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第164章 アベノミクス頼りの公的年金/超楽観の幻想シナリオ
(2014年7月2日)
厚生労働省は6月3日、公的年金の財政検証の結果、経済再生が持続すれば中長期にわたって「現役世代の収入の50%以上」という政府公約の厚生年金給付水準はギリギリで守れる、と発表した。 しかし、試算の内容をみると、超楽観的な経済前提に立っており、「現行制度を維持するための苦肉のシナリオ」とみられる。
制度改革は先送り
田村憲久厚生労働相は検証結果について「一定程度、年金の安定性が保たれていると確認できた」と述べた。現行の年金制度でやっていける、との認識で、経済成長に加えて女性や高齢者の就労率を高めるなどの手直しで制度を堅持する方針だ。 厚労省は2004年の制度改正で5年ごとに行う年金の財政検証の折に、厚生年金の給付水準(所得代替率)が現役世代の収入(ボーナス込みの手取り賃金)の50%を下回ると見込まれた場合は、「給付及び負担のあり方」について必要な対策を講じるとしていた。今回、経済状況が異なる8通りのシナリオを設け、うち上位5つ(A〜E)で所得代替率が50%を上回ったとして、制度改革を先送りした。
財政検証結果によると、2015年度以降、実質経済成長率0.4%、物価上昇率1.2%を想定したシナリオEの場合、年金額の上昇率を物価や賃金の上昇率よりも低くする減額措置(マクロ経済スライド)で徐々に年金が減る結果、29年後の43年度に財政が安定し、14年度の給付水準62.7%に比べ約2割減の50.6%で下げ止まる、としている。前回09年財政検証と同様、給付水準は100年後も「現役世代収入の50%を維持できる」との見立てだ。
04年改革で導入が決まったマクロ経済スライドが、年金給付を抑制する仕組みの主役となる。政府はデフレ下では発動できなかった仕組みを来年度から発動できるように変え、あらゆる物価状況に適用していく方針だ。
具体的な年金減額率(スライド調整率)は、年金財政の支え手(被保険者)の減少率と国民の平均余命の伸び率から割り出し、これまでは計0.9%とされていた。しかし、検証で来年度から年金財政が支え手の減少0.8%分、平均余命の伸び0.3%分が財政悪化要因になるとして、0.2%ポイント増の計1.1%相当を物価や賃金の伸びより低くする。
仮りに物価が日銀が目指す2%増なら、年金額を1.1%分を引いた0.9%増に抑えることになる。厚労省は毎年、年金の伸びを1.1%分削っていけば年金財政は安定する、とみる。
しかし、このことは年金生活者にとっては年金の長期にわたる実質減額を意味する。その後6月27日の同省の追加発表では、所得代替率が50%以上をギリギリで守れるとしたのは、65歳の受給開始時に限った見通しだという。 シナリオEの場合、今年度に夫婦共に65歳になるモデル世帯の所得代替率は85歳時点では今より3割低い43.9%に低下する見通しだ。 政府はマクロ経済スライドの実施に際しては年金財政状況と合わせ、その仕組みと減額内容を分かりやすく国民に説明し、理解を求める必要がある。
実現可能とされるシナリオの中身
前出のシナリオEは、足元の日本経済に近い経済前提であるため、実現可能性は比較的高い、とみられている。たとえば最も楽観的なシナリオAの場合、資本や労働の生産効率性を示す全要素生産性(TFP)の上昇率を1.8%としているが、これはバブル当時の水準だ。実現可能性は限りなくゼロに近い。
そこで、成長モデル中、最もハードルが低いシナリオEの試算内容をみてみよう。これが成就するための最大のカギは、安倍晋三政権の成長戦略の1つである「働く女性」を増やす改革にある。女性や高齢者で働く人の割合がいまより増え、2030年時点で労働力を約600万人押し上げられることが要件とされている。
30年までに年金の支え手の押し上げ効果で、6000万人前後の労働力人口を維持することを前提としているのだ。つまりアベノミクスの成長戦略の持続的成功を見込んでの試算である。しかし、子育て支援などの具体的な施策内容はまだ整っていない。
こうしてみると、アベノミクス頼りの超楽観的な幻想シナリオであることが分かる。
厚労省が年金財政を改善させる具体的な取り組みとして示したのは、マクロ経済スライドのフル発動のほか、短時間労働者や月収5.8万円以上の人への厚生年金の適用拡大、保険料拠出期間の40年から45年への延長、受給開始年齢の75歳までの選択制などだ。
さらに中長期的には、年金の支給開始年齢を現在の65歳(男は2025年度までに実施、女は30年度)から欧米の先進国並みに67、68歳へ引き上げが重要課題となる。
日本の平均寿命は現在、男約80歳、女約86歳と世界最長レベルにある。これに対しすでに米国が67歳(27年までに実施)、英国が68歳(48年まで)、ドイツが67歳(29年まで)に支給開始年齢を引き上げている。日本も最長寿化に対応した開始年齢引き上げが欠かせない。
株運用に転換
もう1つ、見逃せないのは、財政検証の経済前提となる年金積立金の実質運用利回りを高め設定していることだ。シナリオEのケースでも「3.0%」の高利回りだから、運用の仕方を株式運用の比率などを高めるハイリターン型に転換しないと目標を達成できない。
現在、公的年金の積立金は129兆円(13年末時点)。この世界最大の年金基金を運用するのが、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)だ。
13年末の積立金運用の内訳は国債など国内債券が60%、国内株式12%、外国株式12%、外国債券11%、不動産投資信託など短期資産が5%と、国債中心の運用である。
これは積立金が国民の年金資産であることから、リスクを極力小さくするために取られた運用ポリシーだ。しかし、安倍政権は成長戦略の一環として公的年金資産の運用対象の拡大を決め、厚労省はA〜Eの成長シナリオにこれを織り込んで高い運用利回りとしたわけだ。
安倍首相の意向を受け、4月には積極運用論者の米澤康博早大教授が運用委員会に就任、日本株の運用比率引き上げなどの新運用方針を8月にも発表する。市場は現在の株運用比率は2割以上に高まると期待し、海外投資家の関心も集めて株価を押し上げている。だが、ハイリターンと共に損失のリスクも高まる運用ポリシーの変更については、国民への十分な説明が必要だ。
このように、アベノミクス経済効果を先取りした年金の楽観シナリオがひと際、押し出されたのである。
厳しい現実
とはいえ、年金事情の現実は厳しい。現行の公的年金制度が持続可能性に大きな問題を抱えていることに変わりはない。現行制度は、人口の増加と経済成長が続き、年金保険料収入が年々増えるのを前提に設計された。この成長モデルでなら、働き手の現役世代が拠出する保険料の収入で引退した高齢世代に年金を支給する「賦課方式」の仕組みは十分に機能する。
子らが親たちの老後の面倒をみる式の賦課方式は、1970年代半ばまでの上昇する人口・経済であれば、完璧に働いた。
ところが1970年代後半から出生率は下降傾向に入り、少子高齢化社会へと向かう。
死亡数が出生数を上回る人口の自然減に転じたのが2005年。06年に増えたものの、07年から2013年まで7年連続で減少し、その開きは年々大きくなった。女性の社会進出で一時は増え続けた労働力人口も、1997年をピークに減少していく。
他方、消費増税の影響もあって日本経済がデフレ不況に陥ったのが1998年からだ。この頃から雇用形態に重大な質的変化が起こる。非正規雇用の急増である。
デフレ経済は以後、ほぼ15年間にわたり続く中、増え続ける非正規雇用は、2013年には全雇用者(役員を除く)に占める非正規雇用者(職員・従業員)が4割近い36.6%の1906万人と過去最高に達した(総務省調べ)。男性の2割、女性の6割近くが非正規雇用者として就業している実態だ。
このような経済・社会状況の激動で、公的年金制度の根幹が大きく揺らいだ。制度の危機は、国民年金保険料の未納問題に端的に表れている。公表されている「未納率4割」は実際は7割程度に上るとみられる。学生らの納付免除や2年以内の滞納が「未納」のカテゴリーに含まれていないためだ。
未納の背景にあるのは、主に所得格差の広がりと年金不信である。年々拡大する低所得の非正規雇用者が未納増をもたらす。同時に、非正規雇用者らが加入する国民年金と、サラリーマンが加入する厚生年金の給付格差などの不公平感が、若者らを未納に走らせる。
国民年金の受給額は平均で月額5万5千円ほど。満額でも厚生年金の標準年金額の28%に過ぎない。信じられないほどの年金格差が、保険料未納の背景にある。
景況にも格差が広がる。現在、3月期好決算で大企業や株式市場は沸いているが、家計ベースでみると生活は楽になっていない。厚労省の毎月勤労統計調査によれば、4月の実質賃金指数は前年同月比で3.1%下落した。
これで実質賃金の減少は10カ月連続だ。多くの中小企業も円安に伴う輸入原材料や燃料、電気料金の高騰を販売価格の値上げに転嫁できずに経営を悪化させている。倒産件数こそ減少傾向だが、自主的な廃業・休業が13年度には約2.4倍に急増している(帝国データバンク調べ)。
国民年金保険料の未納者のほとんどは、高齢時に無年金・低年金となり、「最後のセーフティネット」とされる生活保護に頼ることになる。
厚労省によれば、全国の生活保護受給者数は13年度の月平均で216万人超に上り、3年連続で過去最多を更新した。うち無年金・低年金の高齢者世帯が半分近い74万世帯以上を占める。
ここから年金保険料の未納が無年金・低年金者を生み出し、生活保護受給者を増やし、財政支出が増えるという構図が浮かび上がる。
若者らの保険料未納で国民年金制度はすでに実質破綻している。国民年金はそれ自体では、もはや回っていけない。破綻が表面化しないのは、サラリーマンや公務員ら被用者が納める厚生年金、共済年金の保険料収入が国民年金資金の不足分を賄っているためだ。ここに国民年金の破綻が隠されているカラクリがある。職域別に分立して始まった現行制度はいまや「時代遅れ」となり、国民各層を統合した新たな年金制度の創設が求められる。
最低生活保障部分を税金で賄う一方、2階部分で積立方式をとるオーストラリアなど海外には優れた年金制度モデルがある。これを生きた参考に、抜本的な制度改革の検討を今から始めなければならない。