■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
第191章 コロナ対策で遅れ露呈/政府、デジタル化にようやく本腰

(2020年10月8日)

新型コロナウイルスの感染拡大は、政府の対策のもたつきを、支援を待つ国民の前にさらけ出した。対策の目玉となった「国民1人一律10万円」の現金給付は、4月半ばに政府方針が決まったが、支給の大半は2カ月後の6月半ば以降に持ち越された。 先進国中、給付が最速だったドイツは仕事を失った芸術家や個人事業主に対し3月下旬、1人当たり最低約60万円をオンライン申請後2、3日で支給した。 国民の批判を浴びた政府は、コロナ対策の不手際を招いたデジタル化の遅れの取り返しとマイナンバーカードの普及にようやく乗り出す。9月に就任した菅義偉首相は、デジタル庁の新設を表明した。

オンライン処理に大失敗

行政手続が大遅滞した原因の一つが、給付金のオンライン申請処理の遅れだ。マイナンバーカードを持つ市民は、給付金をオンラインで申請できたが、カード保有者はそもそも国民の17%ほどしかいなかった。普及しなかった理由は、「持っていると役に立つ」と思われなかったせいだ。日頃からマイナンバーカードを使っていないため、いざ申請となって保有者本人が暗証番号を忘れたり、自治体の窓口現場が手作業による内容確認に手間取ったりして大混乱、パンクが続出した。オンラインを止めて書面申請に切り替えるなどで、処理を大きく遅らせた。
東京都の八王子市ではオンライン申請後受け付け直後に申請した住民の一部は5月中に現金を受け取ったが、やがて受付窓口の混乱から書類審査に切り替え、支給は1カ月以上遅延。東久留米市は紙による申請に頼り、申請書の記入項目のチェックを職員がそれぞれ2人がかりで行った結果、住民の指定銀行口座に振り込まれたのは、6月後半に入ってからだった。

日本の行政事務のスピードは異常にのろい。現金給付のスピードを比べると、デジタル化が進んだ台湾、韓国から大きく引き離されたばかりか、東アジアの中で最下位グループに属する。
国民は日本をてっきりデジタル先進国と思っていたが、とんでもなく後進国であることに気付いたのだ。
政府の国民に対する最大の責務は、生命と財産を守ることだ。これに照らすと、日本の政治は信頼できない、と多くの国民は失望したのではないか。

日本政府が「IT革命の推進」を掲げたのは、ほぼ20年前に遡る。
2001年1月、当時の森喜朗首相は政府によるIT革命を目指す「e-Japan戦略」の決定を発表し、IT革命の推進は「希望の世紀」実現のカギとなる、と年頭の施政方針演説でぶち上げた。
コロナ禍が始まる直前の今年1月、政府はGAFA(米グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)など巨大IT企業による市場寡占を規制する法案作りを発表した際には、2020年を「デジタル元年にする」と位置付けた。ところがコロナ危機対応で、給付金受け付けのオンライン処理もままならなかったのだ。政府は口先ばかり、行政は能力なし、との批判を広く巻き起こした。
コロナ禍における不手際は、約20年にわたり時の政権と官僚がIT革命の公約に本気で取り組まずに放っておいたせいだ。不作為の罪というほかない。

政府の2つの切り口

行政のデジタル化とマイナンバーカード普及化の著しい遅れ、迫られるコロナの感染抑止策。世論の批判に背を押され、政府は6月、ようやく重い腰を上げた。
菅義偉官房長官(当時)は「マイナンバー制度と、国と地方のデジタル基盤を抜本的に改善する必要がある」と述べ、デジタル対応の大失敗を認めたのだ。政府は二つの切り口を考え、公表した。
一つは、コロナの感染者と濃厚接触したリスクがスマートフォンで分かる接触確認アプリ「COCOA(ココア)」の普及だ(図表1)。二つめは、マイナンバーカードに利便性と多機能性を持たせ、カードを保有するメリットを感じさせて普及率を上げる取り組みだ。

(図表1) アプリ「ココア」の表示画面


厚生労働省は6月からこのアプリの運用を始めた。モデルとしたのは、感染抑止効果のあるシンガポール政府のアプリ。技術的特徴は、中国や韓国のアプリと異なり、利用者のプライバシーが保護されていることだ。市民の行動を監視・追跡する位置情報は付いていない。
米アップルとグーグルが基本技術を開発した近距離無線通信「ブルートゥース(Bluetooth)」を使い、スマホ間の無線通信で互いに接近したことを把握する。感染者との距離が「1メートル以内」で「15分以上」濃厚接触すると、無線で互いを判別し、双方のスマホに記録される。
アプリ利用者が陽性診断を受け、アプリを通じて自己申告すると、2週間以内にその人と濃厚接触したアプリ利用者のスマホに通知される。その濃厚接触者がアプリで申告すれば、保健所が接触者の拡大状況をつかみ、対応できる仕組みだ。
肝心な点は、プライバシーの保護である。アプリの利用にあたり名前や電話番号など本人と分かる特定情報を登録する必要はない。利用者の接触情報は暗号化されてスマホ内に留まる。政府や捜査当局もアクセスできない。アプリに入った情報は2週間以内にスマホからも自動消去される。

中国や韓国が個人情報を政府管理して国民を監視・追跡しているのに対し、日本の使用アプリは位置情報を持たないドイツ、フランスと同じタイプ。英国のアプリも同種のタイプだが、本人の同意を得て位置情報を使う。日本のアプリに対し「自由や人権を重んじる民主主義の価値観が表れている」「プライバシーに配慮しながらデータ活用のメリットを最大限生かしている」などと専門家の評価は高い。
筆者はアプリ「ココア」を稼働直後にダウンロードし3カ月余り使ったが、幸い感染者との接触は確認されていない。ただ、ダウンロード数は日本の総人口の1割強に留まっているため、利用者数がなお少なく効果は限られる。アプリが感染抑止効果を十分に発揮するには、人口の4割程度が利用する必要がある、との指摘が専門家の間にある。
普及が進まない大きな原因は、保健所の対応のまずさだ。接触通知を受けた人の8割ほどが希望したのにPCR検査を受けられなかったのだ。利用者の不満を受け、厚労省は8月下旬、接触通知を受けた場合、希望者全員が無料でPCR検査を受けられるようにした。日本商工会議所に後押しされた中小企業の活用効果も加わって、運用に手抜かりがなければ普及の広がりが期待できるかもしれない。

マイナンバーカードに情報を集約

もう一つの課題とされたマイナンバーカードの普及と活用。政府のワーキンググループは6月末、課題を整理し、利便性の向上がカギになる、とみて「民間利用の拡大」を打ち出した。
 政府は7月、IT総合戦略本部がまとめた「世界最先端デジタル国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画」の新版を閣議決定。その中で喫緊に取り組むべき事項の一つとして、「デジタル社会の基盤としてのマイナンバー制度」を掲げた。

マイナンバーカードには、次のような機能を持たせる意向だ。
・ 個人番号を証明する書類として利用
・ 各種行政手続きのオンライン申請
・ 本人確認の際の公的な身分証明書
・ 民間各種のオンライン取引に利活用
・ 様々なサービスを搭載した多目的カード
・ コンビニなどで住民票、印鑑登録証明書などの公的証明書を取得
政府は「22年度末にほとんどの住民がカードを保有」という目標を掲げる。

普及のカギとなるのが、総務省が実施する「マイナポイント」事業だ。カードの保有者に最大5000円分のポイントを配る。
実施期間は、今年9月から来年3月まで。政府は4000万人分の予算2000億円を用意した。ポイントをもらうには、多数のキャッシュレス決済から1社を選び、それで買い物をする必要がある。
民間キャッシュレス各社は、決済手段に自社を選んでもらおうと、相次いで独自のポイント上乗せ還元策を打ち出し、猛烈なキャンペーンを展開中だ。ポイント付与の前提となるマイナンバーカードの交付数は、8月30日時点で2458万枚弱、普及率は19.3%。市町村への交付申請数は、ポイント予約を開始した7月以降伸びているが、普及率が上がらない大きな原因は、申請から交付まで1カ月以上もかかるため。東久留米市では、交付までになんと2〜3カ月もかかる(9月10日時点)。行政手続きの遅さが再び浮上した。

政府の狙いは、ポイント還元を受けるのに必要なマイナンバーカードの取得によりカードの普及率を上げること、併せて国際的に遅れているキャッシュレス決済を増やし、コロナ禍で急落した個人消費を喚起することだ。
政府は、カードの利便性を高めるため、本人認証を面倒な暗証番号に代え、顔識別や指紋など生体認証にする案も検討する。さらに12桁の個人番号から成る公的認証サービスと健康保険証を21年3月に一体化させ、病院で受診の際に保険証を提示する必要をなくする。運転免許証との一体化や各種申請、給付金や年金の受給に活用する案も浮上している。

マイナンバーカードの活用は、住民サービスに熱心な一部の地方自治体でさまざまな形で先行的に進められている。
群馬県前橋市では、早くも2015年に母子健康手帳の情報をウェブ化し、マイナンバーカードとつなげる情報サービスを開始。カードによる本人確認を経てスマホやパソコンで母子の定期健診、予防接種の情報、法定健診の結果、子育て支援情報などを知らせる(図表2)。同様の取り組みは、富山県南砺(なんと)市や北海道帯広市などでも実施され、市民から好評だ。
図書館利用にカードを活用するのが新潟県三条市や東京・豊島区。三条市では、マイナンバーカードのICチップの空き領域に図書館カードの機能を持たせるアプリケーションを搭載して、図書館を利用できるようにした。
住民らはカード1枚で用を足せる。

(図表2)母子健康情報サービス(群馬県前橋市)
出所)前橋市政策部


問題は、マイナンバーカードに集積されたビッグデータから特定個人情報が抜き取られ、悪用されてプライバシーが侵害されないようにすることだ。同時にコロナ対策を大義名分に、プライバシーを侵し監視社会化となりうる仕組みがいつの間にか作られないようにしなければならない。 接触確認アプリ「ココア」にコロナ感染抑止策の徹底を理由に位置情報を付け加えるとか、東京都など自治体が独自に実施している接触検知アプリに住民監視機能を付与させることがあってはならない。

6月、前安倍政権の高市早苗総務相はマイナンバーと1人1人の預金口座のひも付けを検討する政府の意向を表明した。「できれば義務化したい」と閣議後の記者会見で述べ、来年1月に召集の通常国会に法案を提出する予定を明かした。 その上で、相続時や災害時を想定して「全ての口座をマイナンバーとひも付けておけばかなり便利になる」とも答え、ゆくゆくは全預貯金口座のひも付けを念頭に置いていることを示した。
しかし、国民にはマイナンバーカードの活用をしきりに奨励しながら、高市総務相自身は前月の5月にこう証言している。衆院内閣委員会で「マイナンバーを使ってマイナポータル(政府のオンラインサービス)で、何かしらの電子申請をした経験はあるか」との質疑に、菅官房長官(当時)と共に「ない」と答えている。 マイナンバー制度管轄の最高責任者である当人がこれでは、カードの利用問題などピンと分かるわけがない。
政府は様々な反省の上に立って、2020年を「デジタル元年」にするつもりなら、マイナンバーカード機能と運用の仕方に関し、国民にひとつひとつ納得のいく、十分な説明をする必要がある。