■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「さらばニッポン官僚社会」 |
第142章 原発安全神話の瓦解
(2011年4月11日)
東日本大震災が引き起こした東京電力福島第一原発事故は、技術崇拝がもたらした人災であった―。 放射能漏出を食い止めるメドさえ立たない現状は、原発の安全神話の瓦解を物語る。それは、人間が技術で自然の力を征服できると傲り高ぶった技術崇拝の破綻を意味する。
東電は津波を甘くみていた。福島第一原発を襲った津波は高さ14メートル以上だった。東電が想定していた津波の高さは最大5.7メートルであり、施設を基準海面から高さ約10メートルで建設した。津波はゆうに施設内に浸水し、変圧器の故障で使えなくなった外部電源に加え、浸水にもろいタービン建屋内の非常用電源のディーゼル発電機が冠水して使用不能になったのだ。この「ブラックアウト」(電源喪失)で燃料棒を冷却できなくなり、事故を引き起こした。
これに対し、難を逃れた東北電力女川原発の場合、津波への備えが東電とはまるで違った。津波の高さを海面より最大9.1メートルと想定した上、それより5メートル以上余裕を持たせて高さ14.8メートルに施設をつくったのだ。結果、主要施設は浸水を免れた。両社の安全感覚の差が明暗を分けたのだ。
三陸沖では古くから津波が多い。平安時代の西暦869年に発生した貞観(じょうがん)津波は死者千人以上と伝えられる。さらに1611年に来襲した慶長三陸津波。震害はほとんどなく、津波により仙台藩領内だけで2000人近くの死者を出したという。1896(明治29)年の大津波では、死者・行方不明者は実に2万2千人超。1933(昭和8)年の大津波では、同3000人を超えた。
このような巨大津波の記録が幾つもありながら、東電は津波対策を怠ったのだ。近年の津波の研究成果や非常時のケーススタディも、軽視して生かさなかったことが事故後、明らかになった。例えば、09年に国の審議会で大津波の可能性が指摘されたことや、国の委託で原発の地震被害研究に取り組んだ原子力安全基盤機構が昨年10月に明らかにした、電源喪失下での原子炉内の異常発生予測だ。
東電は、すべての電源を失うような事態は起こりえない、とタカをくくっていたのである。大自然への畏怖を失い、「原発は絶対安全」という神話を信じ切ったのである。
この盲目的な技術崇拝は、原発の安全性をチェックする内閣府原子力安全委員会から伝染したものだろう。斑目(まだらめ)春樹委員長は、3月22日に国会で震災対応の想定見通しが甘かったことを認めた。原発の設計は想定できる範囲内で「割り切り」して進める必要がある、というのが斑目氏の持論だが、「割り切り方が正しくなかったことは反省している」と述べたのである。慎重さを振り払う“割り切り思考法”で、巨大津波の可能性を「想定外」として棚上げしたことが分かる。
原発の安全規制・検査を担う経済産業省原子力安全・保安院も、全く機能しなかった。政府が全国の原発に電源車や消防車の配備など緊急安全対策を指示したのも、事故後3週間近くも立った3月30日のことだ。原子力安全・保安院は原発建設を推進する経産省の一機関にすぎず、幹部人事も経産省が行う。これでは独立した厳正なチェック機能は期待できない。
原子力安全委員会など原発推進派が抱いた「安全神話」は主に、原発が放射性物質を閉じこめる「五重の防壁」に由来する。その根拠は、こうだ。 まず、核燃料をタバコのフィルターくらいの大きさに焼き固めて入れるセラミック製「ペレット」。ウラン酸化物を高温で陶磁器のように焼き固めたもので、核分裂により発生した核分裂生成物(FP)の大部分は飛散せずにペレット内に留まる。 次にジルコニウム合金の「被覆管」。FPの中にはガス状のものがあり、一部はペレットの外に放出されるが、ペレットが入っている被覆管は気密に作られているため、これらは被覆管の中に留まり、外に放出されるのを防ぐ。 第3に、「原子炉圧力容器」が鉄鋼厚さ約15センチの防壁となり、被覆管に生じたピンホール(微小な穴)から放射性物質が生じても外部に出ないよう封じ込める。 第4に、圧力容器の外側にはさらに鋼鉄製「原子炉格納容器」という防壁があり、圧力容器から出てきた放射性物質を閉じこめる。 そして第5に、一番外側に厚いコンクリートで作られた「原子炉建屋」があり、放射性物質の漏出を防ぐというわけだ。
だが、この技術過信は、惨たんたる結果をもたらした。途方もない自然の力を歴史から学ぼうとせず、原発の安全神話を盲信して疑問や批判に耳を閉ざした末に、未曾有の原発惨事を招いたのである。