■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「さらばニッポン官僚社会」 |
第112章 後期高齢者「うば捨て」制度の大欠陥
(2008年5月29日)
福田政権が危うい。一部世論調査によると、内閣の支持率は10%台に急落した。末期的状況だ。政権の自壊ぶりに、野党・民主党は首相の道路政策に対する問責決議案を見送った。「熟柿が落ちるのを待つ」構えに切り替えたようだ。
支持率急落の要因の一つに、4月に始まった後期高齢者医療制度(政府は4月に「長寿医療制度」と呼び代え)がある。ここで、風雲急を告げる政局を左右するキーワードと、重要政策のキーポイントを指摘しておこう。
政局のキーワード
政局のキーワードをアトランダムに並べると、次のようになる。7月洞爺湖サミット ― 内閣改造 ― 道路特定財源の一般財源化 ― 地方道路交付金 ― 後期高齢者医療制度 ― 医療保険料の年金天引き ― 年金記録漏れ ― 年金財源 ― 消費税 ― 霞が関埋蔵金 ― 社会保障国民会議―食糧価格高騰 ― 建設不況 ― 景気失速 ― 税制改正 ― 民主党代表選 ― 「骨太の方針2008」 ― 消費者庁などだ。
このうち、現時点で注目度が最大級にのし上がったのが、後期高齢者医療制度である。道路整備費財源特例法改正案が衆院で5月13日、再可決され成立したのを受け、6月15日に会期末を迎える終盤国会の焦点は、後期高齢者医療制度を巡る与野党攻防に移る。
野党4党は、同制度の廃止法案を5月23日に提出し、6月上旬にも参議院本会議で可決させる構え。これに対し政府・与党は、制度の見直しで収拾を図りたい考えだ。
後期高齢者医療制度は、まず「後期高齢者」という、非人道的呼び名からたちまち拒否反応が広がった。ある元会社役員の75歳の男性が新制度への怒りを筆者にこうぶちまけた。「がっくりきた。『後期高齢者』とはひどい。“もう後がない”という感じ。制度の中身も不安がいっぱいだ」
不安がいっぱい
事実、新制度の対象となる75歳以上の約1300万人と、任意で加入する65〜74歳の寝たきりなどの重度障害者や家族にとって、「これでひと安心」という声は一つも聞こえてこない。不安に満ち満ちた制度なのである。
なるほど、政府の社会保障国民会議のホームページに掲載された新制度は「よいことずくめ」に見える。たとえば、旧老人保険制度で問題とされた「高齢者の保険料の扱いが不明確で、必要な費用が際限なく現役世代に回される」仕組みは、新制度で「高齢者と現役の負担ルールを明確化した」とある。たしかに新制度での負担割合は、公費(税金)5割、現役世代の保険料4割、高齢者自身が1割、とルール化された。
財政・運営責任の面でも、「責任を持つ体制」に改めた、と自賛する。旧制度では、実施主体の市町村は医療費を支払うだけで、保険料の徴収は行っていなかったため、責任が不明確で放漫運営になる恐れがあった。
これに対し、新制度では都道府県単位の「広域連合」が一元的に高齢者から保険料を預かり、その使い途にも責任を持つ体制にした。結果、「高齢者の特性、意志を尊重する医療への転換」を遂げ、在宅医療の充実など「高齢者にふさわしい医療の提供」が可能になった、としている。
負担増の落とし穴
だが、こんな結構ずくめの話なら、当の高齢世代から反発を食らうはずがない。5月15日には75歳以上の高齢者20人が新保険料を不服として、大阪府に審査請求している。全国初の集団請求だが、反響は大きく、さらなる審査請求の波が続くのは必至だ。
新制度は問題だらけなのである。その第一は、新たな負担増だ。
厚生労働省は「一般的には高所得者の負担は増え、低所得者は軽減される」と説明してきた。しかしのちに、地域によっては低所得者でも負担増となることが分かった。なぜなら、保険料が都道府県単位で設けられた地域の医療費がベースになるため、東京のような医療費が高い地域ほど保険料も高くなるからだ。
従来はサラリーマンや公務員などの子供の扶養家族として保険料を払わなくて済んだ高齢者(対象約200万人)も、半年後の10月から保険料が徴収され、年金から天引きされる。その負担は時と共に、段階的に増える。
夫が75歳以上の現役並み所得者(年収383万円以上)で、妻が70〜74歳、世帯収入が520万円未満の夫婦の場合も、夫だけ窓口負担がそれまでの1割負担から3割に跳ね上がる。
重度障害者に重い負担
65〜74歳の重度障害者(対象者約66万9000人)には、一段と重い負担がのしかかる。重度障害者は、今年3月まで窓口負担が「原則1割」とされていたが、事実上、無料のところがほとんどだった。それが、新制度に加入しないと、65〜69歳で窓口負担は一挙に3割に増える。
重度障害者は現在、加入している国民健康保険(国保)や被用者保険(職場の健康保険など)に残るか、新制度に移るかを任意で選べることになっているが、既に10道県が加入を「障害者医療費助成の条件」とし、新制度に加入しなければ助成を打ち切る方針を打ち出している。事実上、加入の強制だ。
情け容赦なく、こうした助成打ち切り措置を講じたのは、北海道と青森、山形、茨城、栃木、富山、愛知、山口、徳島、福岡の9県だ。
厚労省によると、今年3月末時点で対象となる65〜74歳の重度障害者のうち、加入を迫る前出の10道県を含め13%に当たる8万7000人余りが加入を見送っている。加入によって保険料負担が新たに生じる、などが理由だ。ここからも新制度への警戒感、不信感が読み取れる。
もう一つ、75歳以上の高齢者の人間ドックの受診助成も、実施していた市町村の多くが4月以降、廃止に踏み切った。しかも、新保険料は否応なく大事な年金から天引きされる。後期高齢者にとって、新制度が「うば捨て医療制度」と映るのも、ムリはない。
だが、問題の核心は、2年前の小泉政権時に新制度の骨格が出来て以来、内容が当の高齢世代に説明されないまま新制度に移行したことだ。さらに、内容のうち最重要部分の新制度に伴う保険料負担の増減の試算さえ、いい加減だったことが、国会審議で判明した。
厚労省は野党の追及を受けて5月8日、試算が不十分だったことを認め、試算のやり直しを表明している。年金に続く、ずさんな行政ぶりがまたも明るみに出たのだ。
「一括り」の差別思想
しかし、負担増減のおろそかな試算よりも、もっと恐るべき、根本的な欠陥が新制度に潜む。それは、政策の基本となる理念 ― 考え方である。制度設計思想が、そもそも間違っているのである。
後期高齢者医療制度の特性は、老人を若い層から隔離して一括りにし、別体系として扱う。この「一括り」によって、医療費がかかる75歳以上は全世代と家族から分断され、特別視される「少数派」となる。この扱い自体が、「差別視」と「厄介者視」に基づいていることは、誰の目にも明らかだ。 こうして75歳以上は、財政負担を増やしたくない国や地方自治体、現役世代から「高医療費世代」として疎んじられ、医療費抑制・自制を押しつけられやすい立場に立たされる。
それは、人種差別にも似たコンセプトといえる。差別される側の老人は、一個の特別集団とみなされて、結果的に個性や生き方の多様性は否定される、と感じる。この「75歳以上一括り」方式は、老人に疎外感を、若い世代に負担感を植え付けて、互いを離反させる働きをするだろう。
人は誰でも成長し、老い、死んでいく。これが人の避けられない運命とあれば、それぞれの人生過程に生きがいを与えるべく、適切な施策を行うのが政治の仕事だ。高齢者に対しても、若者に対してと同様、生きがいと希望を与えるのが、政治の本来の役割なのだ。
だが、福田首相は「制度の骨格、考え方は必ずしも悪いわけではない」と脳天気に語っている(4月末)。事ここに至っても、新制度の生みの親の厚生官僚を代弁し、弁護しているのである。福田内閣の特性―官が主導する「官製政治」が、この発言にもにじみ出る。
なにより「後期高齢者」という呼称が、この制度の官製ぶりをあぶり出す。どうせなら、長寿と貢献を称え「高貴高齢者」とでも呼んではどうか。
官僚が人の心意気を挫く無神経な法律用語を考え、これを平気で採用した内閣に、高齢者や家族はどう反応するだろうか。内閣支持率の急落は、その一つの表れといえるだろう。
福田「官製」政治はもはや限界
ここに福田政治の本質が垣間見える。福田政治が、哲学や信念、スピード、デリカシーにことごとく欠けるのも、「官僚のお膳立て」で動いているせいなのだ。いつも行き当たりバッタリで、場当たり対応(消費者庁構想がその好例だ)なのも、同様に主体なき官製政治に由来する。
こうしてみると、道路特定財源制度を2008年度限りで廃止し、09年度から一般財源化する基本方針の閣議決定(5月13日)も、実効性が疑わしい。
政府は、問題噴出の後期高齢者医療制度の手直しを6月中に行う方針だが、低所得者向け負担軽減措置など、手直しに必要な財源をどう捻出するのか―。役人がムダ遣いをしている実態が判明した道路特定財源の活用が、まず考えられる。道路整備に使う社会資本整備特別会計の道路整備勘定から、カネを引き出し、一般財源用に転用するのがスジであろう。
これが出来るか出来ないかで、福田政治の命運が尽きるか上るか、が決まる、といっても過言でない。