| ■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「白昼の死角」 |
第261章 エネルギー危機の実相(下)/食料安全保障への道
(2026年6月26日)
食料危機、目前に
エネルギー供給危機に続き、食料供給危機の不安が現実化してきた。ホルムズ海峡遮断により国際原油価格が急騰し、連動して食を支える肥料も供給不足・価格高騰に転じたためだ。中東は肥料輸出国でもあり、主要な生産・輸出拠点。UNCTAD(国連貿易開発会議)によると、ホルムズを通る肥料は世界の肥料海上貿易の3分の1を占める。肥料原料最大の尿素輸出量は世界の30〜35%、アンモニアが20〜30%を占める。
結果、今年夏までに世界の肥料は平均15〜20%も高騰する可能性があると推測され、農業生産コストの大幅増加をもたらしている。FAO(国連食糧農業機関)は、そこから肥料使用量の削減→作物収穫量の減少→世界の穀物需給ひっ迫のシナリオを警告する。
既にコメ、小麦、トウモロコシ、大豆、パーム油など植物油の価格は世界的に上昇の波に乗る。食料供給不足・国際価格の高騰が、エネルギー危機に連鎖し、6月以降年内に食品値上げが相次ぐ恐れが強まる。日本は主要な窒素系肥料、尿素で既に中国依存を減らし、7割をマレーシアからの輸入に切り替えている。だが、国際価格高騰の波にさらわれる。
農作物不作の不安要素をさらに加えるのが、激しい気候変動だ。欧州では5月に、フランスで38度、ロンドンで35度を超える記録的猛暑が襲い、濃い爪跡を残した。
食料自給率わずか38%(供給熱量ベース)の日本。食の安全確保への対応を考える場合、2つのありうるマイナス要素を加味する必要がある。1つは、円安がさらに進んで円の対外購買力がズルズル落ちていくケースだ。輸入食料の国際買付け競争に買い敗けして量を確保できない可能性が高まる。2つ目は、政府が主食のコメの生産力拡大に失敗し、食料自給率を一向に改善できない恐れだ。
養生訓の教え
食の足元はぐらつく。懸念が深まるのは、食料安全保障政策とは逆向きの「市場任せ」の高市政権のコメ政策だ。「需要に応じた生産を」と、農水省は自らの供給責任を放り出し、生産者(農家)にコメ生産の責任を負わせる食糧法改正案を今国会に提出した。
農水省が需給を見誤って起きた昨年の「令和コメ騒動」。この反省に立っての法改正を謳うが、主務官庁の事実上の責任放棄にほかならない。石破前政権が打ち出した「コメ増産方針」からの転換で、農家の自己責任による生産が押し出された。
この市場原理主義的考えでは、そもそも食料安全保障政策を積極的に構築できるとは思えない。本来、大自然を相手の農業を市場任せにはできない。各国とも、あの手この手の支援策を講じている。食の供給力の衰退は、国民生活・国力にたちまち直結するからだ。
食料安全保障を論議するに際し、まずはその核心となるコンセプトを指摘しておこう。食料安全保障とは、国民に日々欠かせない食料を持続的に安定供給できることだ。しかし食は単に肉体エネルギーの補給、肉体機能の維持・補強にとどまらない。
それは精神的安定と充足をもたらす。世界中の幸福に関する調査が等しく明らかにするのは、食がもたらす幸福だ。地球上のどの国・地域においても「最も幸福な時」を問われて人びとの実に90%以上が「おいしい食事を親しい人と共にしている時」と答える。人類のほとんど全てが、食の喜びを「本当に素晴らしい」と感動しているのだ。
幸福を与える食の瞬間を作家のプルーストが小説『失われた時を求めて』で、印象深く語っている。焼きあがった貝のようにふっくらした、官能的にも見えるフランス菓子、マドレーヌの味わいだ。それは恋心のように作用した。マドレーヌの背後にフランスの美しくのどかな農村風景が広がり、食の記憶をさらに思い出深いものにする。この喜びはどこから来るのか。
食には特別な価値がある。安全・安心な食の恒常的な安定確保とは、ごく日常の人々の幸福を欠かさずに満たす営為である。では、「食料安全保障」という場合、日本に最適な政策モデルとはどんなものか―。
江戸時代初期の貝原益軒の著述『養生訓』に重要なヒントがある。益軒はよく知られる「(健康長寿のために)腹8分目」の提唱者だが、具体的に朝昼夕3食の食事法を指南した。そのガイダンスの全てでコメや麦、雑穀入りご飯を真っ先に掲げる。これに漬物や野菜、豆腐、魚、味噌汁を添える。
ほぼ同時代に人見必大が著した“食材百科事典”の『本朝食鑑』。同書も、医食同源の見地から、コメを「気力を養い、消化によく、健康の基盤となる基本食」と位置付けた。2人は共に、日本の風土に根ざしたコメを「食のランキング1位」とみなしたのだ。
『養生訓』で益軒は「人間の寿命は百歳を定命とする」と謳った。「人生50年」と言われた時代に、養生次第で倍を生きられる、と宣言したのだ。
日本古来の伝統食に肉や果物を適度に加えるのが、究極の食の最適モデルになるのではないか。
家計の要・食材が高騰の重荷
「際限のない値上がり、ほんとに困ります!」。近所のスーパーで、女性の話し声が聞こえた。食品高から家計が節約志向を強め、消費は沈滞する。25年度は主にコメの高騰から2人以上世帯の食料支出は1年前より5%増えたが、その分、教養や娯楽費を削って食の重荷を減らしている。消費支出に占める食費割合を示すエンゲル係数(2人以上世帯)は28.6%(25年)。1981年以来の高水準となった。賃上げで収入は伸びたが、食料の高騰を前に懸命に家計をやりくりする生活の姿が浮かぶ。
このままではGDPの5割強を占める個人消費が上向く可能性は遠のく。生活の余裕を示す国民1人当たり可処分所得は、今や欧州で低いチェコと同水準だ。食料供給危機が、物価上昇を加速させ、家計を一層圧迫する恐れが強まる。
食料安全保障の重要性が今後一層増すのは、高インフレが食料を中心に襲うことになれば、低所得者の生活苦を一定程度軽減できるからだ。所得の底辺部にいる母子家庭の場合、非正規雇用に偏り、ライフステージ後半でもふたり親世帯との所得格差は広がる(厚労省全国調査)。
OECD事務総長のマティアス・コーマンは6月、パリで開かれたOECD閣僚理事会で世界的な食料危機に言及した。中東波乱長期化の最悪シナリオでは「G20のインフレ率は2026、27年ともに4.4%上昇する見込み」「このまま肥料高騰が続けば、来年の農作物価格は8%ほど上昇しそうだ。これは非常に現実的なリスクで、最も脆弱な経済圏とその中の最も脆弱な家庭に最も大きな影響を及ぼすだろう」と警告した。
官の責任逃れ工作
「生産者は需要に応じた生産に主体的に努め、政府は需要に応じた生産を促進すること」。これが食糧法改正案の最大問題個所だ。
当の行政当局が自身の管轄にあるコメ全体の供給責任から逃れるものだ。一方、農家にしてみれば、全体需要の時々の把握は事実上不可能だ。田植えに始まり収穫までの間、市場は変化し続ける。昨年のように新米が収穫される以前にコメ不足騒動になる事態も生じる。自然の気まぐれな変身と需給の時間差から、そもそもコメ作りで「需要に応じた生産」はムリなのである。官はこの法改正により供給過剰や不足が生じても、その責任を民間に転嫁できる。無責任体制というほかない。
山形県南部の白鷹町。10ヘクタールの保有農地でコメ作りを営む地元生産組合副会長、船山隼人さん(41)は、こう語る―「今までもコメが売れ残れば需要を無視してお前たちが勝手に作った、と(お上から)言われた。コロナで(外食停止から)売れ残った時も、そうだった。鈴木農水大臣は、コメ騒動も生食用生産の目安を守らなかった農家の責任だろう、と言っていた」。行政の責任逃れの変わらぬ姿勢に驚く様子はない。
鈴木農水大臣(出所:農林水産省)
法改正の狙いを政府は「令和コメ騒動」の混乱を踏まえ「平時から需要の変化をつかみやすくし、不足時により機動的に市場へ供給できる仕組みを整えることにある」とする。そこから「需要に応じた生産」に加え、流通実態の把握強化と、民間備蓄の制度化が新法案に盛り込まれた。
この結果、民の責任義務と負担が増し、官は負担を軽くして統制を強める方向になる。コメ騒動を奇貨に官民の役割関係を官に都合よく変える、由々しい話だ。
コメ増産を含む農業活性化には、政策の見える化と工夫がいる。重要課題は、全国農地の4割ほどを占める中山間農地・農業の活性化だ。
つまり“儲けられるビジネス農業”にしなければ後継難から耕地放棄がこの先も続く。水路の再整備、ドローンや小型ロボット、AI技術導入、コミュニティ維持に向け、国はどのように支援するか、その総合的プロジェクトを早急に講じる必要がある。この支援アイデアには、スマート農業化に注力する韓国の施策が有力な手掛かりになるだろう。
輸出戦略に注力する
風向きは変わった。インバウンドが増えて日本食への関心が一挙に高まり、食輸出の増加が続く。おいしさと多彩さ、健康志向で海外需要は広がるばかりだ。主食のコメは野菜を上回って日本の農業総生産額10.7兆円の1位を占め、24%の2.5兆円に上る(24年)。
日本の食料自給率は高度経済成長期の1965年当時、73%だった。それが下降を続けた主因は、コメの消費減と肉食増など食生活の変化による、と政府は説明してきた。25年に政府が決めた2030年度の自給率目標は45%。自給率向上にはコメの消費増が不可欠となる。
農林水産物・食品の輸出額は25年、ついに13年連続で過去最高を更新する1.7兆円に上った。前年比12.8%の増加。米国、台湾、韓国、中国などに向け牛肉、コメ・パックご飯、緑茶、ぶり等が伸びた。今年1〜4月も勢いを持続し、前期比12.4%急増した。コメの14%増、パックご飯の10.8%増が目を引く。寿司やおにぎり、ドンブリ飯など訪日外国人らの人気を映す。
この海外需要の力強い盛り上がりをとらえ、輸出向けにコメを増産し、日本食モデルのビジネスを繁栄させる道筋が浮かび上がる。
「今がターニングポイント」と認識を共有し、官民あげて輸出チャンスをものにする時が来たのだ。
ここで注目すべきは、海外主要国の食料確保と自給率向上への農業支援政策だ。各国の施策は発生する自然災害や気候異変などで支援内容がその都度変わり、まちまちになるのは当然であろう。焦点になるのは、欧州27カ国が加盟するEUだ。EUの前身だったEEC時代の1962年に「共通農業政策」が打ち出された。EUに再編された今、その理念と手法は各国の農業支援にどう受け継がれているのか。
農業政策は当然、年々変化しているが、形は変えながらも、今日まで続いている農業支援理念がある。多大な損失を防ぐための「最低価格保証」と農林水産物の生産余剰分の「輸出向け補助金」だ。これが重要なヒントとなる。
今年4月、日本でも輸出拡大に向けた政府支援プログラム「食輸出1万(事業)者支援プログラム」が発足した。政府目標の「2030年輸出額5兆円」達成を目指す。関係省庁・機関が連携して意欲的な中小事業者や起業家を掘り起こし、輸出増を軌道に乗せるのが狙いだ。ようやく動き出した感がある。
食料自給率で最も重要視されるコメ、小麦、トウモロコシなどの穀物の場合、日本の穀物自給率は重量ベースでOECD加盟38カ国中最下位級の32番目に低迷する。コメ増産には、食料自給率100%超の北海道、秋田、山形、新潟、青森、岩手6道県の生産ノウハウの共有・連携も必須となる。
肥料不足に伴う飼料危機についても触れておこう。飼料危機は牛や豚、鶏など家畜のエサとなる穀物をはじめ農作物の供給危機を指す。農産の危機が畜産に波及する「食の連鎖危機」だ。
この飼料危機が現実化する。日本が誇る安値安定を続けた「完全栄養食」、鶏卵。高騰する米国などに比べればなお格安に見えるが、3月に過去最高水準に高騰。5月も全国の平均店頭価格が1パック10個入り309円と高止まる。飼料を大食いする牛の場合、飼料危機の影響は最大級だ。牛の飼料消費量は牛の種類、体重、成長過程でかなり異なるが、肉牛(体重700kg前後)で14〜21kg、乳牛(搾乳中650kg前後)で18〜25kg程度とされる。実際の飼料は水分を含むためもっと多い。
牛の飼料はトウモロコシをはじめ大豆かす、牧草、稲わら、ビールかす、サイレージ(発酵飼料)など。牛肉1kg当たり7 〜12kgの飼料穀物を消費し、うちトウモロコシが5〜10kgを占める。
世界全体でトウモロコシの4割が家畜飼料に使われると推定される。このトウモロコシ飼料が肥料不足から畜産物の減産・価格高騰を余儀なくされる。
魚介の飼料も影響が大きい。養殖魚介のエサはイワシ、サンマ、サバなどの生エサ以外に乾燥固形飼料がある。その原料に植物性の大豆油かす、小麦粉、コーングルテンミール、そら豆、菜種ミールなども使っているからだ。食物連鎖で食料危機が深まる構図だ。
国民も農業にさほど関心を寄せてこなかったのも事実だ。農業復活に向け始まった前奏曲を止めてはならない。