■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「さらばニッポン官僚社会」 |
第21章 公益法人の多くは官製「官益法人」
98年12月に施行されたNPO法(特定非営利活動促進法)で法人格を与えられたNPO(民間非営利団体)に対し、新たに優遇税制を導入すべきか?NPO法人への優遇税制論議が、今秋から年末にかけて大詰めを迎える。論議の焦点は「公益性の高さ」など一定の要件を満たしたNPO法人に個人や法人が寄付をした場合、寄付金を個人や法人の課税所得から控除する「寄付金控除」と、NPOに法人税などの公益法人並み減免を認めるかどうか、になろう。
NPOはなぜ税制優遇されないのか
現行法では、NPOは法人格を得ても税制優遇措置は一切受けられない。これに比べ公益法人は、法人税、所得税、印紙税、法人住民税、固定資産税、事業税など軒並み減免されている(原則として法人税のように収益事業に対してだけ課税)。同じ公共サービスをするにもNPOだけが課税され、公益法人は免税?とあっては、「法の正義」に反する。そもそも公益法人が税制優遇措置を受けるにふさわしい「公益性」を持っているか、というと、疑問符だらけだ。本シリーズでみてきたように、非常に多くの公益法人は「公益」よりも「官益」に奉仕する「官益法人」といってよい事業実態だからである。
「官益法人」を野放図に生んだ法的要因は、二つある。
一つは、公益法人の要件を定めた民法第三四条に「公益」に対する定義がないこと(同法には、公益法人の要件の一つとして「公益に関する事業を行うこと」と漠然とした規定しかない)。二つめは、主務官庁が設立許可・監督権限を握るという主務官庁制である。つまり、「官」の多くは自らの判断と計算で設立を許可した公益法人に、優遇税制の下で天下りし、利権を追ってきたのである。
NPO法の改正論議の際に、こうした公益法人の「公益性」が改めて問題にされなければならない。そして、国が税制優遇措置を与えている2万6千以上に及ぶ公益法人および特別に「寄付金控除」を認めている1万9千近い特定公益増進法人(このなかには一部公益法人のほか社会福祉法人、特殊法人、学校法人も含まれる)とNPO法人の「公益性」に対する判断基準は当然、同じでなければならない。
この前提に立って、公益性の有無を判断し税制優遇措置を与えるかどうかを決める公的機関は、主務官庁ではなしに、英国のチャリティ委員会のように、独立した第三者機関である必要があるのだ。そうでなければ、公益法人とNPO法人とは、バラバラの「公益性」判断で税制優遇を受けられるか否かが決まる形となり、著しく公正を欠くことになる。
こうした問題点を浮かび上がらせるために、公益法人の実に多くが官製の「官益法人」にほかならない実態を改めて例証しておきたい。「官」が自らの業務の延長線上に公益法人をつくり、二人三脚で行政目的を達成しようという構図は、「公益法人の原点」ともいうべきものだ。生い立ちも性質も、NPOとはまるで異なるのである。
明治政府の国策事業
例えば、法務省所管の財団法人「矯正協会」。事業内容は、刑務所作業の運営についての協力や、犯罪者・非行少年の矯正活動など。刑務作業とは、受刑者の物品の受注生産・加工作業を指す。
その沿革をみると、明治政府の要請を受け「大日本監獄協会」として明治21年3月に設立されたのが始まり。目的は「大日本帝国監獄事業ノ改進ヲ翼賛スル」とある。藩から県に移管された監獄の運営協力を国から任されたわけだ。
当時の設立事情について、河野一雄・常務理事は「明治政府は独立国にふさわしい刑務制度の整備を目指し、国策事業として発足した」と明言した。事実、発会式には、初代内閣総理大臣の伊藤博文が演説している。
明治33年には「日本監獄協会」に改称され、さらにデモクラシーの気運が盛り上がった大正11年にはもっとスマートな「刑務協会」の名に改められる。同じ頃、定期出版物の「監獄協会雑誌」は「刑政」と誌名を変えた。戦後まもない昭和22年には、被収容少年の教化用新聞「こころ」(のちの「わこうど」の前身)が創刊、32年には「矯正協会」に改称された。1990年には、刑事政策に関する学術的研究・調査などを目的に付属中央研究所が設立され、昨年4月には少年の凶悪犯罪の急増を背景に少年非行問題相談センターが設置されている。
その歴史には、国策事業として生まれ、時代の流れと共に変容していった法務省の刑務政策が如実に反映されている。むろん役員構成にも、それが映し出される。常勤理事は、理事長を含む5人全員が法務OB。理事長の鶴田六郎氏は元法務省矯正局長、他の常務理事は4人とも東京もしくは大阪の矯正管区長出身。非常勤の前田宏会長は元検事総長だ。「特殊な仕事だから」と前出の河野常務理事(元大阪矯正管区長)は、OBで常勤役員を固めた理由について弁明する。
ほかに類似の協会はないから、矯正協会は「法務省と完全に一体化した公益法人」といえるだろう。だが、それはいきさつ上そうなったのであり、きちんとした法的根拠に基づいているわけではない。同財団はまさしく本来なら国自体が直接手掛けるべき特殊な事業を全面的に委任されてきた。この点で、矯正協会は行政と一体化した補完事業を営むことで、国民の目からは「見えない政府」を形成している。
法的根拠なき官製法人
財団法人「防衛施設周辺整備協会」も、歴史はずっと浅いが、矯正協会と同様に法的根拠によらず国策事業として発足した公益法人だ。「国が動かなければ、そもそも生まれなかった公益法人」である。自発性はまるでない。
防衛施設周辺整備協会の場合、沖縄の米軍基地の絡みもあって、国の補助金の巨額さ(99年度約48億6800万円)が目を引く。設立は77年。自衛隊や在日米軍基地周辺の生活環境を改善するため、問題の調査・研究を行い、これを踏まえた国や地方自治体の施策・事業の推進に協力するのが目的だ。
設立の時代背景には、1960年代後半から公害問題が激化し、基地周辺も騒音問題が深刻化した国内事情がある。これに危機感を強めた防衛施設庁は、国、地方自治体の関係者、学識経験者、防衛施設庁OBが集まって基地騒音問題の対策に当たる団体をつくることとし、設立委員会をつくって同財団の創立に漕ぎ着けた。
設立に際しては、全国市長会が大きな役割を果たしている。背景には、無視できないほどの基地周辺住民の不満の高まりがあった。こうしてできた財団は、国(防衛施設庁)が自治体と合作し、国から補助金を引き出して運営に当たる仕組みをつくる。
理事長をはじめとする常勤理事は、設立以来すべて防衛施設庁OB。現在の常勤委員の顔ぶれは、大原重信・理事長が元防衛施設庁次長、大島利夫・専務理事が元東京防衛施設局長で財団法人「防衛技術協会」評議員を兼務、3人の常務理事もそれぞれ名古屋、那覇、大阪の局長や次長OBだ。塩田章・会長は毎週火曜出勤だけ義務付けられた非常勤で、防衛施設庁長官や国防会議事務局長を歴任している。
会長と常勤理事の主要ポストを防衛施設庁OB6人で固める一方、非常勤の理事ポストは12人中8人までを全国の市長にあてがった形。監事2人は防衛施設庁と消防庁のOBが占め、この執行体制で事業計画や人事を協議する年4?5回の理事会やマンモス組織を取り仕切る。
補助金の使い途は、助成事業として @電波受信障害でテレビの映りが悪い基地周辺のNHK放送受信契約者に対し、地上放送の受信料の半額を助成(昨年度30億円強。残り半分はNHKが負担)、A騒音対策として防音工事を行った学校施設に対しエアコン稼働用の電気料金を助成、B騒音対策としてエアコンを付けた生活保護世帯に対し電気料金を全額助成?など。いわば、基地の存在がもたらす電波障害や騒音などの“迷惑料”を国の補助金から回す役を引き受けているのだ。助成が適当かどうか疑わしいものもあるが、自衛隊や米軍基地が地域住民から受け容れられるようにするのが狙いだから、かなりバラマキ色が濃い。こういう実態が見えにくい補助金も、国民の税金から賄われているのである。
沖縄で96年に、少女が米兵にレイプされる事件が起こった。当時の大田昌秀・沖縄県知事の事件再発防止や補償に向けた強い要望を受け、翌97年から米軍兵士の公務外の不法行為による被害者・家族に対し無利子で融資を行う融資事業も、同財団が手掛けることとなる。昨年は米海兵隊員が起こした公務外の交通事故に対し1700万円が被害者側に融資されている。国に代わって駐留米兵の不法行為の後始末の面倒もみているわけだ。本来、国が直接やるべき仕事を下請けしているのである。
だが、こうした行政の特殊な補完機能と補助金の奇妙な使途について、情報開示はろくにされていない。同じことは、今年度203億円もの国からの委託費予算を組んだ財団法人「原子力発電機構」や原子力利用の広報機関「日本原子力文化振興財団」にもいえる。
大蔵省に「公益性」を云々する資格はあるのか
話をNPOと公益法人の「公益性」についての比較検証に戻そう。大蔵省はNPOが求めている法人税の減免は認めない方針を固めた、と伝えられている(日本経済新聞9月17日付け)。理由の一つとして、公益性の確認が困難だという。
大蔵省がもし本気でそう思うなら、自ら天下り先としてきた社団法人「研究情報基金」については、どう説明するのだろうか。
研究情報基金は、金融システムなど研究調査を大学に委託して行ったり、海外の研究機関と共同で会員向けにセミナーを開いたりして、2年あまり前まで会員の金融機関から一社あたり年間300万円もの寄付金を会費として納めさせてきた。そのはず、同基金は歴代の大蔵次官を退任後次の天下り本格ポストが決まるまで同基金の理事長に送り込んでいた大蔵OBの天下り法人だけに、銀行・証券・保険など金融機関側は大蔵省の機嫌を損ねないよう、泣く泣く会員になって高すぎる寄付金も納めてきたのだ。
ところが、バブル経済の崩壊とともに大蔵省の護送船団式金融行政は破綻し、金融機関も同省の保護を当てにできなくなったばかりか、自らも不良債権の重荷から経営不振に陥った。そこで、98年春頃から会費に見合うメリットがないとして、金融機関は相次いで同基金を脱会していったのである。
かつては栄華を誇り、理事長に平沢貞昭・横浜銀行頭取や斎藤次郎・金融先物取引所理事長といった元大蔵大物次官を迎えた同基金も、資金源を失って、いまは事業が破綻同然だ。だが、国会で衆院議員の海江田万里氏(現・民主党)が同基金の不明朗な運営を追及した98年2月頃、同基金は寄付者の寄付金控除が特別に認められる特定公益増進法人だったのである(その後、資格を取り上げ)。
同基金は現在、リストラを重ねる一方、会員向け研究テーマもベンチャー創出・育成とか金融戦略の基礎研究など新しいプログラムを加え、会員の維持に躍起だ。会員は全盛時には80社いたが、いまは10社足らず。20人いた職員も5人に減らした。護送船団式行政をいいことに勝手気ままに振る舞ってきた大蔵省の天下り公益法人も、ウソのように没落してしまった。
NPOの公益性うんぬんを、大蔵省が批判する資格はあるのか。
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