■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
第199章 未来の姿を追うフクシマ

(2021年 6月 3日)

(197章)から続く

復興の過程で、町の風景も変わってきた。最悪の原子力災害を被った一つ、大熊町の「大野駅」。昨年春に全面開通したJR常磐線の特急列車も止まる。その人っ子ひとりいない駅構内の入口に放射能測定器と共に太陽光パネルが設置されている(写真1)。二つの機器は「過去・現在・未来」を象徴しているようだ。10年前に原子力災害に見舞われ、いまなおその影響は続くが、未来は原子力に代わる自然エネルギーで町づくりを実現する―。

(写真1)大熊町JR大野町駅前

ようやく復興が本格的に始まった浪江町。双葉町に設立された伝承館とは対照的に、もう一つの伝承施設が今年3月21日、避難住民らに惜しまれながら閉鎖された。

津波に流されたり、原発事故の大混乱で“身内”から引き離された家財類や大切な私物を展示した「思い出の品展示場」。3.11の3年後の14年7月にオープンした。仏像や観音像、恵比須像などが慈悲深い、あるいは朗らかな表情で数多く並んで来訪者の胸を打った。甲子園でも活躍した野球少年たちのユニフォームやボールも展示され(写真2)、親世代の人たちの涙を誘った。
筆者は毎年のようにここを訪れたが、今回同行した支援ボランティアの友人が数年前に絵に描いた観音像が見つからない。持ち主がようやく最近になって現れ、引き取ったようだった。

(写真2)少年ユニフォームも展示する「思い出の品展示場」

展示場に並べられた数千点に上る「思い出の品」展は、閉鎖の後浪江町役場に運ばれ処分される。被災者の記憶は、この処分と同時におそらく永遠に失われるだろう。

処理水の7割が高濃度汚染

フクシマ再生の大前提は、行政が自ら言うように、福島第一原発の廃炉だ。原子炉施設を解体する「廃炉」に至って、住民はようやく放射能不安から解放される。しかし、中長期ロードマップによると、廃炉作業は事故から30〜40年に及び、完了目標は2041〜51年となる。
廃炉作業は次の4本柱から成る。放射性物質を含んだ汚染水対策、核燃料の取り出し、核燃料デブリ(溶け落ちた固まり)取り出し、原子炉施設の解体―である。
核燃料取り出しは、4号機で進展した。全ての作業を終え、燃料を共用プールに移し、無事に貯蔵した。原子炉格納容器内の核燃料デブリの取り出しは難航する。ロボットを使って分布状態を依然、探っている段階だ。

一方、汚染処理水の海洋放出が4月13日に決まった。風評被害を心配する漁業関係者らの反対を切り捨てた。原子炉建屋では注入する冷却水と流入する地下水が核燃料デブリと接触し、放射能汚染水を発生し続ける。東電は汚染水を放射能除去設備「アルプス」に通すが、トリチウムだけは技術的に除去できないため、タンクに入れて敷地内に保管し続けた。そのタンクが1000基を超え、貯蔵量が限界に近づいたことから、海洋放出による処分を決めた、と政府は説明する。海洋放出は約2年後に始まる。
国際原子力機関(IAEA)は「国際的な慣行に沿った措置」と海洋放出への支持を表明したが、内情をどこまで把握しているのか。

隠れた問題は、海に放出される放射能は比較的安全とされるトリチウムだけではないことだ。経産省が昨年11月に開示した資料によれば、タンクに貯めている処理水の約73%に規制基準以上の放射性物質が残っていることが判明した。この高濃度汚染水のうち、規制基準を100倍以上も上回るタンクが6%程度ある。フィルターの不具合で処理できなかったものなどだ。
この処理水を国が定めた放出基準の40分の1以下に海水で薄めて海に放出するというのである。しかも廃炉作業が続く間汚染水は出続けるから、海洋放出は廃炉が完了するまで、おそらく30年以上も続くことになる。
海外の知見も得てトリチウムを技術的に除去する方法をなんとしてでも見つけなければならない。国が、その発見に賞金をかけてはどうか。

地元漁民の東電と政府に対する不信は収まらない。東電は原発事故翌月の2011年4月、高濃度汚染水の海への流出を認め、貯蔵先を確保するまでの緊急避難として汚染水を海に流した、と弁明した。さらに、2015年には「(漁業者の)理解を得ながら対策を実施する」との東電の声明に続き、経済産業相(当時)が「関係者の理解なしに海洋放出は行わない」と約束していた。
福島の漁業者は3月に長かった福島沿岸での試験操業を終え、4月から本格操業を始めた矢先だった。菅首相は漁業関係者の間で深まった不信感を解きほぐす努力を抜きに、漁業者に事前に説明することなく、いきなり海洋放出を発表した。
北海道、三陸地方と共に日本有数の福島の漁業ばかりか、日本の輸出水産食品に及ぼす風評被害の恐れは測り知れない。

フクシマの未来像は実現するか

国はフクシマの未来をどう描いているのか。 原子力災害によって失われた浜通り地域の産業・雇用の回復を目指し、2020年東京オリンピック・パラリンピック大会開催時に力強い再生の姿を現して、世界中の人々の目を見張らせたい―。福島イノベーション・コースト構想は2014年6月、研究会でのこんな発案から生まれた。
構想の軸となったのが、再生エネルギーや水素製造およびロボット、ドローンの研究実証プロジェクトだ。これを踏まえ、2020年3月末に、世界最大規模の水素製造を目指す「福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)」が浪江町で、「福島ロボットテストフィールド」が南相馬市と浪江町でそれぞれ全面開所した。
政府は福島県が策定した重点推進計画と合わせ、構想実現に向けた取り組みを強化してきた。その過程で足りなかった産学官の連携や人材育成の課題が浮上。20年6月、有識者会議が国内外の人材が結集する「国際教育研究拠点」の構築などを提言し、この具体化に向けても動き出した。

「パートナーロボットプラットフォームの開発コンセプトは『人に寄り添う』ことです。パートナーとしてロボットも人と共に成長し、進化していきます」。福島のスタートアップ、リビングロボット社の徳永浩二・事業戦略室長が筆者に熱っぽく語った。南相馬市の「福島ロボットテストフィールド」。その研究棟にある現場ラボで、体重230グラムの可愛らしい教育用e-RoBoのパートナーロボットが、自由自在に動き回る(写真3)。プログラミング教育の普及に合わせ、学校授業への導入拡大を目指す。ロボットのキャラクターを観光用に活用する法も検討する。

(写真3)教育用ロボットが歩き回る研究ラボ

ここでは、スタートアップに交じって復興現場の空に配送ドローンを飛ばす楽天の実験も進行中だ。郵便や荷物の「新しい配達」を目指してドローンや配送ロボットの実用化技術を追求する日本郵便の名も見える。

福島ロボットテストフィールドは、ドローン、自動運転ロボット、災害対応ロボット、水中探査ロボットといった陸・海・空のフィールドロボットが主な実証対象。実際の使用環境を再現してこれらの研究開発、実証試験、操作訓練を行う。南相馬市のフィールドの敷地は東西約1キロ、南北約500メートルに及ぶ世界に類例のない一大研究開発拠点だ。
この敷地内に、「無人航空機エリア」、「インフラ点検・災害対応エリア」、「水中・水上ロボットエリア」、「開発基盤エリア」が設けられている。水中・水上ロボットエリアは、河川、水没市街地、ダム、港湾などの水中で発生する状況を再現できる。無人航空機エリアは、ドローンの国内最大の飛行空域とされる。浪江町には長距離飛行試験用の滑走路などが整備される。

水素エネルギーに期待

新エネルギー面で期待を集めるのが世界最大級の水素製造能力だ。NEDO(国立研究開発法人・新エネルギー産業技術総合開発機構)、東芝エネルギーシステムズ、東北電力、岩谷産業が、2018年から浪江町で建設を進めてきた、再生可能エネルギーを利用した水素製造装置を備えたFH2Rが昨年2月に完成、稼働を開始した。旭化成が水を電気分解して水素をつくる大型アルカリ水電解システムを東芝エネルギーシステムズから受注し、FH2Rに導入した。水素製造能力は毎時1200Nm3(ノルマル立方メートル)。年間900トンの水素を生産できる。CO2を出さない大量生産による低コストで実用化できる水素製造技術の確立を目指す。
製造された水素は、大量の長期貯蔵が可能な燃料電池用に発電され、燃料電池車(FCV)や燃料電池バス・トラックなどに使う計画だ。水素製造施設は敷地内の太陽光発電で起こした電力を使い、工程でCO2を全く排出しない仕組み。水素は供給現場の水素ステーションまでパイプラインによるか液体にして運び、製造から利用に至る一貫したCO2フリーのサプライチェーンづくりを目指す。
水素製造拠点となったことで、浪江町に未来を待ち望む雰囲気がジワリと広がる。「水素がうまくいけば何よりだが」と町役場の職員がそっと漏らす。

「ロボットの町」と呼ばれる南相馬。その市役所に掲げられた標語に、こうあった。「南相馬のロボットは道具じゃない。復興の希望だ」
コロナ禍で南相馬の経済は大きく落ち込んだ。打撃の大きい飲食、宿泊、運転代行など非製造業でコロナ前に比べると6〜7割の売上げ水準に低迷する。市は企業の売上げ減少率と従業員規模に応じ1社当たり10万〜50万円の事業継続支援金でテコ入れを図るが、厳しい状況が続く。コロナ禍で新産業と雇用をもたらすイノベーションへの期待がひと際盛り上がる。
政府が2017年に発表した「水素基本戦略」では、再生可能エネルギーの導入拡大や出力制御量の増大に伴い、大規模で長期間の貯蔵を可能とする水素を使ったエネルギー貯蔵・利用が必要、とされた。
政府は昨年10月には2050年にゼロカーボンを宣言した。この路線上をフクシマのイノベーションが走る。早期にどう実用化していくか―水素戦略をまとめて指揮する「司令塔」が欠かせない。

福島沖浮体式風車の失敗経験を生かせ

もう一つのイノベーション・コースト計画の目玉に、福島県沖の実証プロジェクト、浮体式洋上風力発電があった。その狙いは壮大で野心的、実現すれば世界初で「復興の象徴になる」とみなされた。2012年からプロジェクトを始め、原発事故で全町避難となった楢(なら)葉(は)町の沖合約20キロの洋上に、3基の浮体式風車と1基の変電機を順次設置した。発電させ、海底ケーブルで陸地に送電するシステムを稼働させる実証事業だ。3基のうち最大の風車は出力7メガワットで、当時、世界最大級とされた。事業は経済産業省が主導し、丸紅や日立製作所など商社・重電・造船・海運・素材メーカーなど10社、1大学から成るコンソーシアム(共同事業体)が請け負った。
しかし、商用化のメドは得られず、設備の撤去が決まった。プロジェクトを主導した経産省資源エネルギー庁によると、民間譲渡を断念し、21年度中に撤去する。最大の1基は油圧システムの不具合から運休が相次ぎ、平均設備稼働率が10%にも満たないため安定稼働は見込めないと昨年6月に撤去。残る2基(5メガワットと2メガワット)も、昨年12月に撤去を決めた。2メガワット機の設備稼働率は「30%余」、5メガワット機は「20%半ば」と低調で、採算ベースからほど遠かった。

資源エネルギー庁の目黒満雄・新エネルギー課課長補佐の話では、20年度で実証プロジェクトを終了するに当たり設備の譲渡について昨年8〜9月にかけ国内民間業者に公募を行った。うち数社が公募に応じたものの、撤去費用の負担などで折り合いがつかず、撤去を決めたという。投じられた国費は約621億円、撤去費用は約50億円に上る。失敗は明らかだ。
プロジェクトの結果について総括委員会の委員で日本風力発電協会国際部長の上田悦紀氏は「主に経済性の点で『失敗だった』というマスコミ報道は多いですが、技術実証としては及第点」と評価する。
国の浮体式洋上風力プロジェクトでは強風で風車が沈没してしまった事例が世界で佐賀沖の三井海洋開発のを含め3件に上る。しかし福島沖では、複数年にわたり台風襲来に耐えて運転できた点を強調する。

政府が宣言した脱炭素社会の50年実現は、経産省が策定したグリーン成長戦略の成否にかかる。洋上浮体式風力発電は、そのグリーン戦略の次世代技術の「柱」とされる。
この上は、福島沖実証経験と蓄積データを完璧に生かさなければ、グリーン戦略の成功は覚束ない。商用化を実現するには、風車・浮体・係留システムのコスト大幅削減と、そのための一体設計が大きな課題となる。
海外では英国やデンマーク、ドイツなどが洋上風車で先行するが、いずれも1991年にデンマークが始めて以来の、風車の土台を海底に固定する「着床式」で実績を積み上げる。しかし、遠浅の海辺が少ない日本にふさわしい「浮体式」で、商用化に成功した例は海外にもまだない。昨年はドイツとノルウェーが浮体式の運転開始を予定したが果たせず、ポルトガルのみ8.4メガワット3基の新規運転を行った、と前出の上田氏は指摘する。世界が浮体式の商用化に成功するまで、なお数年かかりそうな気配だ。
資源エネルギー庁によると、福島沖の実証データから知見を集め、報告にまとめて蓄積データの活用を急ぐ。最先端技術を結集する実証プロジェクトを生かすか殺すかが、日本の脱炭素実現とフクシマ復興を左右する。