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沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
第179章 公文書のあり方、管理問題/弛んだ規律 改善必須

(2018年5月17日) (山形新聞『思考の現場から』5月15日付)


森友文書改ざん、加計学園の愛媛県面会記録、PKO(国連平和維持活動)日報隠し―公文書のあり方と管理問題が、今年に入っても次々に噴き出している。
3月に森友学園への国有地売却の財務省決済文書の改ざんが発覚、4月には「ない」とされていた陸上自衛隊のイラク派遣部隊の「日報」が保管されていることが判明、さらに加計学園問題で柳瀬唯夫首相秘書官(当時)が愛媛県や学園関係者と面会した記録文書が見つかった。柳瀬氏は面会の際「本件は首相案件になっている」と発言したとされる。

これら一連の事件は、公文書管理法に違反する行為とか、ずさんな公文書管理を示すものだ。ということは、公文書管理法の本来の趣旨と公文書の管理・保存・利用の仕方を、主権者の国民が点検しなければならないことを意味する。 「民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得る」ことを目的に2011年に施行された法律だからである。
公文書管理法の対象文書とは、行政機関の職員が職務上作成・取得した文書・図面・電磁的記録から成る「行政文書」と独立行政法人や国立大学、日銀などの公的法人の「法人文書」、歴史資料として重要な特定歴史公文書を指す。公文書管理法は、国民の知る権利に基づき行政文書の開示を定めた2001年施行の情報公開法と兄弟関係にある。民主主義を支える双璧の法律と言ってよい。
ところが、これが悪用もしくは無視され、公文書の信頼性が失われた。公文書が改ざんされれば、国民は政治・社会状況の判断を誤り、歴史認識が歪められる。自衛隊の日報隠しにより、自衛隊のPKO活動の生々しい実態が国民の目から見えなくなる。

1年余り前を思い起こしてみよう。東京都の築地市場の豊洲への移転を巡り世論が沸騰した。豊洲の地下の汚染物質を封じ込める盛り土が計画通りにされていないことが判明したからだ。計画変更を記録した内部文書はついに見つからなかった。小池知事は調査した結果、盛り土をしなかったことを決めた責任者を特定できず、「流れの中で、空気の中で決定の方向に進んでいった」と説明した。都政の無責任体制が浮き彫りになったのだ。
一方、米国でも16年の大統領選挙時にヒラリー・クリントン氏が国務長官時代に私用メールを公務に使ったことから、公的情報の漏洩リスクや情報管理のずさんさが浮上し、勝利の潮目が変わる一因となった。
行政機関や政治権力者が、責任を問われる根拠となり得る公的記録の作成を避けたい意図が透けて見える。記録に残らない私用メールで、公務上の連絡や報告、相談をするようになるのも自然な流れだ。
そもそも行政文書が不在だったり歪められたりすれば、国民は政府活動の実態を知ることができない。改ざんは犯罪であり、公文書偽造罪(刑法155条)など刑事責任が問われる。
深刻な問題は、肝心な政府の意思決定の過程が公文書に記録されていないことだ。森友や加計学園問題で首相官邸側は要人の日程表や面会内容、報告などの記録が何も残っていないと説明している。これでは真相究明は永久に閉ざされる上、政府の説明を鵜呑みにできない。

情報公開問題に詳しい情報公開クリアリングハウス(三木由希子理事長)によれば、情報公開請求をしたところ、首相、官房長官、副官房長官、首相補佐官及び秘書官に誰が面会したのかが分かる日程表やそれに類するものはことごとく「不存在」とされた。
森友文書改ざん問題を巡り3月に国会に証人喚問された佐川宣寿・前国税庁長官の日程に関して、国税庁は情報公開請求から60日後に、請求受け付け当日の日程表のみ開示してきたという。前長官の日程表は「1日のみ保存で後は廃棄された」ことになる。

このように政府の活動記録の「不在」が重大問題化してきた。省庁の職員の文書のやり取りは通常、電子メールで行われる。だが、加計問題で文科省は調査して見つかった官邸の指示を伝える添付ファイルを、行政文書ではなく「個人のメモ」として扱った。
こうなると、行政文書の定義や運用のガイドラインも全面的に見直す必要がある。例えば、行政文書の要件の一つに「組織的に用いるもの」が挙げられている。これを根拠に「組織として用いていない。個人のメモ」と当局は言い逃れしてきた。この要件を取り払って単に「職員が職務上作成・取得した文書を行政文書」とみなす法改正をするのが筋だろう。モリカケ問題を機に、行政の緩んだ規律を立て直さなければならない。