が次の財政対策のメドとなる50%に近付くのは「2038年度以降」としたのに対し、「出生低位、経済低位」ケースでは50%になる時期を「2035年以降」とした。給付と負担を見直す50%水準の到来時期が、わずか3年しか隔たっていないのだ。「中位」と「低位」の数値の差が小さいことから、当然ながら見通しも大同小異になったのである。
前提となる数字が、このようにダンゴ状態では意味がない。仮に「最悪シナリオ」を想定しても、結果は大同小異となるからだ。「経済低位」でも、物価上昇率は1.0%とみなしているから、物価が下落すればモデルとして役立たずになる。
なぜ、こんな経済前提になったのか。
実態からかけ離れたバラ色に近い将来見通し。「100年安心年金」シナリオがほどなく狂いだしたのは、年金財政見通しが大外れしたからだ。
前提となったのは、足下の15年までは内閣府経済見通し(「経済財政の中長期方針と10年展望試算」09年1月)が示した複数のケース設定だ。それ以降の長期の経済前提は、厚労大臣の諮問機関・社会保障審議会年金部会経済前提専門委員会の報告(「平成21年財政検証における経済前提の範囲について」08年11月)や内閣府の試算(「経済財政の中長期方針と10年展望比較試算」09年1月)。さらに物価見通しでは、日本銀行の金融政策決定会合の議決を踏まえたという。
イチイチもっともな根拠にも見えるが、政府・日銀の見通しのすべてに当局の政策意図や目標が反映されていることに注意する必要がある。有識者など第三者による審議会の類も当局が委員を人選しているため、当局にお墨付きを与えるか、当局寄りの結論になりがちだ。
経済前提のうち、政策に絡む前提はすべて怪しげなのである。信用できるのは、将来推計人口のような政策意図が介入する余地のない見通しくらいだ。
政府・日銀の経済見通しは目標絡みであるために信頼性に欠ける。年金シナリオの「前提」に使ってはならないのだ。
では、どういう仕方で将来の経済見通しを立てるべきか―。
米国の堅実な見通し
そのカギは「過去の実績」にある。 かつては過去の実績から年金シナリオを組み立てた。厚労省幹部が内情を語った―「1999年以前は、過去の実績を使って予測したが、04年からそれを変えた」
過去の実績の延長線上に現在があり未来が続くのだから、予測する上でこれを重視するのは当然だ。過去の実績から予測する方が、政策目標絡みの政府・日銀見通しよりも確実性がずっと高い。
現に欧米では、総じて過去の実績を基に見通しが設定される。
米国では過去の実績を踏まえ、公的年金(OASD)の将来見通しについて毎年見直しを行う。日本の「5年に1回」の見直し頻度とは大違いだ。日本の場合、人口動向などを把握する国勢調査の「5年に1回」に合わせたものだが、5年ごとの間隔では長すぎる。激しく動く社会・経済情勢にきめ細かく対応するには不適だ。
米国は、将来見通しを「3つの経済前提(低コスト、中位、高コスト)」に基づき、長期(75年間)と短期(10年間)の双方で公表する。過去の実績に基づく予測なので、振れが小さく確実性が高い。将来見通しを直近の情報に基づき毎年、再検討し公表することで、国民に安心感をもたらす。
将来見通しの前提は、人口学的要素と経済的要素から構成している。人口学的要素とは出生率、死亡率、純移民者数など。経済的要素とは生産性上昇率、実質賃金上昇率、消費者物価上昇率、失業率、実質利率などである。
賃金上昇率設定の考え方を見ると、その計算要素となる労働生産性上昇率、平均労働時間上昇率、GDPに対する労働報酬割合上昇率などを「過去40年間の平均」を基準にしてはじいている。「過去の長い実績」の延長線上に見通しを立てるわけだ。
このように、米国の方が日本の内閣府や日銀の目標絡みの将来推計よりも遙かに手堅く、信頼できる見通しが得られる。米国はこの経済前提に立って、「中位」の前提に基づく長期(75年)の見通しは「2017年に支出が社会保障税等を上回る。以降、2027年までは利子収入を含めると支出が賄える。その後は、積立金の取り崩しが続き、2041年には積立金が枯渇する」という結論を得ている。
毎年行う財政検証、過去40年間の実績に基づく将来見通し―米国の公的年金のきめ細かい財政チェックと確実性の高い将来見通しが浮かび上がる。日本の5年ごとの財政検証を毎年行うようにする。同時に、政府・日銀の見通しを鵜呑みにした経済前提を、「過去20年超の実績」を基準にしたものに即刻改めなければならない。
(図表1)2004年改革で決まった厚生年金、国民年金の保険料水準の引き上げ (2017年が上限、以後固定) 出所)厚生労働省「平成21年財政検証結果レポート」
(図表2)長期の経済前提 出所)厚生労働省「平成21年財政検証結果レポート」