■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「さらばニッポン官僚社会」 |
第201章 ワクチン接種遅れで政府の無能ぶり浮き彫り
(2021年7月21日)
東京五輪・パラリンピックを目前に、コロナワクチン接種で立ち遅れ、接種率(6月時点)で世界最下位水準の途上国並みとなった日本の現実は、国民に深い失望感を抱かせ、国際的にも評価を落とした。 しかしそれは、2020年春以来コロナ禍対応で繰り返した「政府の失敗」の延長線上にある。
ワクチン遅れの3大要因
コロナがあぶり出した現代ニッポンの脆弱性。その典型例が意志と能力を欠いた国家リーダー(内閣および官僚トップ)の危機管理の無能さにあった。
この統治問題をワクチン接種遅れに則して、掘り下げてみよう。
遅れの原因の根っこにあるのが、菅政権のパンデミックへの「危機意識の低さ」だ。
欧米リーダーとの危機意識の分かれ目は、感染が拡大し始めた昨年春にあった。日本の防疫体制は、じつに国民の「忍耐深い自己抑制」に依存していた。日本は欧米の感染爆発に対し、国民の自制によって、感染拡大ペースを緩らげることができたのだ。国民のほぼ全てが外出時に我慢強くマスクを着用したのに、欧米では感染拡大のさなか、人出の盛んな街頭でもマスクなしで行き来していた光景が思い浮かぶ。
菅首相は就任早々、国が果たすべき役割の「公助」を個人の「自助」、仲間内や会社などによる「共助」の次に位置付ける旨表明した。「自助」、「共助」でやってもらい、なお解決困難な問題を「公助」で取り組む。自助を最優先し、国の関与をなるべく控えて自己責任を強調する考えを押し出したのだ。この新自由主義的な政治哲学が、パンデミックへの政府の対応を消極的にし、民間の自助努力に頼る傾向をもたらしたのは当然だった。
第1次感染拡大時の2020年春の、欧米に比べ日本の感染抑止の相対的な成功が、政府に慢心を生じさせ、パンデミック危機を甘く扱ってしまったことは疑いない。
次いで手続き上の手抜かりが、大きく3つ続いた。その1つが、ワクチンの国産化の遅れだ。なぜ国産ワクチンが出てこないのか、欧米とインド、中国、ロシアなどによるワクチン開発公表に対し、日本産はなぜ名乗りを上げなかったのか。
答えは、国が子宮頸がんのワクチン後遺症問題などもあってワクチン研究開発・治験に消極的になり、そのための予算を付けず、感染が拡大しても出ししぶったせいだ。米国では、新型コロナ発生以前に米ワクチン研究センター(VRC)と米企業がウイルス予防ワクチンの共同研究開発に入っている。2010年に設立の新興バイオベンチャーのモデルナも、早くから政府計画に加わった。
ワクチン予算に対し日本では昨年春の段階で100億円規模。その後の補正予算で補助金を増やし、3000億円規模に。一方、米国ではトランプ政権時の昨年5月、「ワープ・スピード作戦」と名付けるワクチン開発・接種作戦を開始、100億ドル(約1兆1000億円)の予算を付け、今年1月までに接種開始の目標を掲げた。日本政府はワクチン目標を表明せずに先送りし、開発・接種の「小出し逐次支援」に終始したのだ。
2つめが、ファイザーなど海外ワクチンメーカーとの調達交渉で「基本合意」に甘んじて詰めを怠り、供給数量、時期を決める正式契約を遅らせたこと。ビッグビジネスでは何事も基本合意に始まり、話を詰めて契約に至るのが常識だ。このふつうの手続きを政府は怠った。
世界最速で接種が進んだイスラエルは、ネタニヤフ首相(当時)自らが米国でファイザー社のCEO(最高経営者)に直接談判して供給の契約を取り付け、接種は早くも昨年12月に始まった。この間、日本は厚労省幹部がファイザー日本支社とのみ折衝し、契約を遅らせた。
3つめが、ワクチン承認の遅れだ。ファイザーが治験データを揃え、昨年12月にワクチンの特別申請を求めたのに、「日本人の治験が必要」と政府は承認を2カ月遅らせた。法律(医薬品医療機器法)に従ったわけだが、これが欧米にあるような非常時の特別規定(未承認ワクチン・治療薬の一時的使用)を欠いていた。政府は有事の特別措置を盛り込んだ法改正を、遅ればせながら、ようやく来年の通常国会に提出する予定という。
コロナ禍を教訓に、政府は失敗を反省して従来の「その都度対応」から決別し、有事対応力を身につけなければ、国民の命は守れない。ウイルスパンデミックに備える「有事体制の構築」は、もはや待ったなしだ。その新システムは、司令塔と実行主体を明確にし、平時対応が標準の規制・法令の改正、縦型行政機能を横型統合に改変、が肝(きも)となる。これが実現すれば、コロナ禍が日本社会にもたらす最大の変革になるかもしれない。