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本書は、何より金融ビッグバンとの絡みでグローバル・スタンダード導入の意義と問題点を捉え、大蔵省を頂点とする日本型経営システムに対する創造的破壊作用を論じた注目作である。 本書の第一のポイントは、グローバル化経済がもたらす「光」と「影」、とりわけ政策の貧困から放置し続ければ社会の荒廃が必至となる「負の作用」を三つの面から予測していることだ。 一つは、2月の完全失業率が3.6%、失業者数が250万人近くと過去最悪を示したように、経済のグローバル化とともに失業者数が今後も増大していくこと。ドイツとフランスは既に深刻な失業問題に直面している。 二つめは、旧システムの破壊に伴う処理コストの急増による「国民の負担増」である。金融機関の破綻に対する各種公的資金の注入増がその好例である。 三つめは、マネー・株式投機がグローバル化することで、一国の実体経済がかく乱されるようになることである。マネー経済が実体経済の鼻面を引き回す事態である。 この点は、昨年夏以降のアジア通貨危機と山一證券の経営破綻に至る「ヘッジ・ファンド」の動きで証明されている。 マネーの「無国籍性」、マネー投機の同時進行する「合成的破壊力」、グローバル・マネー投機の仕掛人である「ジョージ・ソロスの素顔」を述べた「グローバル・マネーの恐怖」のくだりは本書の圧巻である。 本書の第二のポイントは、ビッグバンが持ち込むグローバル・スタンダードで古い日本型資本主義システムが破壊され、「市場主義」が一層前面に現れる、との主張である。そして、“半官半民”だった官僚主導経済が97年11月の三洋、拓銀、山一、徳陽シティの連続経営破綻の嵐の中で「市場主義経済」に転回した、と説く。つまり、官僚の裁量行政が主導した、かつては輝ける成功を収めた日本型システムはワークしなくなった、というわけである。 本書の第三のポイントは、市場での優勢からいまやデファクト(事実上の)・スタンダードとな? チた米国の経営が九三年前後から、株主を代弁する社外取締役を取り入れて急速に強化された経緯を紹介し、ソニーのように外部から経営のチェック機能を高めるコーポレート・ガバナンスの必要性を強調していることである。 これまで「企業統治」と訳されているコーポレート・ガバナンスについては難解な解説風の論文がやたらと多く、米国の企業がどうして93年ごろから経営革新を遂げて強くなり、企業力と業績で日本企業を圧倒するようになったか、―の実証的研究は少なかった。 本書はこの面でも、米国企業が強くなった秘密、つまり「外部からの経営チェック機能」の導入に光を当てて分析している。日本では、かつてはあった経営チェック機能も「メインバンク」の力の低下、「労働組合」の企業内従業員組合への変質、株の持ち合いによる「株主」の比重低下によって弱くなり、経営者が取り巻きに囲まれて堕落してしまった経緯がある。 グローバル・スタンダード型社会になる、ということは、従来の日本文化の一部と化した「お上依存」の日本型慣行とか分かりにくい不透明な政策の意思決定法などを捨てなければならないことを意味する。そこには必然的に旧システムの破壊が伴う。 旧システムの破壊はいいが、法とルールをきちんとグローバル・スタンダードに基づいて整備しなければ、旧秩序の破壊からくる荒廃ばかりが目立つことになろう。本書の問題提起の意味は大きい。 |