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〈番外篇〉地球温暖化が東京の水辺にやってきた / 海面上昇で船舶が橋くぐれず
(2007年4月12日)
キリマンジャロの雪を溶かして世界に衝撃を与えた地球温暖化の影響が、ついに東京の水辺にも押し寄せてきた。東京・品川の運河で、海面水位の上昇により橋の下を屋形船がくぐれないという異常現象が、今年1月と2月の満潮時に発生していることがわかった。こうした現象は、冬季にはかつてみられなかったものだ。地元の経営者によれば、東京・江東区の運河でも同様の現象が起きており、地球温暖化が早くも東京の運河を脅かし始めた。
異変は5〜6年前から
去る1月6日、接触や衝突の危険があるため、屋形船がくぐり抜けることを断念した橋は、湾岸地域の新しいビジネス・観光スポットとして注目を浴びる天王洲アイルの近く、天王洲運河にかかる「天王洲橋」。地元の屋形船オーナー経営者、伊東堅氏(57)によると、大潮時(潮の干満が最大になる満月や新月の時期)に天王洲橋を通り抜けられなくなる事態は5〜6年前から起こるようになり、その回数は徐々に増えている。
しかし、それはあくまで海水が温まって膨張するために海面の高くなる夏から秋にかけてで、冬場に通れないことは昨年までは一度もなかったから、伊東氏ら関係者は今年1月の事態に驚いた。ところが、同じ事態が2月18日にも発生したため、いよいよ「ただごとではない」と実感したという。
現場では地盤沈下は起きていない。伊東氏は「海面の異常な上昇の原因は、地球温暖化以外に考えられない」と断言する。
気象庁によると、台風や地震で引き起こされる高潮や津波などの一時的な要因を除く異常潮位は、最近では2004年6月から翌05年2月までの間、東海から紀伊半島沿岸にかけ、海流の変動により発生している。しかし、今年1〜2月当時、異常潮位は確認されていない。
伊東氏ら関係者の話では、屋形船を運航する際は、海上保安庁の潮汐予測値(潮位表)をインターネットで見て、潮高(大潮時の平均的な干潮時を基準として測る水面の高さ)が「210センチ」に達すると「危険信号」とみなす。伊東氏が保有する8隻の屋形船は、それぞれ高さが異なるものの、水面から橋げたの下まで250センチないと、橋げたにぶつかる可能性があるからだ。
厄介なことに、海上保安庁が潮位をリアルタイムで観測している芝浦検潮所では、通常、予測値よりも実際の観測値が上回る。低気圧や潮のうねりが実測値を跳ね上げることもある。芝浦からさらに内陸側奥に入った天王洲橋近辺では、芝浦よりもさらに10センチほど潮位が上がることもある。
そこで関係者は潮位表を見て、「潮高210センチ」を目安に安全対策を講じている。その安全対策とは、1. 船の高さをできるだけ低く抑えるため、船上の機材類は全て取り外す、2. それでもリスクがある場合は、橋をくぐらずに済むように大潮前に船を橋の外側の桟橋に付け、そこから観光客を乗せる、という方法だ。こうした工夫で、これまで事故ひとつなく、安全無事に運航されてきた。
防災上も大問題
気象庁によれば、日本沿岸の海面水位は、1980年代の半ばから上昇傾向にあり、最近5年間はこの100年間で最も高い水準にある。和歌山県・串本の検潮所の場合、04年4月には5年平均潮位(1999〜2003年)より平均11.7センチ、那覇(沖縄)の場合は03年9月に同13.7センチも海面が上昇している。つまり、場所ごとに海面水位はマチマチではあるが、日本沿岸の海面水位は全体に上昇しており、海水が狭い場所に集まる東京湾の運河などにあっては、満潮時の潮位は護岸に向け一段と押し上げられる公算が大きい。
これについて、海面上昇問題を研究する気象庁海洋気象情報室は「場所によって上がる水位はかなりの差がある」と指摘する。品川の天王洲アイル周辺で、海面が1〜2月に例年にない鋭い上昇をみせたことは明らかだ。
日本各地の潮位は例年、夏から秋にかけて新月や満月の前後に1年のうちで最も高くなる。このような潮位が高いところに、台風や低気圧、異常潮位が重なると、沿岸の低地では浸水などの被害が生じることがあり、気象庁は注意を呼びかける。今年1〜2月の異常水位からみて、今年夏から秋にかけて状況はさらに悪化する可能性が高い。伊東氏はすでに昨年秋の大潮時、屋形船の船着き場近くにある「防災桟橋」(緊急時に乗り降りをしやすいよう低く作られている)が冠水状態になるのを見ている。そこで、伊東氏は同業者らと最近、「防災対策の早期実施が必要」と、東京都の防災当局者に訴えた。
天王洲橋を通れなかった今年2月18日の潮汐記録(海上保安庁調べ)をみると、同日午後4時20分から潮位が「210センチの危険ライン」を超え、同4時50分には219センチに到達。結局、6時10分まで約2時間にわたって、危険な状況が続いていたのだ。
親子3代で東京湾を見つめてきた
「いま思うと、海面膨張の予兆はあった」と伊東氏は振り返る。4年前のことだ。「朝起きたら桟橋の下の荷物やプロパンガスボンベが流されていた」。その日、伊東氏らは急いで運河に漂う荷物類を回収した。伊東氏が屋形船を係留している桟橋の下に作った棚には、いまでも浮き輪やガスボンベが詰まっている。だが、この棚は流出事故のあと、以前よりも高い場所に作り直したものだ。
さらに、もうひとつの予兆―。高潮対策のため、近くの水門は潮位が240センチに高まると閉まる仕組みだが、これが5〜6年前からときどき閉まるようになった。「かつては閉まるようなことはなかったのに」と伊東氏は言う。海面は、ひたひたと上昇しているのだ。
伊東家は、3代にわたり地元の水辺で海と向かい合って暮らしてきた。祖父は、漁師をした後、釣り船とノリの養殖を経営。父の代の22年前に屋形船稼業に切り替えた。関東一円で約300隻の屋形船が操業するなか、3代目の伊東氏が家業を東京の業界最大手に育て上げた。海を熟知する伊東氏だけに、むろんその怖さにも通じている。
昨年10月、伊東氏の擁する屋形船が、東京消防庁が実施した「震災消防演習」に参加し、連係訓練を行った。最大120人の収容能力を持ち、寝泊まりができ、トイレ、台所、プロパンガスといった生活機能を備え、移動もできる屋形船。それは浸水とか震災のような災害にただちに対応できる重要な移動手段だ。運河の航行に支障が出ないよう、橋梁や防災桟橋を整備し直すことは、海面上昇が異変をもたらしているいま、緊急の行政課題といえるだろう。
沿岸部の住宅は大丈夫か
筆者は2月末、伊東氏の案内で屋形船に乗り、天王洲橋の現場周辺を調査した。潮位がそれほど高くならない中潮(なかしお)時だったため、船はらくらく橋下を通過したが、頭上の橋げたには幾筋もの引っ掻きキズのような跡が認められた。橋をくぐろうとした船舶の最高部が、橋げたに接触して作ったものだ。屋形船ばかりでない。この運河を利用する船舶のすべてが、大潮時に通行不能となり立ち往生する危険が見てとれる。
天王洲運河を東京湾に向けてさらに航行すると、水門が見えてきた。この水門は普段は上がっているが、高潮になると閉められ、潮の進入をシャットアウトする。5〜6年前からこの閉まるケースが増えたというのがこの水門である。水門の外の沿岸部には巨大なタワーマンションが建ち並ぶ。高潮対策は大丈夫だろうか、と不安がよぎる。
現場を視察後、気になる情報を地元の複数の関係者から聞いた。この冬に江東区の深川の運河でも船が橋をくぐれず、東京湾に出られないことがあった、というのだ。また、昨年10月の大潮時には、隅田川沿いの遊歩道が冠水し、人が通れなくなったという。海面上昇は、すでに東京の水辺の生活をここかしこでかき乱しているのだ。
島国は水浸し 米国では棺桶が流出
地球温暖化による海面上昇の影響は、海外でも深刻化している。南太平洋に浮かぶ島国、ツバル。この小国の平均海抜は約2メートルと低地のため、海岸浸食や浸水で「国がそっくり消える」恐れが現実化してきた。数千人が住む首都フナフティでは、住民の多くがニュージーランドなどへの海外移住を考え始めているという(『毎日新聞』2月19日付)。
米国東岸部のワシントンDCに近いチェサピーク湾。ここでは、海岸沿いに建国初期の入植者らがつくった墓が海面上昇で浸水し、棺桶が流出する事態が起こった。米紙『ワシントン・ポスト』の調査によると、同湾岸部では少なくとも12カ所の古い墓地がすでに流れたか、その危機にある、という(『産経新聞』3月8日付)。
国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が2月に発表した報告書によると、地球温暖化の影響で、地球の平均海面水位は1961〜2003年に年間1.8ミリずつ上がってきたが、93〜03年だけをみると、年3.1ミリと、急上昇している。報告書はさらに、21世紀末の平均海面上昇は、20世紀末に比べ最大59センチに達する、と予測した。
しかし、この予測はあくまで地球の平均水位についてだ。状況は場所ごとに大きく異なり、さらに潮の干満、気圧、海流の変動、風などに大きく左右される。
また、IPCCは温暖化で台風やハリケーンを生む熱帯低気圧の強度が強まる、と予測しているため、高潮の危険はますます増大する。
人間活動が引き起こした地球の「病」
気がかりなのは、世界に衝撃を与えたIPCCの報告書が予測した以上に、現実の温暖化が急速に進行している可能性が高いことだ。同報告書は90年、96年、2001年に続く4回目の報告だが、前回の第3次報告書よりも気温の上昇予測を高めに修正している。時とともに地球温暖化の進行ぶりを確認してきた結果、今回、「人間活動が温暖化の原因」とほぼ断定して、深刻な予測を打ち出したのだ。
しかし現実は、IPCCの予測よりもさらに先を進んでいる感がある。気象庁によれば、今年1月の世界の月平均気温は1891年に統計を始めてから最高を記録した。昨年12月に続く2カ月連続の最高記録更新である。とくにロシアと欧州北部が高く、ロシア・モスクワの1月平均気温は平年に比べ5.9度、ドイツ・ベルリンも同5.1度高かった。日本の1月の平均気温も観測史上4番目の高さで、平年を1.44度上回った。
中国でも暖冬が報じられたが、筆者が上海市の状況を詳しく調べたところ、06年12月から今年2月までの平均気温は8.1度と、平年よりも2.6度高かった。これは、上海で気象観測が始まった1873年以来の冬季最高記録。上海の南西約200キロにある杭州では、2月7日になんと25.8度を記録した。
東京の運河にこの冬に生じた異変も、地球温暖化が加速している表れ、とみられるのだ。そしてこの異変は、地球規模の温暖化が起こしつつある無数の異常現象のひとつに過ぎない。運河の地理的な条件から、それはたまたま早めに、鋭く表出したに過ぎない。
したがって、東京の運河の異変が提起する問題は、「地球の危機」にほかならない、といえるだろう。盛んな人間活動が引き起こした「地球の重い病」が、ついに東京の水辺にも表れたのである。
そうだとすれば、この異変の背後には、次のキーワードが隠されているのではないか。 「世界は“地球民”の意識を持ってエネルギー高消費国を中心に、ここ10年来の経済政策と生活の仕方を根本から問い直さなければならない」。