NAGURICOM [殴り込む]/北沢栄
■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
第12章 住民投票という「起爆力」はなぜ封じられてきたか
 吉野川可動堰建設計画に対し地元・徳島市民の9割強が住民投票で「反対」を投じたことは、環境汚染や生活破壊を引き起こす公共土木事業を何とか止めさせたいと熱望する全国各地の住民を大いに勇気づけたに違いない。既にスイスのチューリヒ市では「ゴミ処理」を巡ってレファレンダム(住民投票)が行われたほか、ドイツのチュービンゲン市では道路建設が住民投票で「ナイン」と否決されている。吉野川のケースを先例に、今後、全国の都市や地方で公共事業の是非が続々と住民投票にかけられ、否定される可能性が一段と高まってきた。

可動堰「ノー」から第十堰「イエス」へ

 徳島市の住民投票を推進したNPO(非営利組織)の「第十堰住民投票の会」(姫野雅義、板東孝明両代表世話人)は、投票結果にもかかわらず計画変更に動き出さない建設省をみて、3月に運動を一歩進めた。「住民の側から新しいプランを提案していく段階に入った」として、そのための住民組織結成に向け準備会を開いたのだ。呼びかけ人には、同会や自然保護団体のメンバーらと可動堰計画に反対する徳島市内外の33人が名を連ねた。準備会のテーマは、「可動堰『ノー』から第十堰『イエス』へ」である。
「第十堰を未来に」というサブタイトルからみても、国の可動堰計画に代わって老朽化した第十堰の補強が論議の中心になるとみられるが、あわせて吉野川流域の将来像を住民の側から提案していくという。

 住民投票のもたらした衝撃波は、若者や周辺町村を突き動かした。徳島県内の若者が3月に「吉野川を守るジュニアの会」を結成、その記念として徳島市内で大学生による住民投票をテーマにした卒業論文発表会を開いている。若者同士で勉強や活動を通して吉野川の未来像を提案していこうという趣旨である。住民投票で「ノー」が圧倒的多数を占め、建設省の可動堰計画をひっくり返した感動が、無関心・無感動などといわれる若者を動かしたのである。
 卒論テーマは、「建設省の計画が住民の支持を得られなかった理由について」「なぜ住民投票という発想が出てきたか」「運動にかかわる中で“専門家”となった住民が、運動自体にどうかかわっていくべきか」などと、問題意識はすこぶる旺盛だ。
 徳島市に隣接する名西郡石井町。可動堰に反対する町民グループ16人が3月、町役場に坂東忠之町長を訪ね、可動堰計画の白紙撤回を建設省に要請するよう求めた(町長はこれを拒否)。町民らは「徳島市の住民投票の結果をみても、建設省や県の可動堰計画の進め方に問題点があることは明らか」と当然の主張をした。

 他方、東京でも新籐宗幸・立教大学教授らが主催する「住民投票立法フォーラム」が3月、「住民投票に関する特別措置法案」を発表した。今後、国会議員に法案への賛否を問い、立法化に向けて論議を広げていく構えだ。特定の争点をめぐる賛否を問う住民の「表決投票」には法的拘束力を持たせるなど、現行法を改革するねらいがある。同法案は「表決投票」と並んで、住民が条例案を提出して議会の賛否を求める「発案投票」も提案している。「発案投票」では、住民の条例案を議会が可決すれば制定、否決か修正された場合は、住民投票が行われ、「表決投票」と同じく過半数で投票資格者総数の3分の1以上の「賛成」が得られれば、条例案成立となる、という内容だ。

「理念」が「金権」を制す

 先の卒論発表会を開いた若者たちの感動は、裏返してみると、日本の現状の政治と行政がどれほど若者の心からかけ離れてしまったか、の証左でもあろう。自分たちの代表者であるはずの議員に任せていては、理想の「国づくり・ふるさとづくり」に到底手が届かないという無念の思いだったのが、住民自身が住民投票という直接民主制的手法で国の既定方針をものの見事に覆した―この感動が、若者たちをたちまち変貌させたに違いなかった。彼らは「金権」で動く政治と行政を、「川はこうあるべし」とする土着の「理念」が制した、とみたのであろう。
住民投票のまだ浅い日本史をひもとく時、96年8月と9月にそれぞれ行われた、新潟県巻町の原子力発電所計画と沖縄県の米軍基地縮小・日米地位協定見直しの是非を巡る住民投票が、異例の重みをもって立ち現れる。巻町では反対票が、沖縄県では賛成票がともに全有権者の過半数を超えた。単一の政策を争点とした住民投票は日本ではこれが初めてであった。

 これに先立ち、82年に高知県窪川町で原発設置を巡り住民投票のための条例が制定されたが、四国電力が撤退したため投票は実現していない。93年には三重県南島町でも原発設置について住民投票を行うための条例が可決されたが、ことし2月、北川正恭・同県知事は先を行き、原発計画の取り止めに踏み切っている。
 巻町のケースで印象に残ったのは、投票現場を取材した新聞記者に語った地元の主婦の言葉だ。夫は自営業だというその主婦は記者にこう話したのである。「普段は商売柄、表立って自分の意見はいえないけれど、この投票で私の本当の意見をいえた」(『ジュリスト』1996.12.15号所収)
 本音を言いたくても、「保守」の非常に強い土地で、客や商店街とのつきあいやしがらみから、胸の内にしっかりしまっておかなければならなかったのだ。地方議会では、選挙人は主婦やサラリーマンでも、選ばれる側の議員は地方の産業中、一番数が多い建設・土木業者だったり、地主や資産家の地元有力者が多いため、政策は住民の希望からズレがちになる。議員たちは住民たちの関心事である環境とか生活の身近にある問題よりも、中央官庁が要求する公共事業予算とか補助金の使い途に目を向けるようになる。
 原発や河川堰計画のような国の専管事項では、巨額の補助金とか交付金が転がり込み、地域を経済的に潤す(巻町の場合、このほかに東北電力から事前に協力金や漁業補償として30億円受け取ったといわれた)から、先の主婦とか夫の自営業者の立場で「ノー」というにはよほど勇気がいるが、その困難な意思表示を住民投票は可能にしたのである。

 仮に知り合いの議員から、原発計画に賛成してほしいとじかに頼まれれば、おそらくこの主婦は「ハイ」といってしまうか、せいぜい「考えてみます」というふうにしか答えられなかったであろう。ここに、住民投票の持つ、住民を直接、地域問題の解決に向け自己決定に参加させる「直接民主主義」の原理が潜んでいる。
 住民投票が盛んな欧米に比べ、日本では容易に日の目を見なかった基本的な理由は、日本が明治以来「知らしむべからず依らしむべし」の行政理念をもとに、「上意下達」の教育体系を国民に叩き込んだ官僚主導国家だったためである。

「間接民主主義」の憲法原理が住民投票を実質排除

 「住民投票」はこのように、地元住民が日常直面する問題に直接応答できる点で、地方分権化時代にふさわしい「自己決定責任」の手法である。いわば、古代アテネの輝く直接民主主義のミニ版といえる。
ところが、日本では法律上、住民投票の規定は「ごく一部」に限られ、法的拘束力はそこにしか認められていない。その「ごく一部」とは、稀にしかない特別法のほかに、地方自治法が定めている地方議会の解散請求や県や市、町など地方自治体の首長や議員のリコールを指す。これは、知事や市長に辞めてもらいたい場合、選挙権者の3分の1以上の署名による請求があり、住民投票により過半数の賛成を得れば辞めさせることができる制度である。
 だが、なぜ、これ以外に住民投票が認められていないのか。
 理由は日本国憲法が間接(代議制)民主主義を基本にしているためだ。国民投票や住民投票の導入は、個別立法の問題を超えて憲法改正の問題に発展するのである。
 まず、憲法の前文は、こう始まる。―「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し……」。直接民主主義は、このように最初から封印されている。続いて、憲法41条と59条1項に、法律は国会が制定する、と明記されてある。

 憲法の性質からすれば、何事かを決定するタイプの国民投票とか住民投票はそもそも例外的にしか認められず、制度としての導入はかなり難しいといえよう。事実、憲法は先の95条(特別法の住民投票)のほか、79条2項(最高裁裁判官の国民審査)、96条(国会が憲法改正を求めた際の国民投票)で、その例外をごくわずかに限って容認しているにすぎない。
 となると、憲法違反にならずに住民投票を行うには、国レベルの問題ではなく、地方で個別の問題に対して行えばよいのではないか、という考えが出てくる。実際、憲法92条では、地方公共団体の組織・運営に関する事項は「地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」とされている。
 つまり、国の場合のように必ずしも間接民主制に縛り付けられていない。そこで地方自治の本旨から外れない限り、住民投票のような直接民主制の導入も認められ得る、と解釈できる。
 こうしてみると、住民投票制度を導入しようと思えば「まず地方から」と考えるのが現実的だ。さらに、欧米のように制度として国政レベルの問題にまで国民・住民投票を導入しようとするなら、憲法を改正する必要が出てくる。

欧米ではレファレンダムが強まる傾向

 この面で先を行く欧米のレファレンダム(国民投票または住民投票)の実情はどのようになっているか。
 まず、議会制民主主義をいち早く確立した英国ではどうか。竹下譲・神奈川大学教授によれば、基本的にレファレンダムは受け入れられていないにもかかわらず、1972年の北アイルランドの境界線をどうするかをはじめ、75年にECへの加盟の是非、79年にはスコットランドとウェールズを実質的に独立させるかどうかを問う形で、矢継ぎ早に国民投票が実施されている。
 スコットランドとウェールズの独立を巡る国民投票は、スコットランドとウェールズに独自の国会をつくって独立させろという独立派と反独立派が激しく衝突し、英国の労働・保守両党内でも収拾がつかなかったために、カラハン労働党政権によって「最後の手段」として採用された。その際、国民投票に先立ってこの国民投票のための法律をつくり、その中で双方が独立するためには全有権者の40%の得票が必要と定めた(結果は、スコットランドは英国からの実質独立に「イエス」が多数を占めたが、全有権者に対する賛成者の比率が4割に満たなかったため独立には至らず。ウェールズの場合、有権者の大部分が独立に反対した)。

 いわば、国会の混乱を収拾するため、あるいは国会に対する国民の不信を除去するためにレファレンダムを採用している。緊急避難に利用したのである。
 ナポレオンやドゴールのレファレンダムで知られるフランスの場合。研究者の久邇良子氏によれば、1958年に制定された第五共和制憲法第11条は、大統領が閣議もしくは上下両院の一致した発議により、憲法に明文規定のない政府組織の改変と条約の批准とに関する国民投票を要求できる旨定めている。住民投票については憲法上に規定はなく、市町村法により、市町村の合併に関して市町村間の意見に一致がみられないような場合、住民投票が実施されている。
 レファレンダムを憲法に明記しているスイスはどうか。研究者の岡本三彦氏によれば、連邦憲法を制定した1848年以来1993年までに計414件に及ぶ全国規模のレファレンダムを実施した。この数は他の諸外国でこの間に行われた全国規模のレファレンダムの総数を上回る。スイスの有権者は、毎年ほぼ6件から12件の全国規模のレファレンダムを求められる。これにさらに、カントン(州に相当)、ゲマインデ(市町村に相当)のレファレンダムが加わるという。まさしく直接民主主義国の面目躍如たるものがある。

 米国の場合。研究者の小池治氏によれば、市民が住民投票を通じて直接立法に関わる直接民主主義が地方自治の中に根付いている。96年11月の大統領選挙では、同時に全米20州で計90の住民投票が行われた。
 このほか世界の注目を集めたケースに、カナダ・ケベックの独立を問う州民投票、EU(欧州連合)への加盟の是非を巡る欧州各国の国民投票がある。こうした世界の潮流の中で、日本でも間接民主制の機能が衰退するにつれ、住民投票の細々とした流れが急速に水かさを増してきたのである。


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