■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」

<番外篇> 日銀のインフレ目標が好影響/デフレ脱却に期待感


(2012年3月8日)

日本銀行が2月14日に決めた事実上のインフレ目標が、「円安・株高」の形で日本経済に好影響を広げてきた。日銀が初めて目標を示したことで「デフレ不況脱却の光がようやく見えてきた」との期待の高まりが背景にある。

東京外国為替市場では22日、6カ月半ぶりに1ドル=80円台を付ける円安ドル高水準まで円売りドル買いが進んだ。市場筋によると、米景気回復への期待もあるが、主因は日銀の新金融政策を好感したため、という。
日銀は14日の金融政策決定会合で金融政策で目指すべき物価水準となる「中長期的な物価安定の目途(Price Stability Goal)」を新設、当面は消費者物価上昇率1%を目指す方針を決めた。これは従来は採用しなかった「インフレターゲット」を事実上、導入したものだ。日銀は同時に、1%の物価上昇を見通せるまで実質ゼロ金利政策の継続、資産買い入れ基金の65兆円程度への10兆円拡大の金融緩和の強化も打ち出した。市場はこれを、中央銀行がようやく「デフレ退治」に腰を上げた、とみたのである。
日銀は長い間、脱デフレ政策に及び腰だった。米国の中央銀行に当たるFRB(連邦準備制度理事会)のベン・バーナンキ議長が、理事だった2002年当時、「デフレ克服のためにはヘリコプターからお札をばらまけばよい」と言い切ったのとは対照的に、慎重な姿勢に終始した。2001年3月に導入した量的緩和政策も、06年3月に4カ月連続で物価上昇率が0%台になると早くも解除している。

今回の決定以前、日銀は「望ましいと考える消費者物価指数の前年比上昇率」について「中長期的な物価安定の理解(Understanding)」という分かりにくい表現で政策を説明し「2%以下のプラスで、中心は1%程度」としていた。 これに対し、欧米の中央銀行は物価安定政策について「目標(target)」(英イングランド銀行)とか「長期的な目標(goal)」(米FRB)と明確な言葉を使ってきた。
今回、日銀は日本文では「1%を目途」とし、海外向け英語版では「1%を目標(goal)」と発表した。日本文のニュアンスは、明らかに弱くあいまいだ。 初めに「目途」と決め、これを英訳する際に「目途に近い言葉としてゴールという語を使った。従来の『理解』の意味合いを強めた」と言う。 結果責任を避けるため、敢えて「目途」とぼかした疑いがあるが、海外では「目標」と受け止め、為替・株取引が動いたのである。

今回、日銀決定を促した最大の要因として、米FRBが1月25日、長期的な物価上昇率の目標を2%とする「インフレ目標」を決定したことが挙げられる。 さらに、超円高の継続を前に、政府・与党内、国会から「金融緩和への消極性が円高を招いた」との批判を浴びたことや、11年に31年ぶりの貿易赤字、12年3月期決算でのソニー、パナソニックなど大手電機企業の大幅赤字続出、11年10月〜12月期国内総生産(GDP)の2期ぶりのマイナス経済成長転落などが、日銀の背を押した。
市場では「金融政策がデフレ脱却へ踏み出した」と歓迎一色だが、日銀の金融緩和の本気度をいぶかる声も依然強い。 国内向けには「インフレ目標」という明確な表現を避け「目途」とぼかしたのに加え、速水優総裁時(98年3月-03年3月)からインフレ目標設定に「健全な金融政策を損なう」と抵抗してきた経緯があるからだ。
速水氏は日銀の“宗旨”として、景気対策で政府から求められた長期国債の引き受けを拒否したことで知られ、後任の白川方明総裁も、バーナンキFRB議長がリーマン・ショック後の大不況を好転させるため巨額に上る米長期国債を追加購入したのに対し、「日銀券ルール」(長期国債の日銀保有額をお札の発行残高以下に抑える日銀の内規)を頑なに守ってきた。
今回、2月14日の記者会見で白川総裁は、「『中長期的な物価安定の目途』を示すことにしました。具体的には、消費者物価の前年比上昇率で2%以下のプラスの領域にあると判断しており、当面は1%を目途とすることを明確にしました」と語った。 英語版に明記した「ゴール」との整合性については触れていないため、表現の真意と信頼性を巡って今後、内外で問題化する可能性がある。

日銀は通貨の番人として「通貨価値の安定」が最大の任務である。この任務に関し1997年までは、インフレが高進しないように気をつけていればよかった。 しかし、消費税が3%から5%に引き上げられた翌98年から日本経済は「デフレの罠」にはまって抜け出せない。 「通貨の安定」を図るには、主要目標をインフレからデフレ脱却に移し替えなければならないが、日銀は今回に至るまで「インフレ目標」新設に踏み出そうとしなかった。
2008年9月のリーマン・ショックが、デフレから抜け出せない日本経済を激しく揺さぶる。 それまで500兆円の大台に乗せていた名目GDP(国内総生産)が急減。11年には、リーマン・ショック前と比べ44兆円超も落ち込み、468兆円に減少した。同時に11年度の消費者物価の伸びは「マイナス0.1%」の見通しに下方修正され、3年連続のデフレが確実となった。 こうした中、昨年10月には1ドル=75円台と戦後最高値まで円高が進み、その後70円台後半を行き来して超円高が定着しかけていたのである。
他方、民主党政権は12年度の震災復興予算で財源確保に向け所得、法人、個人住民各税を臨時増税すると共に、財政難を理由に15年までに10%への消費増税を決定。 国民の所得が増税から減少し、デフレ化が一層見込まれる中、日銀がこうした内外事情に迫られ、インフレ目標設定を余儀なくされた、というのが真相のようだ。