■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「さらばニッポン官僚社会」 |
短期集中連載(全4回)「特定秘密保護法に公益性はあるか」(4)
(2015年5月25日)
(3)から続く
「たちかぜ」自衛官自殺事件
もう一つ、行政情報の隠蔽を合法化するという点で、秘密法の危険な反公益性を示す事件を示そう。
「たちかぜ」自衛官自殺事件である(注5)。海上自衛隊横須賀基地所属のミサイル搭載護衛艦「たちかぜ」の一等海士(当時21歳)が、2004年10月に上職の二等海曹によるいじめを苦に鉄道駅から飛び込み自殺し、その調査結果を海上自衛隊が隠蔽した事件である。
自殺した一等海士が残した遺書には、家族への感謝の言葉と共に、二曹を名指しでいじめを受けた内容が書かれてあった。
海自は事件後、「たちかぜ」の全乗員に対し、暴行や恐喝の有無を尋ねるアンケートを実施した。翌05年、遺族はアンケートの公開を要求したが、海自側は「アンケートは破棄した」と回答した。
ところが実際は破棄されておらず、アンケートは残っていた。
海自の対応に疑問を抱いた三等海佐が、2008年からアンケートの公開を海自に働きかける。だが、海自は「破棄した」との立場を変えなかった。
他方、いじめの張本人とされた二曹は2005年1月、別の自衛官らに対する暴行罪・恐喝罪で有罪判決を受け、海上自衛隊を懲戒免職処分される。裁判で二曹はエアガンなどを艦内に不法に持ち込み、上司が黙認する中、暴行を働いていたことが発覚。判決は「艦内の暴行は日常的」と認定した。
遺族の両親は2006年4月、「自殺したのは先輩隊員のいじめが原因。上官の艦長、分隊長らも黙認していた」として国と元二曹を相手取り計1億3000万円余に上る損害賠償請求訴訟を起こした。
横浜地裁は2011年4月、訴えの一部を認め、国と元二曹に計440万円の支払いを命じる。しかし「元二曹や分隊長らが自殺するまで予見できたとは認められない」とし、暴行・恐喝による損害の範囲でしか損害賠償を命じなかった。
遺族側は、この地裁判決を不服として東京高裁に控訴。「上官らが元二曹が繰り返した暴行・恐喝を放置して自殺に追いやった。自殺の予見は可能であった。適切な指導が行われていれば、自殺は回避できた」と訴えた。
2014年4月、控訴審は遺族のこの主張を全面的に認め、国と元二曹に対する賠償額も7350万円に大幅に増額し、防衛相は上告を断念したために決着した。
控訴審判決は同時に、国による行政文書の隠蔽とその違法性を認定して衝撃波を広げた。
前出のアンケート(「艦内生活実態アンケート」)の存在を内部告発したのが、一審で国の指定代理人を務めた三等海佐だ。この三佐が2012年4月、東京高裁に「アンケートを持っている」との意見陳述書を提出。海自は同年6月、アンケートが存在していたことを認め、2012年6月の記者会見で杉本正彦海上幕僚長が謝罪した。
防衛省海上幕僚監部は高裁判決から5か月後の2014年9月、アンケートの原本を破棄するように指示した男性事務官ら4人を停職や減給の懲戒処分、上司ら30人を口頭注意などの処分にしたと発表した。
控訴審判決はさらにアンケートばかりか、「たちかぜ」艦長が2005年当時、遺族側から開示請求されたのに、保管していた乗員からの事情聴取メモを出さずに隠蔽した、と認定した。
岡田尚原告弁護団長は「国側(海上自衛隊)による証拠隠し、根強い隠蔽体質をどう突破していくか、という戦いでした」と裁判を振り返る。ある防衛事務官は高裁への陳述書で、海自の組織ぐるみの情報隠しをこう証言した―「アンケート原本について海幕法務室に意見を求めたら『破棄するのが適当だろう』と回答され、同室の訴訟専門官から『隠密裏に(破棄を)実施して下さい』との業務メールが届いた」
こんな隠蔽体質を勇敢にも内部告発して真実を暴いた三佐は、その後どうなったか―。
2013年6月、海自は東京高裁に意見陳述した三佐に対し、調査の関連資料を自宅に保管していたことを「規律違反」として懲戒処分手続きの開始を通告した。しかし、2014年4月、小野寺五典防衛相(当時)は、海自が検討する三佐の処分問題について「基本的には公益通報に当たると思っている。通報者に不利な取り扱いすることはあってはならない」との見解を明らかにした。防衛省は処分を見送り、前述の同年9月に実施した関係者の処分対象から外した。
この事件は特定秘密保護法に関連して重要な示唆を与える。行政組織の情報隠蔽体質の根深さは想像以上であり、三等海佐の内部告発がなければ、真実は決して明るみに出なかっただろう。そうなれば、アンケートなど事件の調査資料は永久に闇に葬られ、正義は悪のヴェールに包み隠されて顕現しない。
仮に当時、秘密法が施行されていたらどのような展開になったか―。そもそも調査関連の行政文書は隠すまでもなく、「特定秘密」に指定されていて表に出てこない、となる可能性が高い。三佐が内部告発しようにも特定秘密漏洩への懲役最大10年という厳罰の脅威が立ち塞がる。秘密法が、正義を挫き、悪を助ける図が垣間見える。
おわりに
原子力発電にまつわる連綿とした情報隠し、沖縄密約を巡る秘密文書「不存在」と情報開示拒否、「たちかぜ」自衛艦内の悪質ないじめと調査文書の開示拒否―。この3つの事例は、現代の民主主義社会とは相容れない官僚の組織的な情報隠蔽と、そのためには偽計と虚偽証言さえ用いる無法ぶりを示した。
憲法が謳う「国民主権」とはまさしく正反対の、閉ざされた官僚の本能的な「自己保身」「組織防衛」の衝動で事は運ばれた。
沖縄密約事件の第一審判決(2010年4月9日)が、これらの事件に共通する「本質」を抉(えぐ)った。杉原則彦裁判長は、判決で民主主義の基本的な権利と言うべき国民の知る権利を無視する国の対応を正面から指弾した。
「…原告らが求めていたのは、本件各文書の内容を知ることではなく、これまで密約の存在を否定し続けていた我が国の政府あるいは外務省の姿勢の変更であり、民主主義国家における国民の知る権利の実現であったことが明らかである。
ところが、外務大臣は、…密約は存在せず、密約を記載した文書も存在しないという従来の姿勢を全く変えることなく、本件各文書について、存否の確認に通常求められる作業をしないまま本件処分をし、原告らの前記期待を裏切ったものである。このような、国民の知る権利をないがしろにする外務省の対応は、不誠実なものといわざるを得ず、(以下略)」
特定秘密保護法が、このように国民の知る権利を侵す官僚組織の秘密作りに加担し、秘密を一段と増やし、場合によっては秘密を永久化したり、不都合な情報を廃棄してしまう恐れが強い。この法律の根本的な欠陥ゆえに、施行以降、民主主義とは逆方向の公安警察が市民の動きを監視する、息苦しい「公安警察国家」に化する恐れさえある。その方向性は「閉ざされる社会」だ。この法律がまさしく「公益の反対側」に位置することが分かる。
だが、民主主義にとって「いま、そこにある危機」は、国民の知る権利を支える2つの法律―情報公開法と公文書管理法が空洞化してしまうことだ。行政文書・記録を公開させる仕組みの情報公開法と歴史的な公文書・記録を保存・公開させる仕組みの公文書管理法。この2つが、情報公開制度を支える主柱になっている。
秘密法の運用とこの2つの「知る権利」法の空洞化で、国民は情報から締め出され、盲目にさせられる危険が現実化する。
秘密法は秘密指定後5年ごとに「延長」か「解除」を定めているが、解除後、不都合な文書は法律に従って公文書館に移管されずに、廃棄されてしまう恐れもある。重要文書がひとたび廃棄されれば、歴史を検証するすべはなくなり、歴史のその部分は空白となる。われわれも子孫も歴史の真相を知ることができなくなる。
秘密法により特定秘密の開示請求は拒否できるから、市民の情報請求も機能しなくなる。情報公開法の例外範囲は広がり、空洞化が進む。
情報公開法と公文書管理法により、行政情報の公開と保存の制度が欧米より大きく遅れながらもようやく整えられた矢先、特定秘密保護法が現れ、正面から立ち塞がったのである。秘密法の本質が「官僚の官僚による官僚のための法律」と言われる所以(ゆえん)である。
行政情報が官僚の一手に握られ、特定秘密化され、操作されるところに、民主主義を締め上げる秘密法の怖さがあるのだ。
官僚の抵抗から難産の末、2001年4月に施行された情報公開法に続き、福田康夫首相(当時)の主導で公文書管理法(正式名称は「公文書等の管理に関する法律」)が2011年4月に施行される。この法案の審議を重ねた有識者会議は2008年11月、その最終報告で「公文書の意義」について次のように示した。
民主主義の根幹は、国民が正確な情報に自由にアクセスし、それに基づき正確な判断を行い、主権を行使することにある。国の活動や歴史的事実の正確な記録である「公文書」は、この根幹を支える基本的インフラであり、過去・歴史から教訓を学ぶとともに、未来に生きる国民に対する説明責任を果たすために必要不可欠な国民の貴重な共有財産である。
こうした公文書を十全に管理・保存し、後世に伝えることは、過去・現在・未来をつなぐ国の重要な責務である。これにより、後世における歴史検証や学術研究等に役立てるとともに、国民のアイデンティティ意識を高め、独自の文化を育むことにもなる。この意味で、公文書は「知恵の宝庫」であり、国民の知的資源でもある。
「公文書」が民主主義の根幹を支える情報公開制度の「基本インフラ」である、というまっとうな認識である。そして、それは「国民の共有財産でもある」と。
いま喫緊に必要なのは、特定秘密保護法の廃棄であり、同時に国民の知る権利をさらに広く確保するための情報公開法および公文書管理法の改正ではないか。政府の情報をむやみに秘密にしてはならず、公文書をむやみに廃棄してはならない。改正に向けた国民的論議と、これに並行した国会論議の盛り上がりが求められる。■
(注5)護衛艦「たちかぜ」いじめ自殺事件弁護団 岡田尚団長による「護衛艦『たちかぜ』いじめ自殺事件提訴の御報告」
武蔵小杉合同法律事務所ホームページ「護衛艦『たちかぜ』イジメ自殺事件 完全勝利判決!」