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沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
第180章 ガラパゴス化のエネルギー政策/原発こだわりで世界に遅れ

(2018年7月25日) (山形新聞『思考の現場から』7月19日付)


7月は政府と司法が揃って原発活用の推進・再稼働を打ち出し、これまでの劣勢を押し返す展開となった。しかし地元周辺住民の反対などから原発再稼働の実現性はごく限られる。結果、原発への固執が、世界で広がる再生可能エネルギーの導入を遅らせることは必至だ。

政府は中長期のエネルギー政策の方向性を示す「エネルギー基本計画」を4年ぶりに見直し、閣議決定した。原発を依然「重要なベースロード(基幹)電源」と位置付け、その30年度の電源比率目標を「20〜22%」と前回決定と同じにした。 再生エネは「主力電源」に育てるとしたものの、同比率を「22〜24%」と、これも前回と同水準に据え置いた。海外では大胆な数値目標を掲げて再生エネ拡大を進める中、旧態依然のエネルギー計画となった。
どう見ても、国民から支持されない原発の偏重ぶりは度を超える。「原発依存度を可能な限り低減する」としながら、建前とは逆に「原子力政策の再構築」を明記し、原子力の産業基盤の維持強化を謳う。 他方、再生エネについては30年に向け「主力電源化への布石」を施策とし、50年に向けようやく「主力電源化を目指す」という。こんなスローテンポでは、世界の潮流から取り残される。基本計画が「ガラパゴス化」しているのは間違いない。

欧州連合(EU)では、全エネルギー消費に占める再生エネの割合は、14年に15.3%、16年には17%に達した。「欧州2020」戦略の重要指標である「20年までに再生エネを20%」にする目標の達成は確実だ。 16年の国別でも、EU加盟国28カ国中最大比率のスウェーデンでは、最終エネルギー消費の53.8%を再生エネで賄った。
ドイツは福島第一原発事故を契機に脱原発に踏み切り、再生エネの電源比率は16年実績で29.2%。現在は30%を超えた。30年には再生エネの比率を50%に引き上げる。

原子力の電源比率が世界最大のフランスも、再生エネを16年実績の17.3%から30年には40%に拡大する。日本と同様、海に囲まれた英国は風力を主力に同24.6%から31%へ。 トランプ政権の「原子力・化石燃料復帰」にもかかわらず、独自に再生エネ導入を進める米カリフォルニア州は同40.2%から50%へ。中国も石炭依存から脱皮し、太陽光発電を中心に17年の25.2%から30年には53%に引き上げる計画だ。
遅れていた日本でも、太陽光発電を伸ばし、電源比率は16年度に水力発電の7.5%を含め15.3%に上った(環境エネルギー政策研究所調べ)。
基本計画の電源目標の据え置きは、世界的なエネルギー変革から目をそむけるものだ。

司法でも、原発推進が押し出された。
関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを求めた住民訴訟。その控訴審判決で、名古屋高裁金沢支部は運転差し止めを命じた一審福井地裁判決を取り消し、住民側の請求を棄却した。
内藤正之裁判長の判決には、二つの問題点がある。一つは「大飯原発の危険性は社会通念上、無視しうる程度にまで管理・統制されている」と断じたことだ。
原発は「社会通念上」安全になったとは依然みなされていない。共同通信が17年12月に発表した、原発再稼働を決めた大飯と高浜両原発周辺の自治体へのアンケートをみよう。その中で、30キロ圏内にある京都府の6市町は原発への不信・不安から、再稼働に際し30キロ圏の自治体にも「同意権の拡大」を求めている。高裁判決が言う「社会通念上安全」は根拠不明で、被告側の“関電通念”を鵜呑みにしたというほかない。

判決のもう一つの問題は、原発の当否を巡る判断は「もはや司法の役割を超え、政治的な判断に委ねられるべき」としたことだ。これを言い換えれば、「原発は政権の判断に委ねられるべきだ」という主張で、司法の判断を放棄するに等しい。これでは民主主義の基盤を成す三権分立と司法の役割を自ら否定するものではないか。
2014年の福井地裁判決は格調が高かった。樋口英明裁判長は、被告は原発の稼働が電力供給の安全性、コストの低減につながると主張するが、人の生存そのものに関わる権利と電気代の高いの低いの問題を並べて論じるわけにはいかないと、関電側の主張を一蹴したのだ。政権への忖度(そんたく)が横行する中、司法の役割は一層重要になっている。