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北沢栄
『神保町と大正デモクラシー』

ザ・メッセージ社■本体1000円+税


本書の内容はこちら



『神保町と大正デモクラシー』に寄せられた反響の一部をご紹介します。



*書評・新刊紹介

埼玉新聞(2021年5月30日付)
物語の舞台は大正時代の東京・神田神保町。大学生の谷村真介は実家の古書店を手伝いながら、周恩来や芥川龍之介、賀川豊彦と親しく交流する。当時の神保町は学生や作家、学者ら「知恵の求道者」が足しげく通う街だった。
普選運動の熱気が高まった大正デモクラシーの時代。新しい文化が花開き、人々は宝塚歌劇団や浅草オペラ、カフェ通いに夢中になった。「粋なモダニズム」幕開けの日々は、軍部の台頭、労働運動に対する弾圧などで暗転していく。歴史は繰り返すのか。現代ニッポンへの警鐘。

リベラルタイム(2021年6月号)
著者の北沢栄氏は、共同通信経済部記者、ニューヨーク特派員を経て、現在フリージャーナリスト・著述家として活躍している。
2017年以降、安倍晋三政権(当時)を揺るがし続けた「森友・加計学園問題」。官僚による決裁文書改ざん問題にまで発展し、首相の意向を「忖度」したのではないか、という国民の政治への不信が高まった。本書は、これらの問題を受け、北沢氏が我国の民主主義の原点となった大正デモクラシーが勃興した時代状況を描こうと構想した小説だ。
舞台は東京・神保町の書店。店主の谷村真介の目利きが評判で、学生や作家、学者たちが足繁く通っており、その中には芥川龍之介やのちに中華人民共和国をつくることになる中国人留学生・周恩来等もいた。彼らが親しく交流する様子は、当時の時代の熱量を大いに感じさせてくれる。

月刊ニューリーダー誌(2021年4月号)
大正期の民本主義勃興時代の生々しい息吹と、次の昭和に勢いづュ国家主義による衰退。ある意味、サ代ニッポンで。AJり返される風景ナもある。牧師で貧民救済や労働運動、普選運動を見るまに盛り上げた賀川豊彦の人間像も浮き彫りにする。

山形新聞(2021年3月29日付)
本と共同体で時代に対峙
「日本を代表する本の街として有名な神田神保町。日本どころか、世界的にも稀有な古書店街 ―現在、140軒ほどが店舗を構えているといわれる― で、筆者などは割とよく古書店巡りを目的に上京する。似たような人々は全国各地に数多存在するだろう。
本書は、そんな街を舞台に、大正期の若者たちの交流と交歓とを描いた群像小説だ。著者は本紙「思考の現場から」でおなじみのジャーナリスト。偶然見つかった曽祖父・谷村真介(神保町の書店の2代目、昭和11年に38歳で逝去)の大正期の日記を、語り手である令和のひ孫・輝太郎(28歳)が小説仕立てで紹介する、という体裁で物語が進む。
とはいえ、主人公である真介が何か劇的な事件に遭遇したり、そこで成長を遂げたり、といったプロットがあるわけではない。淡々と描かれていくのは、関東大震災と昭和維新とで大きく変わっていく以前、いまからちょうど100年ほど前の神保町の風景である。
そこにあったのは、アジアでいち早く近代化を果たした日本に学ぼうと各地からたくさんの留学生が滞在し、生活していた街(1)であるとともに、近代日本の著名な作家たちが散策し、創作に励んだ街(2)であり、そしてまた、大正デモクラシーの空気の中で生起した労働運動や女性運動、普選運動の舞台となった街(3)であった。
本作では、神保町のこうした諸側面が、(1)留学生の周恩来、(2)作家の芥川龍之介、(3)社会活動家の賀川豊彦との、主人公・真介の交流という形で描かれていく。どれもきっかけは、真介が店番をする書店に彼らが訪れ、やりとりするところに生まれる。書店がひとつの市民的公共圏であったわけだ。
一読して感じるのは、100年前と現在との意外なまでの近さである。おそらく著者が、創作の舞台としてこの時代のこの街を選んだ理由もそこにあるだろう。物語のなかで人びとは、本とそれを媒介にしたコミュニティーによって変わりゆく時代と対峙する。現在の私たちはどうだろうか。そんなことを考えさせられる小説である」
<評者は学びの場づくりNPO「よりみち文庫」共同代表・滝口克典氏(山形市)>

*Amazonレビューより

  • トポスとしての神保町、大正デモクラシー、そして令和
    東京神田・神保町はひととき、甘く、激しく、心躍る大正デモクラシーの息吹にふれたことがあった。それはいずれ姿を消し、昭和の激動へと移りゆくのだが、その一端が古書店街の一店主の若きころの追想として描かれる。  
    大正ひとけた時代、まだ少年だった主人公が店番をしていると、和服姿の芥川龍之介がふらりとやってきて、世界をゆるがせたロシア革命の動向を知るためにローザ・ルクセンブルクの著書を注文した。その縁でいっしょに「須田町食堂」、「神田やぶそば」、あんこう料理店「いせ源」といった“食道楽の聖地”を散策したり、勃興しつつある白樺派の作家などの話を興奮しながら聞いたりする。すずらん通りのカフェ「ドリアン」にも連れて行ってもらった。当時、日本に来ていた中国革命家、周恩来やキリスト教伝道者にして社会活動家の賀川豊彦にも会った。芥川はその後「目の前で歯車が回る」と心の悩みを打ち明け、自殺する――。  
    やはり神田の老舗の生まれで神田育ち、神保町をこよなく愛する著者が、戦前に回帰するような暗い雰囲気が漂う令和の世に、「神保町と大正デモクラシー」に思いをはせ、ジャーナリズム小説第5弾として世に送り出した傑作である。 (by クンダリニー氏)

  • 激動の大正時代を肌で感じる一冊
    おもしろく、ためになった。 読んで、「大正デモクラシー」の時代の納得がいった。学校でも大正期のことは、教えられなかったし、勉強もしなかったので、大正の存在感は 薄かった。ところが、新しい文芸、労働運動、女性運動、民本主義と盛り上がった凄い時代、とわかった。感謝。個人的には芥川龍之介の「ぼんやりした不安」の雰囲気をいまの時代に感じる。もう一度読み直しているところ。(by Amazoner氏)

  • 現代と重なる時代の空気
    大正時代の知ッ階級(という表現がいいかどうかはあるが)の物語。自由な雰囲気から、第一次世界大戦を勝利してしまったことによる日本の思い上がり。アジア諸国の見本となるべきだったはずのものが、自由を規制して侵略主義に走っていく日本国政府のありかたなど、考えさせられる面が多い。現在の日本はこのころの勢いはなくしているが、経済的に追い込まれていくなかで、やはり自由を失うような空気が感じられることからも、その対比は面白い。 政局ばかりではなく、当時の神田神保町の書店や文化人との関わりも生き生きと感じられて、時代背景を含めエンタテイメントとしても楽しめる。(by Kindleユーザー氏)

  • 大正デモクラシーが現代の闇を照らす
    読み終えて正直、胸がスッとした。主人公のデモクラシーへの熱い思いに、である。安倍前政権の数年前、公文書隠し・偽造で国会が騒然となり、民主主義論争が起こった。当時、民主主義の先がけとなった大正デモクラシーってどう生まれ、どう死んでしまったの?と言う疑問が湧いたが、本書がその解答を見つけてくれた。
    大正期の民本主義勃興時代の知識人と民衆の生々しい息吹き。これが本書から、まるで大正の時代に暮らしたかのように、伝わる。なかでも牧師の詩人で、貧民救済や労働運動、普選運動を見るまに盛り繧ーた賀川豊彦は圧倒的に凄い壮絶人間、と感無量だ。
    一体、当時と今との民主主義への感度と取り組みの違いは何なのか。世界でも民主主義国の多くが格差の広がりや分断で国民の支持を失い、政治が不タ定化して、強権志向が勢「を増す。このコロナ禍の歴史の変わりめに、デモクラシーと文化のダイバスィティを求めた大正時代は現代ニッポンの「学びの園」だ、とつくづく思った。(by ポテトチョップ氏)


*読者の反響

  • 「小説仕立てなので面白く一気に読了しました。周恩来、芥川龍之介、賀川豊彦。なじみはあるが当然会ったことがない偉人たちがなつかしい神保町を舞台に生々と描かれています。明治と昭和に挟まれた影が薄い大正という時代が魅力的に浮き上がってきました。(中略)
    芥川ではないが、小生も今の時代に「ぼんやりした不安」を感じています。キーワードは「中国」か。帝国主義列強に食い物にされ、屈辱に苦しんだ大国がめざめ、経済力を持った今、世界をどうするか。米中対決。そのはざ間の日本の運命やいかに。北沢栄氏にご教示を願いたいと思っています」(男性、川崎市)

  • 「賀川先生のことが書かれているのではないか、という予感がして、先ず、8:民本主義、9:労働運動から読みはじめました。そこに賀川先生のことが触れられていて、一気に読ませていただきました。(中略)従来の賀川先生の伝記では知りえなかった先生の一面を知ることが出きました。(中略)著作に登場する人物に傍線を引きながら、著作で展開されている歴史の背景を学ぶことが出きました。
    ところで、私どもは社会福祉事業に携わっているものですが、現在賀川先生の仕事は、関西では神戸のスラムから始まった事業が、社会福祉法人イエス団として今も関西一円で事業を展開しています。 関東地区では、関東大震災の救援活動を機に、本所の地でセツルメント事業が展開され、戦災時に全て焼失しましたが、現在は、一般財団法人本所賀川記念館、社会福祉法人雲柱社、学校法人雲柱社松沢幼稚園、公益財団法人雲柱社松沢資料館、中ノ郷信用組合、中野総合病院、いくつかのキリスト教会、等々が先生の意志を継承するために活動を続けています。 さらに、賀川豊彦先生の生活協同組合への貢献が見なおされ、それらと資料館との協働も深まっています。 賀川先生が目指した「相愛互助社会」の建設は、SDGsの運動とつながって、改めて取りあげられています。私たちも社会福祉の分野で共に力を尽くしていきたいと願っています。
    末尾に「歴史は繰り返す」と述べられていましたがc 日ごろ子どもたちと関わることが多い者として、彼らに歴史を繰り返してはならないことを、様々な形で伝えていきたいと考えています」(男性、東京都)

  • 「大正時代というのは、学校で教わらなかったし、歴史書もろくに読んでいなかったので、ほとんど知らなかった。・・・芥川龍之介の話にハッとした。“ぼんやりした不安”を漏らしていた時代は、コロナの今とそっくりではないか。大正が身近に感じられた」(男性、横浜市)

  • 「周恩来の気高さに比べると、習近平は最低の権勢欲男。中国共Y党に読ませたい本だ。大正デモクラシーの時代に比べると、当然、日本も中国も大きく変わったが、とくに中国の共産党の変わりっぷりは凄い、とつくづく思った」(男性、川崎市)

  • 「タイトルを見るなり、すぐに面白い本であろうと感じました。曽祖父にあたる谷村真介の日記を見つけたのを機に書き始めるストーリーになっていますが、さて真介と日記が本当にあった話なのか、はたまたつくられた物語なのか、今興味深く読んでいるところです。
    神保町は元々面白い街で、大正デモクラシーに焦点を当てられたのもなかなか興味深いと思います。神保町や須田町の喫茶店やレストラン、あるいは本ョには、それだけでも魅かれるものを感じます。
    モガモボは、私がもう一冊書きたいと思っている新居格の作った言葉で神保町に似合う言葉です。芥川とか賀川等の認識も面白いところです」(男性、東京都)

  • 「このところのコロナ禍で巣ごもりの折、ウイスキー舐めなめ一気に読了しましたが、まだボトル半分ほど残っていますので、ウイスキー舐めなめこの手紙を書いている次第です。これまで読ましてもらった貴君の小説は、どちらかいうと現在の社会諸問題をテーマにしたものがほとんどでしたが、1世紀前の神保町が舞台というのに興味をひかれました。谷村真介の日記を軸にして話が展開するのも森鴎外や谷崎潤一郎がよく使う手ですが、果たして真介の日記が実在するものか、それニも日記そのものがまったくのフィクションなのか、読んでいてわからないのも面白い。真相はどうなのか知りたいものですね。鴎外の場合はほぼ資料があることが分かりますが、谷崎の場合は半々なのでうっかり騙されてしまうケースがりますね。松{清張の場合も資料に忠実なものがほとんどなので、うっかり騙されてしまいます。『或る小倉日記伝』などその最たるものです。(中略)
    それから真介クンと美恵ちゃんの会話に出てくる高木徳子が神保町生まれとは知りませんでした。徳子は1919年に九州巡業の最中に大牟田市でまだ28歳という若さで狂死することは知っていました。今はすっかり忘れ去られた彼女をなぜ知っているかというと、大牟田は僕の新聞記者の最初の赴任地だったからにすぎません。それに1917年当時、周恩来が神田で予備校に通っていたことも、この小説で初めて知りました。美男子の周恩来に美恵ちゃんが道で出会って一目惚れする可能性もあったわけですね。そうそう、美恵ちゃんはその後憧れのタカラズカに入ったのかどうか、知りたいですね。どうせ女盛りは戦争で滅茶苦茶なめに遭うのですから、そのくらいの儚い夢は叶えさせてやりたいものですね。なにしろ「大正デモクラシー」すなわち「大正ロマン」なんですから。親友の千代ちゃんあたりは松竹歌劇にぜひ入れてやりたいところです。
    さてその千代ちゃん、後半で龍之介の「ぼんやりした不安」にかられて自殺志望者もどきに陥るくだりで、真介クンが美恵ちゃんに「あした、千代ちゃんを誘って、『ごちそうや』に連れて行くんだな。餡蜜でも食べれば気分スッキリ、思い直すよ」というセリフがありますが、これはちょっとおかしい。「餡蜜」は蜜豆に餡を盛ったもので、1930年に銀座のしるこ屋「若松」が初めて発案販売したという説と、1936年に同じく銀座の蜜豆屋「月ヶ瀬」が最初だとする説があり、「若松」では現在でも「元祖あんみつ」として発売しているそうです。いずれにしても大正時代には餡蜜という名称はなかったはず。ここは「蜜豆でも食べれば気分すっきり」と無難にいきたいところ。蜜豆ならば1903年に浅草の「舟和」が最初に売り出しているので、大正時代には十分ポピュラーになっていたはず。たぶん美恵ちゃんも大好物だったはずです。ちなみにぼくらの少年時代、少女雑誌に「あんみつ姫」という江戸時代をバックにした漫画が連対されていたが、あれは時代考証的には大間違いです。
    以上のように他人の文章のアラを、みみっちく重箱の隅をホジクルように見付ける趣味がぼくの悪いクセ。5年前に死んだ女房には「自分のことは棚に上げてそんなことばかりしていると、人に嫌われますよ」と何度言われたことか。今はそんなことを言ってくれる人がいなくてさびしい限りです。ボトルの残量が少なくなってきました」(男性、筑紫市)

  • 「大正期に起こった諸々の事件、あるいは社会動向A世相風俗を選び取るセンスは見事ですね。多分年表を壁に貼っていたのでしょうが、それにしても見事ですね。アイデアが浮かんだ途端に年表をにらみながら、短期間で書き上げたと思われる勢いが感じられますが、アイデア自体なかなか秀逸だと読みました。家業の神保町の古本屋という設定は「当然」ながらひょっとして笏g茂雄のことが頭の中でかすめたのかも。
    カ泣sスの紹介も、全体のムードの中ではユーモアと軽身をそえトいます。敢て小説として紹介したいというアイデアもなかなかで、でなければ作品の中にすんなり入っていくのが難しいテーマで、読み通すのが難しかったかも」(男性、神奈川県)

  • 「神保町と大正デモクラシー」をありがとうございました。第一に、ポーと生きている私に久しぶりに知的薫風を頂けたこと。・・・この時期、雪化粧があったり、キツネやウサギが通り過ぎ、小鳥たちが餌を求めてくるのを楽しんではいます。週に2度ほどの知己と囲碁で脳トレーニング、温泉通いのほかは、ただひたすら家庭菜園を始められる春をを待ってボーとしています。こんな時、大正時代にはほとんヌ蘊蓄のない私に、豊富な知性と知識があふれる書は、まさにrefreshmentであり刺激となりました。貴兄の知的backgroundに感嘆します。
    第二に、改めて亡父の追憶に浸れたこと。父は50年以上前に没しましたが、明治に神田佐久間町に生まれ育ち(ちなみに母は小石川の生まれ育ち)三井呉服店(と父は言っていたが、たぶん三越の前身と思う)で丁稚奉公からstartしたらしい。関東大震災で焼け出され、私の生地である福島県の平(今のいわき市)で呉服屋を開業しました。
    私が東京で下宿生活をしていた頃、父はよくいわき市から呉服の仕入れに上京してきましたが、その都度、貴兄の本にある「神田やぶそば」や「いせげん」(神田と新橋にもあったと思うが)で食事をしたものです。その父の様子や父の大正時代の生き様や話した様子をまざまざと久しぶりに邂逅できました」(男性、佐久市)

  • 「繰り返オ読みワした。タに分かりやすく歴史の勉強をしたような感じです。私自身アプローチしたこともなかった大正デモクラシー文化の一断面を、分かりやすく描いた作品ですね。(中略)
    日本が日清・日露戦争から太平洋戦争に突入するまで、主に中国大陸でほしいままに行動し、混乱の渦に巻き込んでいった歴史を振り返る時、日本軍の独断専行のみの面を見ると当時の状況が分からずじまいになってしまいます。しかし、中国の現状を憂えて来日した周恩来や孫文が、日本で同志を集うことが出来、それを支える日本人もいたことは、或る意味日本人の懐の深さもあったといえるのではないかと思うことがあります。九州には孫文を受け入れた宮崎滔天の拠点が熊本の荒尾にあります。また、郭沫若は九大で学び、私が入学してコンパ会場にも使われた大広間には額が掲げてあったことを思い出します」(男性、福岡市)

  • 「真介の生きた時代がよく表現されていて当時の世相が分かります。傑作です。“教養小説”とでも言いましょうか・・・大正に生きた教養人が活躍した舞台「神田・神保町」を浮き彫りにしております。
    私事ですが、1967年に社会人として最初のお仕事が大坂支店での営業。当時、阪神間で灘神戸生協とダイエーが競争。芦屋の社宅に住む私は、生協の芦屋店の常連でした。賀川豊彦さんは、お付き合いしていた当時の生協の幹部の方々にとっては尊敬する恩人でした。いまあらためて“大正浪漫”という言葉が懐かしくなります」(男性、川崎市)

  • 「今回読みながら特に印象深かったのは、晩年の芥川龍之介の“ぼんやりした不安”です。身体の衰弱が激しい文豪が「“ツァイトガイスト”は時代の巨大な精神的潮流だから、そこから超然と悠々と生きるのは当然難しい。大河の中にあって、押し流されずに、自力で遠い岸まで泳ぎ切るようなものだからね」それに続く一連の発言も心が打たれます。そして最後に“ヤーヴォール”。「君は今では完全に僕の理解者だ。ぼんやりした不安の完璧な理解者だ」(男性、町田市)

  • 「神保町は5代遡っても立派な本屋さんがあったことが判りました。大正の一時、モダンな神田をモボ・モガが闊歩し、芥川龍之介が洒落たカフェや料理店で原稿の構想を醸成していたのですね。町はインテリや学生で賑やかに海外に影響を受けて口角に泡の民主化討論の様子が想像できます。(中略)
    私も神田と聞ュセッで親しみをおぼえる一人です。神保町では、もしかして私も周恩来の靴跡を踏んでいたかもしれません。昭和35年ごろ都電の走る神保町・須田町が思い出されます懐かしいです。須田町が都電の始発・終着の起点でした」(男性、埼玉県)

  • 「小説仕立てなので面白く一気に読了しました。周恩来、芥川龍之介、賀豊彦。なじみはあるが当然会ったことがない偉人たちが懐かしい神保町を舞台に生々と描かれています。明治と昭和に挟まれて影が薄い大正という時代が魅力的に浮き上がってきました。(中略)
    芥川ではないが小カも今の時代に「ぼんやりした不安」を感じています。キーワードは「中国」か。帝国主義列強に食い物にされ、屈辱に黷オんだ大国がめざめ、経済力を持った今、世界をどうするか。米中対決、そのはざ間の日本の運命やいかに。北沢栄氏にご教示を願いたいと思っています」(男性、川崎市)

  • 「早速拝読させて頂きましたが、周恩来、芥川龍之介、賀川豊彦などがすぐ傍に居るような臨場感で描かれ興味深くあっという間に了読させて頂きました。神保町の書店街が作家や思想家のいわば培養基になったことが良く解りました。そう云えばロシア革命でフィンランドに亡命したロシアの大富豪セルゲイ・エリセーエフという人が居たそうですが、彼は東大に学び石とも親交のあった知日家でしたが、第二次大戦中アメリカの戦略諜報部に入りマッカーサーに神保町は日本文化の宝庫だから、爆撃の目標から外すように進言したという話が伝わっています(確かに書店街の一角だけ焼け残りましたね)。私は終戦時、旧制高校生でしたが当時は物資不足で新刊本はほとんど皆無で、専ら神保町の書店街の古書で知的好奇心を満たしたことを思い出しております」(男性、東京都)

  • 「曽祖父・谷村真介の日記から展開する大正のデモクラシーのまぶしい時代が鮮やかに描かれていて、見事だと思いました。・・・時代風俗も交えて読者をドキドキさせて楽しませてくださいました。最後のほうに賀川豊彦を登場させて(計画的で)さすがだと思わずつぶやいてしまいました。・・・神保町の本屋さんはさぞよろこんでいらっしゃることでしょう・・・それに“さぼうる”の方々も―“さぼうる”の辺り懐かしく思いだしています」(女性、愛知県)

  • 「大変貴重な「神保町と大正デモクラシー」を思いもかけずご送付下されとても感動致しました。拝読しつつ与えてくださったお言葉に強く強く心打たれましたが何度も読み返したいと考えます。今回は貴台が私の地元(神戸地区)の「賀川豊彦の国際的な労働運動部分」(大正の黄昏)の活動に深くお述べ下さった事にとても浮かく深く感動致しました」(男性、神戸市)

  • 「近代、現代歴史を学校教育から取り除かれた団塊世代の我々には、司馬遼太郎の「竜馬が行く」「坂の上の雲」からの知識がほぼその時代の大半で、大正、昭和はすっぽりとまではいかなくても、相当抜けてます。 それだけに、新しい発見に嬉しく、楽しく、読み終えたときは有り難く、感謝です。読んでて、大正デモクラシーの自由の風も久しぶりに感じたし、そこから高橋是清(当時蔵相)殺害の2.26事件までのツァイトガイストの流れも感じました」(男性、東京都)

  • 「只今完読。(中略)店の名前や通りの名前に、昔日を思い出した。(中略)じつに大正時代は、まさに疾風怒濤の時代だったのだな。(表紙にある)さぼうるの親父、どうしているのだろうね。「失楽園」にちらっと出たのが自慢だったけど。なぜ(神保町には)中国料理店があんなに多いのかと昔思ったことがあるけど、中国人留学生の宿が出発点なのだね。(中略)中島みゆきの「地上の星」を口ずさみながら読みました」(男性、千葉県)

  • 「それにしても本は良いね。SNSだ、Skypeだ、Zoomだというけれど、私はやっぱり活字だな。・・・神保町は私にとって、懐かしいところ。学生時代によく行ったものだ。すずらん通りの東京堂(中略)みんなそこでじっくり見てから買った。前衛思想、詩、絵画、そして欧州関連。よくぞ神保町を書いてくれた」(男性、茨城県)

  • 「大正時代にはあまり関心がなかったのですが、まるでセピア色の活動寫眞でも観ているようで一気に読み終えました。登場人物も登場する須田町の贔屓の店も実相的で単なる知識の骨に肉付けされました。日記をベースにここまで薫り豊かな表現で小説化された北沢さんはなかなかの方ですね。映像化したら面白いかも・・・」(男性、東京都)

  • 「一気に読みました。・・・当時の世情が活写されており、とても面白い。・・・世界は大転換します。日本政治も脱皮が問われていますB出版のタイミングが抜群です」(男性、茅ケ崎市)

  • 「神保町の歴史と文化がよく分かった。大正デモクラシーの発信基地だったことも。働いていて(飲食業)誇りに思った」(男性、神保町)

  • 「パンデミックの中で(著書にある)「ぼんやりした不安」に、ともすれば陥りそうになります。令和と大ウの似た点は「ぼんやりした不安」かもしれません」(男性、八王子市)

  • 「神田・神保町のあたりを懐かしく思い出しながら読みました。当時の学生街、食いもの屋、本屋の様子、よくわかります。ありがとう思い出深い街」(男性、三島市)

  • 「力作を感謝申し上げます。時代と登場人物についての調査ヘ大マだったろうと思いながら、楽しく読ませていただきました。大正デモクラシー期の文人、活動家が眩しいほど輝いています」(男性、東京都)

  • 「学生時代には神保町の本屋さんによく行ったもの。いつも型にはまらない、若々しい町です。ここから大正デモクラシーや大正ロマンが生まれたのも、理解できました」(女性、神奈川県)

  • 「これが完全な創作で、「曽祖父の日記」に相当する資料もないということだと、たいしたもので、大いに感服しました」(男性、鎌倉市)

  • 「“大ウデモクラシー”が昭和に入り、軍部に翻弄され、ついに戦争への突き進みました。今の我が国に近似した世相があるように見えます」(男性、川崎市)

  • 「初恋の人とお茶を飲んだのは神保町のカフェ。私にとって青春の思い出が詰まった町です。今思うだけで、アドレナリンが出てきます!」(女性、東京都)

  • 「よかった。大正デモクラシーの時代の生き生きとした様子がよく分かった。今とは違う。心を打たれた」(女性、東京都)

  • 「コロナで落ち込んでいる今日、大正はもっと知って勇気を貰いたい時代ですね。でも大正も末となると芥川龍之介の言う『ぼんやりした不安』が世相に表れ、今と似てきます」(男性、東京都)

  • 「今の日本これでいいのか!」という思いは常にあり、大正デモクラシーに匹敵するような大きな変革が必要なフだろうと、拝読しながら感じました。また、エピローグの主人公のような若者が多数出てきてくれればと、これは願いですね。
    私は、今の日本で特に悪いのは、「党あって国なし」の政党政治と、「省あって国なし」の官僚行政の2点だと思います。国民の半数が「支持政党なし」、自民党支持の多数が「他よりまし」とのことで、国民の大多数が「投票したい対象がない」ということだと思います。選挙制度の改革(定数減はもとより、大統領制なども)考える時期なのではないでしょうか? 小さな政府とし「避難しなくても命が守れる政治・行政」を目指すべきではないでしょうか」(男性、新潟県)

  • 「へえ、そうだったのかあ」「アッ、そういやあ、あそこには・・・」自分の学生時代と重ね合わせ、懐かしく、楽しく、読ませてもらいました。
    (神保町は)気持ちが落ち着く、やる気がわいてくる場所でした」(男性、横浜市)

  • 「賀川豊彦はノーベル賞(文学賞、平和賞)候補にも上がった立派な人。よく描けている」(男性、東京都)

  • 「北沢さんが目指す『ジャーナル・ノベル』は結局、時代が主人公なのかな。『神保町』を読むと、大正期が主人公に見える。周恩来、芥川、賀川を通じてこのユニークな時代が押し出されている」(男性、東京都)

  • 「私は芥川ファンだから、芥川のところが一番面白かった。宮沢賢治の若い頃が出てきて、興味しんしんに読んだ。芥川の“ぼんやりした不安”も、いまになってよくわかる」(女性、山形)

  • 「すごいよかった。中国人留学生があんなに神保町に来ていたとは。古本屋街も大正時代にはすでにあったんですね。もう一度、読もうと思う」(男性、神奈川県)

  • 「神保町には20代の頃、ある会社で税務の仕事をやっていて神田税務署に行った折などに、よく古本屋をのぞいた。文化の町であることがよく分かりました」(男性、神奈川県)

  • 「神保町に住んでいたことがあるので、すぐに読んでみたいと思った。大正時代のことは知らなかったが、あの町に住んでみると異人、変人が多いから(作品内容に)想像がつく。よかった!懐かしさがよみがえった」(男性、東京都)

  • 「神保町の隣の明治大学で学んだから神保町ヘ大好きだ。(本に)感動した。OB仲間にも読ませたい」(男性、東京都)





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