■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「さらばニッポン官僚社会」 |
第113章 後期高齢者医療制度は廃止するしかない
(2008年6月18日)
後期高齢者医療制度が、高齢者らの強い反発を受けて揺らいでいる。制度の廃止を目指す野党4党に対し、政府・与党は低所得者の負担減など、若干の手直しで収拾を図る考えだ。だが、仮に政府の思惑通りに制度が維持されたとしても、対象となる高齢者の不安の根深さから、混乱は簡単に収まりそうにない。
1300万人の神経を逆なで
制度の対象は、75歳以上の約1300万人と、任意で加入する65〜74歳の重度障害者。従来の健康保険制度から対象者を切り離し、独自制度として運営するもので、運営主体は都道府県ごとに全市町村が加入する広域連合となる。
財源は、1割を対象者が支払う保険料、5割を税金、残り4割を現役世代の保険からの支援金で賄う。対象者のうち約200万人は、これまで子供の扶養家族として保険料負担を免れていたが、この人々からも新たに保険料を徴収する。保険料は原則として年金から天引きされる。
制度は2005年12月、小泉純一郎内閣が閣議決定した医療制度改革大綱に盛り込まれ、衆院厚生労働委員会での与党による強行採決を経て06年6月に成立した。だが、その過程で制度内容が国民に十分説明されていない。
まず、制度の名称そのものが高齢者の神経を逆なでし、反発を呼んだ。元会社役員の男性(75歳)はいう。「『後期高齢者』とはひどい。 “もう後がない”という感じだ」。既に、東京での新制度の運営主体となる東京都広域連合には、新しい呼称「後期高齢者医療被保険者証」を嫌って、「健康保険証という名前にしてほしい」との声が寄せられた。
人間は何歳になっても「生きがいと希望」を求める向上心のある存在だが、制度名称は「まだまだやれる」「もう少し頑張ってみる」という心意気をくじくに十分だった。
福田康夫首相の指示で、政府は「長寿医療制度」と呼び換えることにしたが、後の祭りだ。さらに「一般に高所得者の負担は増えるが、低所得者は軽減される」という厚生労働省の説明にもかかわらず、実際には低所得者でも負担増となるケースが判明するなど、制度そのものの問題点も次々と表面化した。
5月8には厚労省が、制度導入に伴う保険料負担増減の試算が不十分だったことを国会で認め、試算のやり直しを表明。制度への不信感を増幅させた。
高齢者の不安の最たるものは負担増だ。この制度の保険料は、全員が一定額を一律に負担する「均等制」と、年収が153万円を超える人が収入に応じて負担する「所得割」の2本立てで計算され、全対象者から徴収される。
これにより、これまで子供の扶養家族だった高齢者に新たな保険料負担が生じるだけではない。夫が75歳以上で被保険者本人、妻が70〜74歳で夫の被扶養者である場合、夫の新制度移行とともに、妻は国民健康保険(国保)に加入することになり、新たな国保保険料負担が生じる。夫の年収が383万円以上、世帯収入が520万円未満であれば、制度導入の経過措置が切れる8月以降、夫の窓口負担は現在の1割から3割に跳ね上がる。
75歳以上の両親を扶養者する自営業者の場合、両親の年金から新制度の保険料天引きとなるのはもちろん、自営業者の国保の保険料負担が減る代わり、扶養家族控除がなくなり税負担が増え、支出増のケースもある。
制度の保険料は各地域の医療費がベースとなるため、都道府県で異なる。東京都広域連合によると、1人当たり年間平均年保険料は、神奈川県が9万2750円で全国トップ、2位が東京都9万1100円。最も安いのが青森県の4万6374円だ。日本医師会は「地域間格差、個人間格差への配慮が欠落している」と批判する。
重度障害者に一段の負担
65〜74歳の重度障害者(対象は約66万9000人)には、一段と重い負担がのしかかる。重度障害者の窓口負担は、3月まで「原則として1割」だが、自治体の障害者医療費助成で事実上、無料のケースがほとんどだった。後期高齢者医療制度への加入は任意だが、加入しなければ重度障害者への医療費助成を打ち切るとする自治体が続出。加入しなければ窓口負担がゼロから3割に増える。一方、これまで被扶養者だった障害者が新制度に加入すれば、新たに保険料負担が生じる。
3月末時点で、後期高齢者医療制度に加入しない65〜74歳の重度障害者への医療費助成打ち切りを決めたのは、北海道、青森、山形、茨城、栃木、富山、愛知、山口、徳島、福岡の10道県。厚労省によると、これらの道県も含め、対象者の13%に当たる8万7000人余りが保険料負担への不安から加入を見送っている。
しかも、保険料は将来、どこまで増えるかわからない。保険とは、多数の加入でリスクを平準化する仕組みだ。低所得者が多く、病気になりやすい高齢者だけを集めた保険は、基盤がきわめて不安定だ。制度では2年ごとに保険料率を見直すことになっているが、そのたびに保険料が大幅に引き上げられるのは不可避だ。
保険料滞納への対応も厳しい。1年以上滞納すると保険証を取り上げられ、従来70歳以上には禁じられていた資格証明書が発行される。資格証明書で、医療費の全額をいったん自己負担しなければならない。天引き可能なほどの年金を受け取っていない低所得者ほど医療が受けにくくなる仕組みといっていい。
高齢者を不安にさせるもうひとつの要因は、医療の質が下がる懸念だ。
後期高齢者医療制度では、病院に保険から支払われる診療報酬も独自体系となる。「後期高齢者医療診療料」は、患者が「かかりつけ医」を決め、その「かかりつけ医」が包括的な治療を行って毎月一定額を受け取るもの。報酬を超えた治療をすれば病院は赤字になる。また、1人の患者に「かかりつけ医」は1人なので、他の病院で受けられる医療も限定されることになる。入院すれば通常は医療費がかさむが、そのぶんの診療報酬を請求できないとなれば、高齢者の入院を拒否する病院も出る可能性がある。
回復の見込みが薄い患者について、あらかじめ終末期の治療内容を決めておく「終末期相談支援料」は、延命治療を抑制するものとして特に反発が強く、政府も廃止を含めて見直しを余儀なくされている。
なお、高齢者の医療は新制度で、ということで、多くの市町村が75歳以上の高齢者に対する人間ドックの受診助成を、4月から廃止した。
手直しでは済まない
筆者は、この制度はゼロベースで練り直し、抜本的な制度設計に取り組むほかないと考える。野党4党が2月に国会に提出した廃止法案は、その出発点となるだろう。
しかし、政府は制度の根幹を維持する構えだ。福田康夫首相は「制度の骨格、考え方は必ずしも悪いわけではない」と語り、舛添要一厚労相は「総人口の約1割を占める75歳以上の高齢者が医療費全体の3分の1を使っている。世代間の公平を考え、今回の制度に変えた」と説明している。
6月10日現在、自民・公明両党は、年金収入が年80万円以下の人の「均等割」部分の9割減額や、同210万円以下の人の「所得割」部分の25〜100%減額で合意している。
だが、こうした手直しで済むとは考えられない。根本的な問題は、1人1人の保険料の多寡ではなく、制度設計思想(政策理念)にある。高齢者を他世代と家族から切り離し、ひとくくりに別体系とする発想自体、高齢者の個性や生き方の多様性の否定である。この差別化は、高齢者に疎外感を、若者には負担感を与えずにおかないだろう。
人は誰でも成長し、老い、死んでいく。それが避けられない運命とあれば、高齢者に対しても若者に対してと同様、生きがいと希望を与えるのが、政治の役割だろう。
8月以降、保険料減額など制度導入に伴う経過措置が次々と切れ、より多くの高齢者が制度の痛みを実感していく。制度を維持することで、政権は高い政治的リスクを抱えていくことになる。