■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
第203章 脱炭素化、SDGsがもたらす社会変化/水素社会への転換 
(2021年9月30日)

気候変動の危機を前に、脱炭素化が世界的潮流となった。日本経済は否応なく構造変革を迫られる。
菅義偉首相は昨年10月、2050年までに温暖化ガスの排出を実質ゼロとする「カーボンニュートラル」を宣言。21年1月には就任したバイデン米大統領が、地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」への復帰を表明した。 先頭を行く欧州連合(EU)と合わせ、日欧米が脱炭素社会の実現へ一気に足並みを揃えた。

温暖化が世界中の生活を脅かす

菅首相の脱炭素宣言を受け、経済産業省は昨年12月、「グリーン成長戦略目標」を発表。「2030年代半ばまでに電動車への全面転換」「水素エネルギーの利用拡大」の大目標を掲げ、取り組みの道筋を示した。
豪雨や熱波と化して襲来する地球温暖化の脅威―。 国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は8月9日、今後20年間で世界の平均気温の産業革命前からの上昇幅が1.5度に達する可能性があるとする第6次報告書を発表。この中で、人間の活動が温暖化を引き起こしていることは「疑う余地がない」と初めて断言した。

ここに「脱炭素社会」が日欧米を軸に今世紀半ばまでの国際政治目標に掲げられた背景が浮き彫りになる。世界が一致して脱炭素対策に取り組まない限り、人類は安全な環境で生活できないことが分かったのだ。
日本の政官民はこの大課題にどう対応していくべきか。2050年ゼロカーボン目標の達成を視野に、米政府は21年4月、気候変動に関する首脳会議(サミット)を主催し、各国に2030年までの温暖化ガス排出削減目標の見直しを呼びかけた。その結果、日本は30年度の排出を13年度比46%減らす、と公約した。米国は30年に05年比50〜52%減、英国が35年に1990年比78%減にする。ただし、世界最大の温暖化ガス排出国の中国は2年前の排出目標「2060年までに実質ゼロ」を変えなかった。日欧米は翌5月に目標の5年前倒し「2045年までに温暖化ガス実質ゼロ」を表明したドイツを筆頭に、いずれも目標のハードルを一段と上げた。

脱炭素化の最大の課題は、地球温暖化ガスの約8割を占める二酸化炭素(CO2)を極力減らすことだ。そのためには、CO2を排出する石炭・石油・天然ガスの化石燃料をCO2排出ゼロのエネルギー源に代えなければならない。とりわけ化石燃料中CO2排出量が最大で、発電量シェアが30%近い石炭を他に切り替える必要がある。
このエネルギー革命のブレークスルーをどう実現していくか―。考えられる選択肢は、再生可能エネルギーとCO2を排出しない原子力、水素などの新エネルギーだ。
うち原子力発電は、東京電力福島第一原発事故で国民の信頼と支持を失い、再稼働もままならない。しかも事故後跳ね上がった原発の安全対策費や将来の廃炉、核のゴミ処理を含めた費用を考えると、経済的にも割に合わなくなった。最近の試算では、再エネの太陽光のほうが原発よりも発電コストが安い。原発は安全上も経済上もかつて言われた優位性を完全に失ったのだ。

となると、再エネと水素にまず目を向けなければならない。留意しなければならないのは、再エネの発電量シェアは現状で2割そこそこと低い半面、化石燃料への依存率は87%(2019年時点)と主要国の中で中国を上回り突出していることだ。エネルギー事情は、ひと際厳しい。再エネの普及がEUの中でも先行するドイツでは、20年の再エネ発電量シェアは45%に達し、化石燃料の44%を上回った。ドイツのメルケル首相は福島第一原発事故を見て「反原発」に舵を切り、主力電源だった石炭も切り捨て、38年までに石炭採掘の全廃と石炭火力発電所の閉鎖を決めている。
政府は、脱炭素技術開発を2兆円の基金で支援するが、この財政支援規模は米欧に比べ格段に少ない。政府の支援策はなお及び腰だ。ゼロカーボン目標のハードルは途方もなく高い。

生まれ変わる自動車産業

国を挙げての脱炭素化の影響をもろに受け、構造転換を強いられるのが自動車産業だ。影響の衝撃度は、全産業の中でも最大級となる。
自動車のCO2排出量は産業別で電力に次いで大きい。国内の車が排出したCO2は、全体の16%、約1億8千万トンに上る(2019年度、環境省調べ)。
自動車産業は産業規模、雇用人口、輸出額において製造業で突出しているため、その盛衰は日本経済の浮沈を左右する。関連部品産業のすそ野は広大で、その影響力は膨大な数の従業員・家族の生活にじかに及ぶ。部品数はガソリン車で3万点もあり、電気自動車(EV)になるとこれが4〜5割減とされる。EV化が進めば従業員の余剰度が増すから、国の雇用問題にも直結する。

自動車産業人口は巨大だ。製造、販売、給油サービス、点検・修理、レンタル、部品製造、タクシーやバスサービスなど関連を含めると、日本の全就業人口中最大規模の8.2%、546万人に上る(2018年時点、日本自動車工業会調べ)。
輸出への貢献度も産業中最大だ。輸出総額の20.5%、16.7兆円を占める。国内総生産(GDP)についても産業別最大の3.3%、18.1兆円に上る。トヨタ自動車グループの2020年の世界販売台数は952万8000台余と独フォルクスワーゲン(VW)を上回り、世界トップの座を奪還した。世界に輝く自動車産業が傾けば、日本の貿易収支も傾く、国際競争力を増せば外貨を稼いで国富を増す。
この自動車産業がいま、転換点に立たされたのである。しかし、余儀なくされた脱炭素へのプロセスは、日欧米中で一様でない。
日本政府は「2050年ゼロカーボン」に向け、35年までに全ての新車販売車を電動車とする方針を明確にした。ただし、電動車の中には動力に電気とガソリンを使うハイブリッド車(HV)も含まれる。これにより、35年時点の日本では、ガソリン中古車を除きEV、HV、プラグインハイブリッド(PHV)、燃料電池車(FCV)と、水素エンジン車などの新テック車しか走っていない風景となる。

世界最大市場の中国は35年までに全自動車の電動化方針を決め、電動車の中にHVも含めた。割当てはEV をはじめFCV、PHVが50%超、残りがHV。
欧州は30〜40年にクルマをほぼEVのみとする。EUの欧州委員会は21年7月、35年にHVを含む全てのエンジン車(ガソリン車・ディーゼル車)を事実上、販売禁止とする案を発表した。法制化は加盟国と調整後実施される。先行する英国は、すでに同様のエンジン車販売禁止を30年に実施すると決めている。VW、BMW、ダイムラーなど独大手メーカーはEVシフトを相次ぎ公表した。

米国は環境保全に厳しいカリフォルニア州において35年時点でHV、PHVを認めず、全車をEVに切り替える方針。この流れを受け、米自動車最大手のゼネラルモーターズ(GM)は21年1月、35年までに全乗用車をEVとし、ガソリン車やディーゼル車の販売中止を決めた。 当面必要なガソリン車の開発は、提携先のホンダに委ねる。GMは韓国の電池メーカートップのLG化学と米国内に合弁の電池工場を完成させ、EV用蓄電池の開発に集中する。メアリー・バーラ会長・CEOは「環境にやさしい、よい世界を実現するため」とその理由を語った。
ホンダは21年4月、HVを含むエンジン車との決別を宣言。2040年までに世界で販売する新車の全てをEVかFCVにする。同時に、中高年社員を対象に退職金を割増しする早期退職制度を実施、これに社員2000人超が応募した。

脱炭素時代を象徴する企業が、EVの世界トップメーカー、米テスラであろう。株価の暴騰でテスラの時価総額は21年1月、自動車で世界の先端を行くトヨタのじつに約4倍の8000億ドル超までに急拡大した。これは両社の業績の収益性から来たものではない。テスラの業績が黒字化したのは2020年からだ。企業業績では純利益で2兆円超を稼ぐトヨタの足元にも及ばない。テスラの時価総額が世界企業トップ10にのし上がったのは、投資家の未来への期待値からだ。EVの世界市場制覇と、その先の自動運転車、宇宙旅行の夢が買われたのだ。
だが、そのテスラも安閑としていられない。米アップルの近付く足音が聞こえてくるからだ。アップルは沈黙を守っているが、自動運転車の走行テストを繰り返している。アップルの企業文化からすれば、自動運転車の設計をゼロベースで行い、iPhoneのように最先端IT技術を集積した、真に革新的な製品を世に問うことは確実、と市場の期待が高まっているのだ。
この自動運転車に至って、グーグル、アップル、アマゾンらIT大手が揃って開発現場に登場してきた。「空飛ぶクルマ」の開発競争にも関与を深める。

水素エネルギー革命が脱炭素への道

政府の掲げる水素エネルギーの活用について見てみよう。グリーン成長戦略は、脱炭素電源として水素・アンモニア発電の比率目標の参考値を10%程度とした。燃やしてもCO2を出さない「水素とアンモニア」、「火力発電でのCO2回収」を押し出した。
世界のエネルギー需要が増加する中、CO2 ゼロへの脱炭素化を進めなければならない。この相反する課題に応えるキーテクノロジーが、水素エネルギーだ。水素が燃える時に出るのは水だけ。有害な窒素酸化物(NOX)も出さず、クリーンこの上ない。これを新エネルギーとして普及させる。
ただし実用化には難点がある。燃焼性が高く激しく燃えやすいため、コントロールが技術的に難しく、コストが相当にかかる。

大規模利用による大幅コスト低減が課題となるため、政府は水素の導入量拡大を通じて水素発電コストをガス火力以下に低減することも目指す。導入量の目標は2030年に最大300万トン、50年に2000万トン程度。他方、すでにトヨタの乗用車MIRAI(写真1)に採用され世界に先駆けるFCVの水素燃料を補給する水素ステーションを2030年までに現在の6倍強の1000基整備する計画だ。トヨタはFCVに加え、水素エンジンの開発も急ぐ。
水素絡みの水素還元製鉄、水素運搬船、水電解装置(写真2)などの技術も、水素発電タービンやFCVと共に日本企業が世界に先行する。しかし、水素ガス製造や再エネを活用した低コストの水素エネルギー利用では欧州が一枚上だ。日本企業はかつて半導体、液晶、太陽光、有機ELなどの技術で世界のトップを走ったが、事業で競争に敗れた。半導体や5G(第5世代通信システム)などICTは現在、韓国、中国、台湾に勢いがある。再エネ開発の主力となる洋上風力発電は英独、北欧など欧州勢が優位に立つ。21世紀半ばに向け、世界の主戦場となる「脱炭素市場」で、日本勢は果たして主導権を握れるか。

(写真1) FCVのトヨタ新型MIRAI

(写真2) 水素をつくる旭化成の大型アルカリ水電解システム(福島県浪江町)

出所)トヨタ自動車ウェブサイト

出所)旭化成ウェブサイト


国の政策を見れば、不安がある。エネルギー政策の道筋を示すエネルギー基本計画。その素案の段階で原発を重視する経済産業省と、原発を抑え再エネの拡大を主張する小泉進次郎環境相とが対立し、議論は一致しない。結果、現実離れした素案となった。炭素に価格を付けるカーボンプライシング議論も、噛み合わない。
縦割り省庁型の議論では統合された、国際的にも評価される脱炭素政策は出てこない。脱炭素の課題は各省庁の所管を越え、広範囲にわたり複雑だ。所管省庁の論議に任せずに、政府が総合的で理の通った政策を打ち出さなければならない。独立した決定権限を持つ「司令塔」が要る。それを内閣官房に設けるか、政府の独立委員会を新設して総合的な政策判断・決定を早めるべきだ。

エネルギー基本計画の2030年時の電源構成で、再エネの見通しは「36〜38%」(原子力は「20〜22%」)。その実現には、洋上風力発電への官民挙げての取り組みがカギとなる。ここで独自調査や実証事業で得た蓄積データを生かせるか、実績と資金力のある欧米の外資企業と組んで事業化を迅速に進められるかどうか、を風力発電事業の入札公募の際、行政がまず見極め、最適な事業者を選択する必要がある。
日本はこれまで洋上風力発電の実証事業にことごとく失敗した。期待された「フクシマ復興」の象徴となるはずだった福島県沖の「浮体式」風車3基の実験も、21年度までに撤退に追い込まれた。 国際エネルギー機関(IEA)によれば、洋上風力市場は2040年には全世界で現在の24倍の562GW(ギガワット)、120兆円超の投資が見込まれる成長分野という。日本の官民は、過去の失敗から得た体験と蓄積データ、新たな知見を次の事業展開に生かさなければならない。新政権が、これら脱炭素化の課題を担う。

国連が持続的な目標として掲げるSDGsの17項目の目標(図表1)のうち、脱炭素政策は13番目の「気候変動に具体的な対策を」にずばり相当する。SDGsの目標自体が、地球環境への配慮、人間と自然の共生、自然の豊かさを増すことの喜びをベースに構築されている。 そこには「地球と共生の理念」がある。この共生理念が最近、世界の企業や投資家が一段と重視するようになったESG(環境・社会・企業統治)への注目にもつながってきた。
こうしてみると、新型コロナは悪魔の所業を成しながら、人々の地球環境意識を高め、脱炭素社会の実現とSDGsへの関わりを促す皮肉な働きをした、といえるのではないか。

(図表1)