目次は「National Security I〜VI」、「エシュロン」、「悪魔と天使」、「浦島、または・・・」。
「美しい国」を夢想したA氏、9.11後のナショナル・セキュリティ・ワールドの指導者B氏、テポドン・マニアのK氏も登場!
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「ナショナル・セキュリティ」への反響がジワリと広がっています。その一部を紹介すると―
- 熊本日日新聞(2008年7月26日付)
「詩の楽しみは、何と言っても自由ということだろう。 ・・・ 2人の「対話」は自由奔放に展開。
北沢が、国際政治の現実の世界から言葉を提示すれば、紫がそれを柔らかく人間の魂という地点で受け止め、しっかり打ち返す。その自由さに脱帽。」
- 山形新聞(7月27日付)
「一期一会による思わぬ出会いが比類なき世界を作り出すことを、ジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマンなどによるジャズの名演が伝えている。 連詩もまた、異色の組み合わせに生成の妙を味わうことができる。 ・・・ 多事多端な社会にあってこそ、自在な精神は光り輝く。 北沢栄の批評と紫圭子の叙情は、連詩というインタープレーによって、新たな詩の世界を創成してみせた。」(評者は万里小路譲氏・詩人)
- 月刊ベルダ8月号
「呼びかけにたいして応答していく連詩という手法を取り込み、ともすればタコ壷的なところで自足しがちな現代詩を大きなフィールドに引っ張り出した画期的な詩集といえよう ・・・ 北沢氏は「エシュロン」に関しては日本でいち早く本誌00年4月号《グローバル化の裏側で動き出した「情報支配」》で報じている。・・・」
- 水無田気流氏による詩書月評「流浪性近代症候群」(『現代詩手帖』8月号所収)
「さて、詩作する日常は、今日メディアの中に分立する自己を包摂する。あたりまえのように情報にアクセスし、あたりまえのようにアクセスされる日々を提示して見せるのは、北沢栄・紫圭子『ナショナル・セキュリティ』(思潮社)。
(地中には地中の、水中には水中の繁栄(いきかた)があるんだ
(きょうから水仙をナルシス・エシュロンと呼ぼう
(中略)
わたし スーパーで買い物する
自分の姿をモニターテレビに映してポーズする
(鏡(モニター)って植物的ね (「エシュロン」部分)
詩に「映された」巨大なネットワーク、自画像、それらが構築する日常風景。視聴(モニター)するつもりが監視(モニター)されていく。」
- 詩誌『交野(かたの)が原』(第六拾五号)
「(現在が)水瓶座にうつりつつあることの認識は、「浦島、または・・・」であるこの章が〈フォトン原初の光〉に連なっていることに自ずと繋がる。・・・〈National Security/をうんぬんする前に/すこしは地球環境のSecurityに/関心を向けてはどうかね〉(北沢)という問いに、紫ワールドはそこを超えたセキュリティをも示唆する。ここで装幀に戻れば、(浦島太郎が)〈十二宮を巡って帰還〉した水の時代を象徴的に表現したものであることに驚かされる。
それはどのようなものか。向かって右は青、左は黄緑で中央は勿論、テーマはセキュリティだから微妙に重なりながら滲んでいるのが、いい。さらにいえば、一センチ弱の白枠との重なりもすべて滲んでいる。」(評者は原田道子氏・詩人)
- 詩人・村山精二氏評(同氏のホームページに掲載)
「フリー・ジャーナリストの北沢栄氏と詩人・紫圭子氏による共著詩集です。・・・ここでは冒頭の“かけあい”を紹介してみました。「ホワイトハウス」をからめた「National Security」を「ヘンリー・D・ソロー」へむすびつけていくあたりが面白いと思います。違う個性の二人がひとつの作品として作り上げていく、今までとは一味違った詩集と云えましょう。」
- フリーライター・飯嶋洋治氏評(同氏のホームページに掲載)
「・・・詩を解説するというのは野暮な感じがするが、あえて、一言ずつ感想を書くと、
・National Security I〜VI
いつの時代、どんな政治体制でも人間が国家に縛られていることと、そこからの開放への思索。
・エシュロン
エシュロンとは「世界中を張り巡らせているスパイ・ネットワーク」。もう細かいあらすじは忘れてしまったが、高校生の時に読んだジョージ・オーウェルの『1984』を連想させる。
・悪魔と天使
善と悪との二元論では読み明かすことができない世の中。悪魔がいることによって天使も存在するパラドクス。
・浦島、または・・・・・
これは、ちょっと難しい。直感的には、分別(ふんべつ)の無意味さとか、一瞬の永遠性か? 読み間違いかもしれないが。
というわけで、おすすめの一冊です。」
- 文芸誌『XYZ』
「・・・帯の背に「対話―軽やかな批評精神」とあるが、まさに批評精神の健在が、何よりも特徴。・・・
ここには人間実存の認識を外れぬ、たしかな歩みの音が響いてこないであろうか。・・・」(評者は清水信氏・文芸評論家)
- 『詩と思想』10月号
「・・・天変地異を軸にした作品では、
雲の柱が立つとき 火の柱が立つとき/天変地異は起きた/天のしるしが現れると異変が起きる前兆だった/火の雨 地震 大洪水/歪む空間/ノアの放った鳩が見えない/オリーブの葉をくわえた鳩はどこを飛んでいるのだろう 「National Security III」
紫がこのように書いた章を受けて北沢は次のように展開する。
天変地異/人間が大自然に余計な手を加え続けた結果が現れたのだ/B君/National Security/を うんぬんする前に/すこしは地球環境のsecurityに/関心を向けてはどうかね 「National Security III」
二人の視点は世界情勢を踏まえた社会的なものであるが、強いて分ければ、紫の章はより感覚的で、北沢の章はより理知的といえるだろう。このような二人の思考の違いがなければ、相手を次の時点に連れ出していく力にもならない。・・・」(瀬崎祐氏・詩人)
- 韓国の『詩向』(2008・31号)に「National Security I〜IV」と「悪魔と天使」が翻訳され、紹介(訳者は韓成禮氏・詩人)
- 『現代詩手帖』10月号 特集「連詩と対詩」の中の「うたげと対座」(栩木伸明著)で「対詩というジャンルはついに、切れば血が出るような詩論詩を獲得したのだ」とし、四元康祐と田口犬男の『対詩 泥の暦』などと共に『ナショナル・セキュリティ』を紹介。「オクタヴィオ・パスと大岡信が欲した、自我の抑圧から詩人を解放する秩序感覚の新しいモデルは、ぼくたちの時代の日本語詩において確実につくられつつある。」と結んでいる。
- 『季刊 ふるさと紀行』(平成20年秋の号)
「・・・ふしぎとコトバの綾なす詩風景に、オヤッと感性のメトロノームが揺れ動く。たとえば、抽出を開けるとそこは砂浜だった、からの無限のイマジネーションは、心地良く吹き来る里山の風にも似ていて、快感。」
- 月間詩誌『沃野(よくや)』11月号 愛知詩人会議
「この詩集は、・・・その内容が言葉で繋がっていく、リンクしていく面白さが次々とページを開かせ、最後まで読んでしまう充実感、スリル感があった。・・・作品の構想がしっかりしていることに加え、作品を書いた日付が、作品の一部となって、リズム感をあらわして伝わってくる。形態のおもしろさばかりではなく、内容のおもしろさは、題名の『ナショナル・セキュリティ』という、非常に緊迫した治安、防犯、安全などを扱っている内容にパロディを含めながら、迫っていることが、作者の熟した息づかいを感じさせる。」(評者は長谷川節子氏・詩人)
- 現代詩手帖編「現代詩年鑑2009」の2008年代表詩選に「ナショナル・セキュリティ」の『エシュロン』が収載。
- 『詩と思想』(2009.1.2)「特集2008年度・回顧と展望」
「・・・インスパイアを特定した、つまり二人による作品集も目についた。・・・『ナショナル・セキュリティ』(思潮社)は・・・「ソロー?/彼の好きな言葉は/これだ/ろくに統治しない政府が/最高の政府」と北沢が書く、「わたしは眩しく幻視する/ソローの右手を」と紫が書く。ソローを巻き込み、現実と想像と、社会と文学が、交錯しあい、二人から溢れるように発信される」(評者は海埜今日子氏・詩人)
「(特に記憶に残ったものとして)『ナショナル・セキュリティ』では連詩の可能性が示唆されていた」(評者は瀬崎祐氏・詩人)
2008年の詩の「収穫」として、千葉龍、星野元一、芳賀章内、宮沢肇の4氏が「ナショナル・セキュリティ」を掲載。
- 『中部ペンクラブ 第54号』(2009年4月1日)で、中部ペンクラブ顧問の清水信氏と名古屋大学名誉教授の堀内守氏が対談し、2008年の中部圏の文学活動の成果として、詩歌集・詩史ベスト10の第1位に『ナショナル・セキュリティ』を挙げた(注・紫氏は中部圏在住の詩人)。そのやりとりは―
清水氏 第一が北沢栄・紫圭子「ナショナル・セキュリティ」。
堀内氏 連詩で、北沢さんの国家安全保障であるナショナル・セキュリティについての呼びかけから始まって、紫さんが応える形で連なっていきますが、二人がお互いにイメージを飛躍して受け取って連なっていくのはいいですね。
- 作家・秦恒平氏の『生活と意見82』に以下のコメントが掲載されました。
「北沢栄 紫圭子 両氏の詩集『ナショナル・セキュリティ』は立派であった。メタファの働きを生かした最現代への批評、詩の機能が生彩を放っている」
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