■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「さらばニッポン官僚社会」 |
第131章 「郵政改革」のまやかし/民間企業の活力を削ぐ時代錯誤の「愚行」
(2010年5月19日)
鳩山内閣の支持率が、下がる一方だ。背景に、「政治とカネ」の問題に加え、「普天間」に象徴される鳩山首相の迷走と政策への不信の高まりが挙げられよう。国民の多くは、その政策にも疑いの目を向け始めたのである。
政府が4月末に閣議決定した郵政改革法案が、問題の一つだ。この法案の骨子は、日本郵政グループに郵便・貯金・保険のサービスを郵便局を通じて全国一律で義務付け、その実行を可能にするために、政府が持ち株親会社に相当する日本郵政の3分の1超の株式を保有する―というものだ。収益部門となる傘下のゆうちょ銀行と、かんぽ生命保険の株式の3分の1超を日本郵政に保有させる。しかも、ゆうちょ銀の預け入れ限度額は従来の2倍の1人当たり2000万円、かんぽ生命の保障限度額もほぼ2倍の2500万円になる。新規事業に際しては、これまでの認可制から届け出制に変える。
つまり、政府系会社にして「完全民営化」を「実質国有化」へ逆走させ、しかももっと自由に事業をやらせようというわけだ。
民主党は野党だった05年に、小泉政権が進めた郵政民営化を見直し、「郵便事業は公社化・郵貯は規模縮小・簡保は廃止」という内容の法案を国会に提出している(のちに否決され、廃案)。公営の形は残したが、小規模化し、民業を補完する考えだった。
それが、政権を取ったら内容が一変した。民主党オリジナル版を放棄し、国民新党を率いる亀井静香郵政・金融担当相の案を丸のみした。その背景には、夏の参院選対策があるようだ。全国で50万票とも言われる郵便局関係者の支持を得るのが先決、と考えたのは間違いない。手中の政治権力を固めるために変節した、と思われても仕方がないだろう。
しかし、ここで重要なことは、一国の経済を左右する大きな政策を鳩山内閣が十分な論議を尽くさず、そのわずかな論議の過程も十分に公開せず、しかも決定内容を国民に十分に説明しなかったことである。
報道によると、亀井氏は民主党議員と政務三役が意見交換する「政策会議」で「何回も議論した」と、手続きの正当性を主張したが、本人は会議をすべてすっぽかしたという。
これが事実なら、民主主義の危機ではないだろうか。
亀井案の丸のみに対し、民主党議員から(幸い)異論が出て一時、紛糾した。が、結局は鳩山首相が閣内不一致を嫌って、亀井案の受け入れを裁断している。
ここに民主党政権の危うさが浮かび上がる。野党時代の“初心”から離れ、「選挙至上主義」ともみられる参院選の票集めを狙った不透明な政策決定過程と突然の発表―。郵政改革法案についてみれば、それは民主党政権のマニフェスト「脱官僚」の逆を行き、国が預け入れ限度額を引き上げて国民から大量に集めたカネを運用する、財政投融資の復活に道を開く。
これが意味することは、本物のスリラーだ。国民の資金が世界最大の国営金融機関に吸い上げられ、資金の流れが「民から官へ」変わる。ところが、ゆうちょ側に資金運用のノウハウがないため、運用の8割以上を占める国債をさらに買い増していく恐れが強い。となると、民間のカネはその分、流通しなくなり、地域の金融機関の経営を圧迫する。それが中小企業向け融資を慎重にさせ、貸し渋りを引き起こす。結果、日本経済の資金循環を歪め、企業の活力を削いでしまうのは必至だ。
郵政改革法案は、金融社会主義の「聖域」を作り、「自由経済」を「統制経済」へ逆戻りさせる危険なスキームにほかならない。統制経済は戦争経済が示すように、市場に任せないために規制にますます頼るようになりがちだ。それは、かつてのソ連社会主義経済のように、国家経済破綻への道に通じる。法案は、時計の針を半世紀前に戻す「時代錯誤の愚行」と言うほかない。
先の総選挙で政権交代を果たしたことの意義は大きい。国民の大多数は、戦後初めて選んだ政権交代で、民主党政権がうまくやり通し、自分たちの生活が良くなることを願った。新政権が多少つまずいたとしても、国民はむろん大目に見るに違いなかった。
ところが、支持率が下げ止まらないのは、政権への信頼感が欠け落ちてきたためである。首相のリーダーシップの欠如が、その主因であることは明らかだが、政策の不透明さも政権不安をつのらせている。
リーダーとは、ある意味「責任を取れるトップ」にほかならないだろう。「失われた20年」の間、日本は政治のリーダーに恵まれなかった。ようやく実現した政権交代によってもなお、リーダーを見出せないなら、それは余りに情けなく、もの悲しい。