■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「さらばニッポン官僚社会」 |
連載「生きがい年金」への道(1)/具体性なき成長戦略
(2012年9月3日)
社会保障・税一体改革関連八法が国会で成立した。予定通り実施されれば、消費税は2014年4月に現行の5%から8%に、15年10月に10%になる。 野田佳彦政権は自民、公明との三党合意の下、一体であるはずの消費増税を社会保障改革から切り離し、“見切り発車”した。今後、積み残した巨大課題への対応が問われる。
政権が積み残した大型荷物は、二つある。一つは、デフレ経済を回復させ、消費増税のための経済環境を早急に整えることだ。二つめは、先送りしてきた社会保障改革の全体像をまとめ、国民に示すことだ。
一体改革法では経済条件に関する付則(いわゆる「景気弾力条項」)が加えられ、消費税の引き上げには、成長経済への好転が努力目標になっている。
11〜20年度の平均経済成長率を名目で3%程度、物価変動を考慮した実質で2%程度にするという目標だ。この達成に向け、政府は日銀と共に経済・金融対策を実施し、経済をデフレから緩めのインフレに移行させ、成長分野に資金を投入して潜在需要を引き出さなければならない。
これに対し民主党政権は今年7月に「日本再生戦略」を発表し、成長重点政策を示したが、後述するようにキャッチフレーズばかりで具体策に乏しい。全省庁を動員して官僚に作文させたエセ戦略だ。
一方の自民党は消費増税をにらみ、今国会に国土強靱化基本法案を提出した。堤防や高速道路を整備し、災害に備えるという。先祖返りの公共事業への大盤振る舞いで、党内には「10年間で事業費200兆円」の声が息巻く。その原資は、消費増税による収入増を当てにしている。
公明党も同工異曲だ。7月に防災・減災ニューディール推進基本法案を発表した。こちらは「10年で100兆円」を使う計画。これに対し野田首相は事実上、両党に支持を表明した。「コンクリートから人へ」の政権交代時のマニフェストにこだわるどころか、「災害対策に強力に取り組むという認識は共通している」と国会で答弁している。
なんのことはない。政府は消費増税分の5%相当で見込まれる13.5兆円の増収分をすべて社会保障費に使う考え方を示していたが、このうち社会保障向け借金減らしに充てる7兆円相当を公共事業に転用しようというのだ。すでに小沢派が大量離脱し、四分五裂となった民主党政府には、こうした公共事業復活の蠢動を抑止する意思さえはっきり見えない。
こういう体たらくの政治状況の中、法律で消費増税が定められた以上、野田首相が「近いうちにやる」と明言した衆院解散・総選挙でどのような政権になろうと、法律の付則にある経済好転の条件を実行する義務を負う。
仮に橋下徹・大阪市長の率いる大阪維新の会が、衆院選で民主、自民の二大政党を圧して政権を握った場合でも、同様の立場になる。新政権はいずれにせよ、経済の名目成長へ向けた力強い舵取りを迫られるのだ。
2016年から景気底冷え
一体改革法の付則にある「名目成長率3%、実質2%」は、インフレ率を1%と想定したものだが、過大な目標どころか、復興需要を考えればむしろつましい目標と言える。
増税実施の経済条件を見究める決断は、13年秋と15年春に時の政権が行うことになろうが、増税実施の直前には買い急ぎの仮需が発生するから経済指標は必ず上向く。13年秋と15年春の判断時にも仮需で消費は一時的に盛り上がる可能性が高い。そこで、時の政権はこれを奇貨に「景気は底堅い」などと公表して増税を正当化し、実施に踏み切るだろう。
だが、景気は、おそらく2016年頃から底冷えしてくるのではないか。97年4月に3%から5%に引き上げた、かつての消費増税の影響から「歴史の教訓」が読み取れる。
当時、消費増税は次の3つの「負の衝撃」を日本の社会・経済に与え、貴重な教訓を残している。
1. 不況下で増税すると景気はさらに下降する―日本経済は増税翌年の98年からデフレに向かい、消費者物価は99年から2003年まで5年連続で下落。その後一進一退ののち、08年9月のリーマン・ショックで再び「デフレの沼」にはまって今なお脱け出していない。
2. 不況下では消費税を上げても税収総額は増えない―消費増税に「不退転の決意」で臨んだ野田首相だが、本来の目的とした財政危機を好転させるどころか税収は増えない。景気悪化が深刻になれば、基幹税の所得税、法人税が落ち込み、税収総額はむしろ減収してしまう(図1, 2)。
97年以後の一般会計税収を見ると、97年には消費増税で53.9兆円に上ったが、その後低落傾向をたどり、今では40兆円台に。税収を増やそうと消費増税を行い、かえって税収を減らしてしまったのだ。
3. 消費増税を背景にデフレ不況に陥っていく中で、自殺者が急増し、未曾有の「自殺者3万人時代」を招いた ― 中でも自営業者の自殺増が目立つ。秋田市で経営者と家族の自殺を防ぐ活動を続けるNPO法人「蜘蛛の糸」によれば、消費増税の翌九八年に日本の自殺者数が前年の三割以上も跳ね上がって三万二千人に達した。
増加した自殺者数の六割近くが「経済・生活苦」によることも判明した。この年以降、デフレ不況の深まりに伴い毎年続く「自殺者3万人時代」に突入している。
明らかに98年に急激な変化が起こったのだ。同NPOはこの98年を「魔の活断層」と呼んでいる。
今回の消費増税の影響で、中小企業の経営がますます苦しくなれば、高止まりしている自殺者数が再び急増に向かう「第二の活断層」となる可能性も否定できない。生命と生活と雇用の破壊が、さらに拡大しかねない。
デフレ不況下での増税シナリオは、このように最悪の「負のスパイラル」を引き起こす恐れがあり、そもそも経済回復を先行すべきだったのだ。
“鈍牛”の官頼み
野田首相は、しかし、歴史の教訓を何一つ顧みなかった。鈍牛さながら財務官僚の振る、ムレタと呼ばれる“赤い布”(消費税)を目がけて猛進した。野田氏は野党時代、「消費税引き上げの前にシロアリ(官僚利権)を退治する」と勇ましくぶち上げていた。 が、首相になってからは「君子豹変す」と言いだし、とうとう財務官僚に洗脳されて「消費増税至上主義者」に凝り固まり、増税に突っ走って念願をかなえたのである。
消費増税の実施が決まったからには、まずは名目経済成長3%の実現を早急に図り、併せて低所得者への増税の打撃を和らげなければならない。
このためには、名目GDP(国内総生産)を拡大する必要があり、すでに見たように野田政権は遅まきながら2020年までの成長政策を盛った「日本再生戦略」を打ち出したのだった。 しかし、首相が議長を務める国家戦略会議がまとめた「日本再生戦略」は、省庁別に出してきた政策案をまとめたにすぎない。消費増税時に目標とした経済成長を実現するため、国家戦略会議は後に示すように、各論で官僚の作文を束ねてそのまま発表した疑いが濃い。
「日本再生戦略」は、一見して総花式でエッジ(刃先)がない。全省庁から案を寄せ集めたチャンコ鍋型で、省庁の予算分捕りの狙いが透けて見える。
総論のキャッチフレーズは目を引く。「フロンティア国家」だ。未曾有の震災と原発事故を超克し、世界の先端を行く超高齢化社会の課題に挑戦する「フロンティア国家」と見立てている。
その基本方針に上げた5つのうち、次の3つが柱とされる。
1. 「被災地の復興なくして日本の再生なし」、「福島の再生なくして日本の再生なし」の強い決意で臨み、原発依存度を可能な限り低減し、再生可能エネルギー・省エネを最大限拡大することを基本にする。この考えから「原発からグリーンへ」の構造転換を進める「グリーン成長戦略」を最重要戦略に位置付ける。
2. 成長が見込まれる「グリーン(エネルギー・環境)」「ライフ(健康・医療)」「農林漁業」の三分野に政策財源を優先投入する。
3. 2020年度までの平均で「名目成長率3%程度、実質成長率2%程度」を目指すためにデフレ克服に全力で取り組み、あらゆる政策手段を使って円高とデフレの悪循環を防ぐ。
この基本方針までは、おそらく国民の多くに異存はないだろう。政府は再生戦略の実行により「グリーン」と「ライフ」の成長戦略だけで約420万人もの新規雇用創出を目指すという(数字の根拠は書かれていない)。
問題は、具体策だ。
重点施策に挙げた「中小企業」と「観光立国戦略」を取り上げてみる。「中小企業戦略」では、2020年までの目標として「開業率が廃業率を定常的に上回る」ことを掲げる。だが、「今さら遅すぎる」というのが、中小企業経営者の実感だ。
廃業率が開業率を上回るようになったのは、すでに90年代後半だ。中小企業数の毎年の減少は、10数年前の自民党政権時代から問題化していたのである。
にもかかわらず、政府は有効な手を全く打たなかった。親会社による過度なコスト削減要求や銀行の貸し渋りのように、中小企業は景気悪化のしわ寄せを受けやすい。そこで、具体策には起業をしやすくするための税制優遇や規制緩和・撤廃、金融機関の貸し出し条件の改善などを盛り込む必要がある。
ところが、この具体策はどこにもない。
中小企業経営者を悩ます個人保証契約問題。これに対しても、「経営者本人保証を限定的にする施策」とあいまいに言っているだけだ。
「観光立国戦略」も同様だ。目標の一つに「休暇改革」を挙げ、国内観光需要の創出効果を約1兆円、と謳っているが、ひどく現実離れしている。国民の収入が落ち込む中、消費増税や社会保険料の増大から家計の大半は余裕を失い、旅行に回すカネを引き締めざるを得なくなるのは必至だからだ。 日本の祝祭日はすでに米国などよりも多く、これ以上の増加は経済活動に支障を来たす「負の影響」を考えなければならない。
もう一つの悪例に「2020年までに実現すべき成果目標」への施策が挙げられる。その一つに「アジア最大のMICE開催国となる」がある。MICEとは、国際見本市や国際会議、国際イベントを指す。
だが、看板は立てたが、どういうMICEであるべきか、肝心の内容と手法を示していない。
このように「日本再生戦略」は、スローガンを羅列したお題目だけで、具体性と実効性に欠ける。消費増税関連法案を成立させるために、各省の官僚たちに大急ぎで成長戦略の作文をさせ、ツジツマを合わせたようだ。
野田政権はついに消費増税だけでなく、成長政策についても官に任せ、丸め込まれた。このことがよく分かる代物だ。
「近いうちに」解散・総選挙の実現が待ち望まれる。
本連載の次の第2回から、社会保障の中核を成す年金に分析の焦点を移していこう。